『カギ握る台湾問題』

(読売新聞朝刊「地球を読む」2002年8月26日)

岡崎久彦

<衝突路線歩む米中>

 今後一週間の国際情勢を予知する最も地道な正攻法は、過去一ヶ月の情勢の流れをしっかり把握しておく事である。一ヶ月先なら、過去一年間の流れ、半年先ならば過去十年間の流れである。それは、相当な経験と労力と洞察力を要する作業である。

 ここで論じる数十年先の見通しとなると、数世紀遡らねばならない。ところが、ここまでの長期となると、物事の枝葉末節が落ちて大局だけになるので、かえってわかりやすくなる。

 一五八八年の無敵艦隊撃滅以来、アングロ・サクソンは、スペイン帝国、オランダ帝国を滅し、フランスとの抗争に打ち勝った。二十世紀になってアングロ・アメリカン世界は、ドイツを二回敗り、日本帝国を滅し、最後にはロシア帝国を解体させ、一人勝ちの形で二一世紀を迎えている。

 第二次大戦が終った時中学生だった私は大人の会話に耳を傾ける機会があった。一人の客が、「何年したら報復戦が出来るのかな?」と言ったのに対して、もう一人が「いや再びアングロ・サクソンに敵対してはいけない。ドイツは二回やられている」と言った。その時私は子供心に後者が正しいと思った。その後始まった冷戦の初期、共産主義の勝利が歴史の必然のように言われた時期でも、私は、終局的にアメリカがロシアに勝つと信じて疑わなかった。

 私は、その後も日本の外交を対米追随などという人には常に言って来た。英米世界と戦って敗れた後、そのジュニア・パートナーとなる事を選んだ国は、国民の安全と繁栄を守っている。英蘭戦争以降のオランダ、二〇世紀のフランス、それは日本だけの事ではないのだ、第二次大戦後のドイツもそうだ。と。そして、おそらく今後のロシアもそうなるのであろう。

 私はこの日本の経験を今の中国に伝えたい。現在、米国の覇権と衝突する最大の可能性のある国は中国である。もし、中国が米国との衝突を避けて、蒙古帝国、清帝国に次ぐ、中国史上最大の版図を擁する現在の中華帝国を維持出来れば、それは、歴史上どの民族も成し遂げられなかった偉業と言えよう。もし、失敗すれば、帝国を失った蘭、日、露、そしてカナダ、インドを失ったフランス、領土の半分を失ったドイツと同じ運命を辿るおそれがある。今は問題とされていない新彊、チベット、内蒙古の維持も危うくなろう。

 すべては台湾問題にかかっている。

「名誉ある分離」切り札に

<現状維持に限界>

 現在米国は一つの中国を支持し、台湾の独立を支持しないと言い、中国には武力不行使を求めている。つまり現状維持政策である。

 これだけの大問題となると、すべての実務担当者にとって現状維持政策は、最も現実的であり、穏健であり――情勢が変わるまでは――他に選択の余地の少ない政策である。

 しかしそれは何時までもつかわからない。中国はすでに台湾問題の解決は長くは待てないと言っている。客観的に見て、中国は現在、軍事力の行使又は脅迫によって統一を達成する実力がないのだから、その力を持つまでの期間だけの現状維持は当然であり、先の保証はない。

 アメリカも、もし民主的に表明された台湾の民意が明確に独立を志向するような場合、米国の伝統的価値観から言って、これに反対を続けられるだろうか。民主的手続きならばそれに介入する方法もない。

  <米の世論の怖さ>

 アメリカの現在の態度を政策として固めさせようという試みはあった。一九九八年のクリントン訪中の前に、米国の国際政治学者は、もし台湾が独立宣言など一方的に中国を刺激する場合は米国は台湾を防衛しないと宣言すべきだと提案した。

 私はこれに反対して、積極的に論戦に参加した。米国の政策は大統領だけが決めるわけではない。最終的には民意が決める。もし台湾が民主的手段で独立を表明し、中国が米国の約束を信じて武力介入した場合、米議会、米世論がこれを座視するだろうか。現状なら武力介入を支持する世論の方が圧倒的に強いであろう。その場合米国は中国を欺いて戦争に捲き込むことになる。朝鮮半島は米国の防衛線外だと言明して、朝鮮戦争を招いた愚を繰り返すのか、と。

 ジョージ・ケナンは「民主国家は怒って戦争する。」と言った。台湾の民主主義が脅かされたと感じた時のアメリカの世論の怖さを中国は決して軽視すべきではない。  ちなみに最近、中台経済関係が深化され、台湾はいずれ中国に吸収されるという論もあるが、これは西欧諸国の経済依存が増大したからもう戦争はないと第一次大戦前に予言したノーマン・エンジェルの誤まちを繰り返す事になる。戦争を決意した当時のヨーロッパの指導者の頭の中に経済の相互依存に対する考慮などかけらもなかったと同じように、台湾の人が経済的利益のために現在の自由をいささかでも犠牲にする事は考えられない。

<国連加盟カード>

 潜在的には米中は衝突路線を歩んでいる。それが誰の目にも明らかになるような場合は通常は遅きに失する。そうなる前ならば中国はまだまだ多くの切り札を持っている。

 中国は近年、台湾の国連加盟に反対の態度を明確にしているが、もし中国が自分が兄貴分としてスポンサーとなって台湾を国連に加盟させたらばどうであろう。台湾の民意が親中国に靡くことは十分予想される。一つの中国の原則を認めさせることも難かしくないであろう。また、その際世界中に、新彊、チベットに対する中国の領土主権を再確認させることに、誰も反対できないだろう。そうすれば中国はその後何十年も続くと予想される平和の中で、経済建設と、生活水準の向上に専念できる。  かっての日本も、真珠湾攻撃の破局に至るまでの間に、幾つもの切り札を持っていた。しかし、その切り札を使う機会をミスし続けて来た。そして気づいた時には、明治以来中国において得て来た権益の全てを失うか、戦争かの岐路に追いつめられていた。

 中国のステイツマンの今後の最大の仕事は国内、国外の政治的困難を乗り越えて、永続的な、平和的な、名誉ある台湾分離の解決を求める事である。  そして米国は、当面の現状維持政策はやむを得ないとしても、その現状を固定させるために台湾に圧力をかける如き政策は差し控え、事態を台湾のデモクラシーの自然の流れにまかせるべきであろう。

 ひっきょうは、台湾の事は台湾人の意思で決めるというのが、米国の価値観、米国の世論が認め得る唯一の線だという認識を見失わない事である。そして、その態度を取る事によって、中国に対しては、究極的に、武力の行使または脅迫による解決以外の選択肢を模索しなければならないというはっきりとしたシグナルを送ることになるであろう。


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