自衛艦隊派遣、かろうじて及第点

(読売新聞朝刊「地球を読む」2001年11月26日)

岡崎久彦

"落第"続きだった日本外交

遂に、自衛艦隊が日本の旗を掲げてインド洋で活動を始めた。

やってみれば何でもない事だった。米国はもちろん、現地のパキスタンからも評価され、11月5日のASEAN拡大首脳会議でも、中国,韓国、ASEAN諸国から何一つ反対発言はなかった。しかしたったこれだけの事を実現するのに、一つの歴史とも言えるぐらいの長い時間がかかったのである。

思い返して見ると、戦後何十年もの間、日本は何度チャンスをむざむざ見逃して来たのだろう。

まず思い出すのは二〇年前八〇年代前半の頃の事である。二〇年前は冷戦の真っ只中である。西太平洋の米第七艦隊は間断なく増強されるソ連の極東海空軍兵力に対抗するのに手一杯だったが、その間ペルシャ湾岸には何度も危機が訪れ、ただでさえ手薄な米機動隊部隊の力をインド洋にも割かねばならなくなった。また、ソ連海軍のカムラン湾進出のためにインド洋のシーレーン防衛も必要になった。

インド洋の航路防衛は米海軍の乗員にとっては辛い任務だったという。照りつける赤道の太陽の下で、来る日も来る日も、単調ではあるが緊張を緩められない監視の任務に専念しなければならい。そして護る船のほとんどが湾岸と日本を結ぶ石油タンカーばかりだったという。これで米側に不満が起こらないはずはない。「日本は何をやっているのだ!」「それでも同盟国か!」という声は種々のレベルから何度も伝えられた。

もしあの時に、日本政府が決断して、第七艦隊と協力して、ペルシャ湾から東アジアに至るシーレーンを守っていたらどうなっていただろう。東南アジア諸国は諸手を挙げて支持したであろう。ソ連がカムラン湾に海軍基地を設け、東南アジアが史上初めてソ連の脅威を肌で感じた時期である。中国も全面的に支持したであろう。当時国境を接するソ連の脅威を直接に感じていた中国は、日本にソ連を意識した反覇権条項つきの平和条約を結ばせ、日本の軍事費を三%に増額することさえ期待していた時期である。ソ連に対抗する日米軍事協力は中国が最も望んでいたものであった。

日本の再軍備に対する「アジア諸国の懸念」はフィクション

ちなみに、日本の再軍備に対する「アジア諸国の懸念」なるものは、七〇年代後半以降は、戦後一世代が過ぎた事の自然の帰結として、日本国内、全アジア、欧米のいかなる論説評論にも存在しなくなっていた問題である。この不思議な国際政治のスード・イッシュー(疑似問題)が人為的に作られたのは、八〇年代半ば以降,日本国内の左翼が---おそらく社会主義的反政府運動に挫折した後の唯一の突破口として---アジア諸国に、「日本の軍国主義復活は恐くないですか?」「日本の再軍備には懸念するでしょう?」という質問を執拗に行い、その反応を得て日本の国内で大きく取り上げて問題とし、また、これを再輸出して国際問題とするという屈折した工作が成功した結果である。戦後の日本という極めて特殊な環境の下に生じた、世界史でも例のないスード・イッシューである。

一九八八年、私はサウデイとタイの勤務の間に訪米してアーミテイジ氏などに会った。その時米国側の文章の中に、日本の防衛力増強は「アジア諸国の反応を顧慮しつつ」という表現があったので、「これは何だ?」と質問した。先方もキョトンと怪訝な顔をして調べた結果「これは日本政府の発言を引用しただけだよ」と答えた事があった。

しかし八〇年代前半は、日本にもアジアにもアメリカにも、そういうスード・イシューが全く存在しなかった時期である。もしあの時に日本がシーレーン防衛に当り、それが国際的な与件として定着していたらばどうなっていただろう。

まず、日本の海上自衛隊が、その装備、能率、軍紀において世界第一級の海軍である事は沿岸諸国がすべて認める所だったろう。寄港先の諸国において、乗員の行動は紳士的であり、一般にセイラーというイメージから来る粗野な所が全くない事も印象づけられたろう。

米国こそ最も頼りになる国

何よりも、日本がもう一度シンガポールやインドネシアを攻める可能性はカケラもない国である事---日本人は百も承知の事であるが---を、沿岸諸国が肌で感じたであろう。その背後には日本が何の疑いも入れる余地なく日米同盟の枠内で行動する事がわかって来るという事がある。米国は、時として間違いを犯すことはあっても、また、覇権国としての米国に対する反米感情はあっても、結局は世界で最も信頼されている国である、自由と民主主義を標榜する国家として二度の大戦、朝鮮、ベトナム、湾岸に大軍を発しながら、領土的野心などは全く持たなかったという厳然たる歴史的事実がその裏づけとなっている。ロシア、中国、北朝鮮といえども、結局は米国を一番信頼している。その米国とピッタリ政策協調しながら行動する事によって、日本に対する信頼が補強され、それが日本外交のイメージとして定着していたであろう。

こうして平和のために必要あれば、敢えて危険を冒しても軍事力を使用する用意のあること示し、その行動の意図範囲について日本の善意に何ら疑いなからしめる事によって、はじめて、日本外交は国際的発言力を持ち得るのである。

戦後五十年日本は外交力を回復するチャンスをミスし続けて来た。今回はやっとチャンスをものにしたが、まだとうてい十分ではない。今回の措置は、今までの落第生が、答案は不十分でも出席日数から何から全部かき集めてやっと及第点を取ったということで、その努力と気持ちの入れ替え方には皆賛辞を惜しまないが、それは一度だけの事である。すぐに、これからは普通の生徒並みに勉強して欲しいという期待に答えなくてはならないであろう。すでにパキスタンの大統領は、日本の自衛隊が戦闘地域に行かないのは常識ではおかしいという感想を洩らしている。

「常識」に立ち戻れ

結局は集団的自衛的行使の問題に行き着く。公海や国際海峡通行中に海賊やテロリストの民間船攻撃に遭遇したらどうする。それが日本船なら個別的な自衛権で守れる。しかし日本船といっても船員は皆外国人の船もあるし、また日本の船でも便宜上パナマやリベリア船籍の船もある。緊急の際そんな事を調べる余裕はない。もっと大事なことは日本船は助けるが、インドネシアや米国の船は集団的自衛権の行使になるから見捨てると言う事が、常識として、人間として許されるだろうか。外国船を守る集団的自衛権はあるが、その権利を行使する権利がないなどというのは戦後日本の知的頽廃の産物以外の何物でもない。憲法の改正、解釈の変更などという大げさなことではない。小泉首相の言う「常識」に立ち戻り、今までの国会答弁の愚味さを正直に認め、「それは、間違いでした。」と言えばそれですむ話である。


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