岡崎久彦
やってみれば何でもない事だった。米国はもちろん、現地のパキスタンからも評価され、11月5日のASEAN拡大首脳会議でも、中国,韓国、ASEAN諸国から何一つ反対発言はなかった。しかしたったこれだけの事を実現するのに、一つの歴史とも言えるぐらいの長い時間がかかったのである。
思い返して見ると、戦後何十年もの間、日本は何度チャンスをむざむざ見逃して来たのだろう。
まず思い出すのは二〇年前八〇年代前半の頃の事である。二〇年前は冷戦の真っ只中である。西太平洋の米第七艦隊は間断なく増強されるソ連の極東海空軍兵力に対抗するのに手一杯だったが、その間ペルシャ湾岸には何度も危機が訪れ、ただでさえ手薄な米機動隊部隊の力をインド洋にも割かねばならなくなった。また、ソ連海軍のカムラン湾進出のためにインド洋のシーレーン防衛も必要になった。
インド洋の航路防衛は米海軍の乗員にとっては辛い任務だったという。照りつける赤道の太陽の下で、来る日も来る日も、単調ではあるが緊張を緩められない監視の任務に専念しなければならい。そして護る船のほとんどが湾岸と日本を結ぶ石油タンカーばかりだったという。これで米側に不満が起こらないはずはない。「日本は何をやっているのだ!」「それでも同盟国か!」という声は種々のレベルから何度も伝えられた。
もしあの時に、日本政府が決断して、第七艦隊と協力して、ペルシャ湾から東アジアに至るシーレーンを守っていたらどうなっていただろう。東南アジア諸国は諸手を挙げて支持したであろう。ソ連がカムラン湾に海軍基地を設け、東南アジアが史上初めてソ連の脅威を肌で感じた時期である。中国も全面的に支持したであろう。当時国境を接するソ連の脅威を直接に感じていた中国は、日本にソ連を意識した反覇権条項つきの平和条約を結ばせ、日本の軍事費を三%に増額することさえ期待していた時期である。ソ連に対抗する日米軍事協力は中国が最も望んでいたものであった。
一九八八年、私はサウデイとタイの勤務の間に訪米してアーミテイジ氏などに会った。その時米国側の文章の中に、日本の防衛力増強は「アジア諸国の反応を顧慮しつつ」という表現があったので、「これは何だ?」と質問した。先方もキョトンと怪訝な顔をして調べた結果「これは日本政府の発言を引用しただけだよ」と答えた事があった。
しかし八〇年代前半は、日本にもアジアにもアメリカにも、そういうスード・イシューが全く存在しなかった時期である。もしあの時に日本がシーレーン防衛に当り、それが国際的な与件として定着していたらばどうなっていただろう。
まず、日本の海上自衛隊が、その装備、能率、軍紀において世界第一級の海軍である事は沿岸諸国がすべて認める所だったろう。寄港先の諸国において、乗員の行動は紳士的であり、一般にセイラーというイメージから来る粗野な所が全くない事も印象づけられたろう。
こうして平和のために必要あれば、敢えて危険を冒しても軍事力を使用する用意のあること示し、その行動の意図範囲について日本の善意に何ら疑いなからしめる事によって、はじめて、日本外交は国際的発言力を持ち得るのである。
戦後五十年日本は外交力を回復するチャンスをミスし続けて来た。今回はやっとチャンスをものにしたが、まだとうてい十分ではない。今回の措置は、今までの落第生が、答案は不十分でも出席日数から何から全部かき集めてやっと及第点を取ったということで、その努力と気持ちの入れ替え方には皆賛辞を惜しまないが、それは一度だけの事である。すぐに、これからは普通の生徒並みに勉強して欲しいという期待に答えなくてはならないであろう。すでにパキスタンの大統領は、日本の自衛隊が戦闘地域に行かないのは常識ではおかしいという感想を洩らしている。
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