『中国との真の友好築く条件--克服すべき迎合姿勢』

ウイークリー文化 批評と論点「21世紀の視点」(4頁)
2002年9月15日掲載

岡崎久彦

 1970年、日中正常化のニ年前、ニクソン・ショックを一年後に控えて、私は『緊張緩和外交』の中で次のように書いた。

 日本は、「自由な民主国家として、軍国主義に走る可能性は全くないこと、また自由を守る信念は不変であり、米国や自由圏との協力がゆるぐ可能性のないことを(中国に)十分解って貰(もら)った上で安定した国家関係を築く方法を探究しなければならない。あるいは中共はそのことは百も承知で、統一戦線方式にしたがってゆさぶりをかけているのかもしれない。それならば、今後そのような事を続けても、かえって日本国民の反感が増すだけで、真の日中友好関係を妨げることになることを理解させねばならない、そして日本側も、政府民間を通じて、中共が日本について誤ったイメージを抱くことが無いように言動に注意する必要があろう。心にもないことを言って、中共に期待を持たせ、あるいは中共に期待を持たせ、あるいは中共の危惧に賛同するような形で得た関係は必ず破れよう。正しい判断と意志を正確に伝えた上でこそ、真の友好関係が生まれるのである。」

 一介の若手課長の分際でよくここまで書いたと今更ながら思うが、その後30年の日本では私の意図は悉(ことごと)く裏切られ、挫折の連続だった。

 日中正常化前後の時期、幸いに私はワシントンに居たが、東京の雰囲気は私に言わせれば知的頽廃(たいはい)の極であった。

 最近サム・ジェイムソンに会って、談たまたま当時のロサンゼルスタイムズの記者だった彼の記事に及び、改めて取り寄せて読んで見た。

 「日本の新聞は身売りをした。北京の政策に反する報道をしないという不正直さにコミットした。それは、職業倫理の恥ずべき否定である。その犠牲となる日本国民だけでなく、民主主義の同盟国であるアメリカの国益にもかかわる問題である。」

 これは日本のマスコミが北京に特派員を送る条件として、中国側の政治三原則を受諾したことに対する批判である。

 日本のマスコミは、約束を重んじる日本の伝統からか、あるいは、戦時中、占領期と続いた言論統制に自ら順応する体質の故か、この約束を墨守した。

 当初国民は戸惑い反発し、「胸がむかつくような」親中報道という表現も聞かれた。しかし、敗戦直後の占領軍による「真相はこうだ」というラジオ放送に国民は当初強い反感を感じたが、時が経ち慣れて来るにしたがって、それよりももっとひどい東京裁判史観がその後の日本の報道、教育の主流の思想として定着して行ったように、繰り返し繰り替えし行われた親中報道と、それに反対する言論の封殺によって、国民意識も大きく変わって行った。

 端的に言えば、親中国といえば、進歩的平和主義であり、親台湾といえば右翼、反動、軍国主義であるという思い込みが日本の政治思想、言論の主流となった。

 もちろん、その背後には、共産国と仲良くするのは平和愛好、進歩的、反共政権と親しむのはファシズムだという国際共産主義プロパガンダの定型があったのであるが、誰もこの単純な冷戦期の国際政治の基本構造を見詰めようとさえしなかった。

 それがどんなに根深いものであるかは、冷戦が終わって十年経っても、田中真紀子前外相、河野洋平前々外相の思想の中にその残滓(ざんし)が色濃く残り、それが李前総統の査証問題等に反映されているのを見てもわかる。

 とくに私が終始心配したのは、それが日米同盟の基礎を揺るがさないかということであり、また事実当時の新聞や知識人の言動の中にはそれを危惧させるものがあった。つい数年前でも、加藤紘一氏の日米中三角形発言などがあった。

 しかし、それは徐々に修正されている。ガイドライン関連法案では、台湾を対象から除外しろという中国の要求を克服している。

 もう一息である。靖国問題、歴史認識問題などについては、まだまだ中国の意向に迎合しようとする傾向が残っている。これらを全て克服してはじめて、日中の真の友好の基礎を築く条件が整うのである。(了)


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