「NGO」問題で考えたこと

当事者は心機一転、国の為に働く時

(産経新聞朝刊「正論」2002年2月20日掲載)

岡崎久彦

まともに議論できない問題

 この問題はまともに議論するにはあまりにくだらない問題である。しかし、それがいつまでも国会やマスコミで繰り返し論じられているという不毛な状態をこのまま放置して良いとも思えないので、何かの御参考になればと思い私の判断を申し上げる。

 問題となったNGOの言動に鈴木宗男氏が怒っていたことはNGO側が引用している昨年十二月以来の鈴木氏の発言通りである。そしてこのNGOに対する鈴木氏の反感は、今回の事件当時も変わっていなかったであろう。

 また一月十八日の新聞に出たNGO側の発言で外務省の感情が逆撫でされ、アフガン復興会議非招請となった事も事実であるが、その説明にあたって、鈴木氏の名に言及したのも事実であろう。

 これだけの背景があれば、非招請問題が表に出て世の批判を浴びた時に、田中外相が鈴木宗男氏から直接の指示があったと直感的に判断したのも十分理解できる。

 ところがここから問題は矮小化する。

 田中氏は、それは自分の判断としてでなく「あの人もそう言った」と他を引用する形で述べ、引用された方が「そんなことは言った覚えがない」といった所から問題が発生した。

 客観的に言って、そういう会話はなかったと断定できよう。内閣官房の調査で会話の記録メモなるものの時系列的な矛盾が明らかになり、その真実性は否定されている。

狭量だった鈴木氏と外務省

 それよりも常識で役人がそんな危い発言をするはずがない。正直に言って、当時田中外相と外務事務局等の間に信頼関係などはなかった。田中外相の仇敵であり、どう引用されるかわからない鈴木氏の発言を、万が一そういう事実があったとしても、慎重を旨とする役人が信頼関係にない田中外相に御注進するはずもない。

 もしその時に、田中氏が「それは思い違いだったかもしれないが、鈴木氏の圧力が背後にあった事は間違いない」といっていれば、立場はもっと強かったであろう。それを「虚言癖」という鈴木氏の挑発に乗って証拠もないのに「たしかにそう言った」と言い張ったので、「言った、言わない」が国会の問題にまでなって墓穴を掘ったというだけの話であり、まともに論ずる気もしない。

 敢えて感想を述べれば外務省と鈴木氏は狭量だったと思う。NGOは「俺達は政府の出来ない事を民間の力でやっている」という自負で働いている団体である。それを黙々としてやるか、肩を張って公言してやるかは個人の信条と性癖の問題であり、そんなことに一々反撥してはNGOなど使えない。そのくらいの度量は持って欲しい。

日本的風土映した決着方法

 田中氏の場合は、もし落ち度があったとすれば「思い違いだったかもしれないけれど」と一言言えない性格が災いしただけで、今回についてはとくに悪い事はしていない。問題は今までの経緯である。すでにイエローカードを何枚も溜めていて、ルール上はとっくに退場させられてもおかしくない状況だった。そこで、国会で不正確な発言をしたという、国会の原則論では重大でも、言った内容からいえば極めて些細なルール違反の疑いだけで、もうもたなくなっていたということである。

 鈴木宗男氏の咎も今まで外務省の事務に介入して来たという事である。政治家と役人の関係はどの国でも難しい問題であるが今回の事件を機に、行政府の政治からの中立性の確保の方向に世論、政治が動くとすれば、それは議会民主主義の先輩である英米の慣行から見て改善であると言えよう。

 最後に野上次官については、具体的な咎はないが今回の騒ぎの責任を取るという事であろう。かつて外国人が日本文化を評して、一つだけ理解不可能なのは喧嘩両成敗という慣習だといった事がある。たしかに個人として責任のない事件の引責辞職というのは外国ではあまり聞かない話であるが、日本の風土に根付いた伝統でありそれなりに皆が納得する結着である。

 ただ、破廉恥罪に関連した話でもないのだから、暫く謹慎の上、お国のために働いて貰うべきであろう。本人は次官職相当の先進一等国など興味はなく、働き甲斐のある後進国と言っている由であり、その意気は壮とする。

 野上氏だけではない。田中真紀子氏も鈴木宗男氏もこの事件に関しては事件があまりにもくだらないものだっただけに今後心機一転してお国のために専念して働いて頂くようエールを送りたい。


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