2006年5月アーカイブ
2006年5月17日 産経新聞朝刊掲載
「靖国」対中提言 西に軍配
次期首相選びが内外の注目を浴び、首相の靖国神社参拝をめぐる経済界の提言に中国への配慮がみられた。首相選びが外国の影響を受けかねない状況について、識者らの意見を聞いた。一回目は岡崎久彦元駐タイ大使。
時を同じくして、東京の経済同友会と関西経済同友会が、靖国問題など対中、対韓外交について提言を出した。
東京の提言は、「しかし、『不戦の誓い』をする場として、政教分離の問題を含めて、靖国神社が適切か否か、日本国民の間にもコンセンサスは得られていないものと思われる。総理の靖国参拝の再考が求められると共に、総理の想いを国民と共 に分かち合うべく、戦争による犠牲者すべてを慰霊し、不戦の誓いを行う追悼碑を国として建立することを要請したい」と言っている。
関西経済同友会は言っている。「いわゆる歴史認識問題は、古今東西、地球上に数多(あまた)存在する普通の事象であり、過度に拘泥する必要は無いと思われる」「中国や韓国の政権が、反日感情を体制維持のために利用しているように映る現状について毅然(きぜん)とした態度で臨み、正しい相互理解促進の観点から、修正・謝罪・透明化を率直に求める」「中国の覇権主義を思わせる状況と韓国の北朝鮮迎合的な傾向に対しては、両国とのより良き関係構築の観点から、政府・議員・官僚はより毅然とした態度で外交交渉に臨むことが肝要である。経済人も、また然るべく民間交流に努めるべきである」
靖国参拝については、「注」として、一九八五年の中曽根康弘首相参拝まで、中国はA級戦犯合祀(ごうし)や、総理の靖国参拝などを問題視しなかった事実を挙げて、「これらの事実から判断して、中国の参拝批判は政治的に途中から作り出された外交の交渉カードと考えるのが自然である」と書いている。
文章の品格、国際情勢の読みの深さ、いずれが優っているか、一読すれば自明であり、これ以上喋喋(ちょうちょう)する必要は無い。
とくに政策提言はその前提として情勢判断が不可欠であるが、関西の情勢判断は事実に即して的確犀利(さいり)であるのに較べて、東京の提言で情勢認識らしいものと言えば、「首脳レベルでの交流を早急に実現する上で大きな障害となってい るのは、総理の靖国神社参拝問題である」のくだりだけである。
これは、総理は何時でも会うと言い、先方が一方的な注文をつけている事実を述べただけでその背後の情勢判断は皆無である。そして総理が中国の内政干渉を受け入れた場合、その後の日本の利害得失の分析にまったく欠けている。
せめて経済面でこれだけの損害を受けているという分析でもあれば、商利を国益に優先させているという批判はあっても、経済団体の提言としては、まだしもであるが、ただ首脳会談を実現させるためだけの提言というのは、無意味というか素っ頓狂としか言いようがない。
中国との経済関係といえば伝統的に関西の方が遥かに深い。その関西が示している節度と較べて東京の態度はよそながら恥ずかしくて見ていられない。
私は経済同友会には知己は多いが、幸いにして今回の提言の背景については全く 知らない。だから個人の顔を思い浮かべずにはっきり物が言える。
このような、素っ頓狂な提言を、しかも、経済の緊急な必要があるわけでもない、高度に政治的問題について、反対意見があるのに強引に多数決で通したのはどういうことなのか、不可解であり、訝(いぶか)しさを禁じ得ない。
背後関係については知る由も無く、また、この種の情報は決して表にでることはないが、誰しも考えるのは、関係者に対する中国による利益誘導か、あるいは脅迫である。
最低の線として、今回の提言を推進した人間は中国に対して今後良い顔が出来ることになるのは間違いない。また、対日工作をしている中国側担当者があったとすれば、大手柄であろう。惜しむらくは、関西経済同友会まで手がまわらなかったことであろう。もし東西同時に経済界が靖国参拝反対の狼煙(のろし)を上げていたらと思うと慄然(りつぜん)とする。
地方健在なりとの感がある。江戸時代以来、日本は地方に確固たるインテレクチュアルな中心があり、独自の見識を示して来た。今回については関西の見識が東京に優っていることは歴然としている。こんな粗雑な素っ頓狂な提案で日本を動かせると思うのは東京の思い上がりである。
2006年5月11日 産経新聞朝刊掲載
中国政府は対日関係を打開したいと考えている。日米関係が強固で「日米対中国」という枠組みになっているうえ、胡錦濤国家主席が四月にブッシュ米大統領と会談したが目だった成果を得られず、中国は日中友好に傾かざるを得ない状況になっているからだ。
中国側が対日関係の懸案をかかえている事情もある。旧日本軍が中国に遺棄したとされる遺棄化学兵器の処理や、日本の中国向け政府開発援助(ODA)が減額される問題のほか、これから中国が取り組む環境・省エネルギー対策には日本の技術援助が欠かせない。
中国が日米同盟の強固さを痛感したのは、十七年二月の日米安全保障協議委員会(2プラス2)で「台湾海峡問題の平和的解決を追求する」と宣言されたことだろう。中国が台湾に武力行使をすれば、日米は共同で反対するという意思表示であり、中国にとって相当のインパクトがあった。
さらに、今年四月の米中首脳会談で小泉純一郎首相の靖国神社参拝問題を取り上げられず、少なくともブッシュ大統領|小泉首相の間は米国が靖国批判にくみすることはありえないとはっきりした。
実は、中国政府は十七年四月の反日デモ以降、日本に対し柔軟姿勢に転換している。中国政府は日本の常任理事国入りを阻止するため、「官製デモ」をやったが、デモの拡大をコントロールできなくなり、農民暴動まで起きた。共産党政権に対する不満がデモとともに噴出する危険性をはらむため、反日運動を禁止する方針に切り替えた。
だが、中国政府内の対日強硬派と反日世論が日中外交のネックになっている。胡主席は強硬派に「靖国以外では日本に甘い」と批判されており、自由に自分の意見を述べられず、「対日強硬ジェスチャー」を示さざるを得ない状態だ。
靖国批判を展開しても日本の世論が割れず、日米関係もむしろ強まり、中国の個々二、三年のこわもて外交は完全に裏目に出ている。胡主席は靖国問題で引けない状況になっているが、裏目に出たと理解しているはずだ。
中国政府は強硬派の対日批判の間をぬいながら、靖国問題だけは突っ張って、外相レベルで打開を目指す考えなのだろう。それでも日中関係は前に進むと思う。
「ポスト小泉」の首相も日米同盟を堅持しながら東アジアを安定させる方針を貫くべきだ。日米同盟にくさびを打ち込めると中国が判断すれば、あの手この手の揺さぶりをかけてくるだろう。
【正論】「靖国」は日米離間の武器にならず 中国の戦略に脅えることなかれ
2006年5月8日 産経新聞朝刊掲載
≪内政干渉に米は関与せず≫
靖国問題をめぐる日中関係について、日本は国際的に、特にアメリカにおける対日イメージにおいて、中国に負けているのではないかと危惧(きぐ)する声を聞く。
これは靖国参拝に反対の左翼勢力だけからでなく、真に日米関係の将来を憂(うれ)うる人々からも表明されている。
まず、安心していただきたいのは、日米政府間レベルにおいては何の心配もないということである。
四月の胡錦濤中国国家主席の訪米に際して、この問題が取り上げられるだろうという憶測が流れたが、実際は、とてもそんな雰囲気ではなかった。中国としては、経済問題について米国の非難がそれほどひどいものでなかったことだけで、もって瞑(めい)すべしといえる程度の会談であった。
少なくとも現在の小泉・ブッシュ関係においては、中国による対日内政干渉に米国が関与する可能性はないと考えてよい。
戦争の過去についての国際的な対日イメージで、日本に引け目があることは事実である。ただ、それは新しいことではない。六十年前に戦争に負けて以来のことである。
むしろ、昨年四月の中国における反日デモの後の米国の論調の中に、おそらくは戦後初めてといえるような、歴史問題における日本擁護論がちらほら現れたことの方が新しい現象であった。
日本に好意的な論調でも、「日本は過去を忘れてはいけないが」、と一言は言った上での場合もあるが、それが強調しているのは「それは六十年前のことであり、それ以降の行動については、日本よりも中国のほうが非難されるべきだ」ということである。
≪変わらぬ敗戦国の負い目≫
米国は自由な国であり、あらゆる歴史の見直しが可能な国であるが、米国以外に本格的に日本と戦った国として、中国、英国となると、戦勝国の権利は決して譲ろうとしない。
端的に言えば、「口惜しかったら、戦争に勝ってみろ」ということであり、もう少し丁寧な場合も、「貴方の国は戦争に負けたんじゃないですか?」ということである。
講和条約の年に入省して、四十年間敗戦国の外交官を務めたわが身の経験である。
普通、過去の戦争の結果は次の戦争で消える。冷戦で日本は西側メンバーとして勝っているが、それは戦争の犠牲を伴わない勝利である。また、その間の日本の立場は国内の左翼、平和主義の制約のもとで中途半端であり、その前の戦争を過去のものとするには至らなかった。
この負い目は、今後とも負い続けなければならない。総理が靖国に参拝したからといって、六十年前の負い目が解消するということはまったくあり得ない。
むしろ、この負い目を現実政治の武器に使っている国内外の勢力-むしろ国内勢力の方が、戦後いったん過去の問題となった問題をしつこく蒸し返した元凶である-の攻勢を勇気づけるだけで、なんら解決にならない。
日本は、サンフランシスコ平和条約で東京裁判の判決を受諾し、占領終了後も刑の執行の責任を果たした。法律の効果はそれで終わっている。ソクラテスは判決を受諾したが、判決の効果は彼の死で終わり、ソクラテスは悪人であるということを歴史の上で確定する効果などはない。
≪国家国民のため死刑受容≫
東京裁判は戦勝者の一方的裁判であり、瑕疵(かし)は拾えばきりもないが、東京裁判の裁判長ウェッブ自身の個別意見は歴史判断の参考になろう。
ウェッブは、ニュルンベルク裁判でナチスの指導者が死刑になっても、ヘスやデーニッツが死刑にならなかったのは、「彼らが戦争をしたときには、一般的に侵略戦争は裁判すべき犯罪とは考えられていなかった事実を考慮したもの」と考えられるとし、ドイツと異なる基準を当てはめないかぎり、「どの日本人被告も、戦争をしたことについて死刑を宣告されるべきではない」と言っている。
つまり、A級戦犯の死刑は間違いだと言っているのである。それでも彼らは絞首刑に処せられた。
戦犯は誰一人として判決の内容に納得していない。彼らは一貫して苦笑、冷笑した。にもかかわらず彼らは従容として死んだ。それは連合国には責任は感じなくも、国家国民に対する戦争責任を取るためであった。
たとえ身は 千々に裂くとも およばじな 栄えしみ世を 落せし罪は
東條英機元首相の獄中の歌である。靖国に詣でる人は自ら厳しく戦争責任を取った東條の心情を掬(きく)すべきである。(おかざき ひさひこ)
