小川彰 主任研究員 オーストラリア出張報告(1997年10月27日〜28日分草稿)


オーストラリア特集


中島邦子研究員オーストラリア報告


(1998年3月15〜18日)



 岡崎研究所中島邦子研究員は、豪ニューサウスウェールズ大学アジア・オースト ラ リア研究所(所長;ステファン・フィッツジェラルド元駐中国大使)主催の第5回 ア ジア・ヤング・リーダーズ・フォーラムに参加し、3月20日帰国した。  今回の会議は、シドニーで3月15日から18日まで、開催され、「経済発展、環境及び地域の安定―今日的問題、2020年代への課題」を総合テーマとし、次の3つの柱で構成された。

1.アジア金融危機
2.アジアの環境問題
3.安全保障

   環境問題は、マレーシア、インドネシアで97年にひどいスモッグの被害が あり討論テーマとなった。

 19日キャンベラを訪問した後、20日早朝成田に帰国したばかりの中島氏に、同夜 、同研究所小川彰主任研究員がインタビューした。以下はその記録です。

 なお、会議の参加国・地域はカンボジア、シンガポール、韓国、中国、台湾、マレ ーシア、インドネシア、フィリピン、ベトナム、香港、ブルネイ、タイ、オーストラ リア、ニュージーランド及び日本。会議は1年半に1回の頻度で開かれ、中島氏は第 4 回上海会議に参加しており、今回は2回目の出席。



【1.会議の概要】

中島  今朝成田に着き、一日仕事をした後なので、頭が回りませんのでごめんなさ い。でも、オーストラリアでは沢山の発見がありました。皆さんもあまりオーストラ リアのことはご存知ないとおもいますので、つたない報告ですが、メモなしでお話しい たします。全部記憶にたよっての話しですから間違いがあるかもしれませんが、これ もご免なさい。
 さて、私が参加した会議は、目的がひとつあります。それは、アジアの若手リ ーダー を集めてまるまる三日間討論させるというものです。もちろん言葉は英語です。そ の ような対話を繰り返すことで、将来にアジアを引っぱっていくリーダーを養成する と いうことだそうです。行ってみますと、若い人を引っ張っている年配のリーダーや 、 年齢若くしてすでにリーダーになっている人、将来のリーダーのたまごが集まってい ました。

 今回は豪州での開催でしたが、現地の力のいれ方はたいしたもので、15日の開 会 式には、ダウナー外務大臣(46歳)はもちろん、オーストラリア生まれの世界的メディア王マードック氏が、あいついで長くて、力のこもったスピーチをいたしました。そのあとで、150人の参加者の誰かひとりが、返事というか、答礼のスピーチをすることになっていまして、それを私がやることになったのです。日本を発つ直前に電話でそのことを言われまして 、飛行機の中ではいろいろ考えておきましたが、実際には、おふたりのスピーチがとても素晴しかったので、そのことに触れながら、思っていたことを重ねて発言しました。本当に忙しい中を、若い世代のために時間をさいて参加した、おふたりに感謝 の気持ちを伝えたかったものですから、外国人の参加者の代表としてお礼を言う機会を与えられて本当にうれしく思いました。

 外務大臣は、最近のアジアの危機について触れて、「タイ、韓国、インドネシアの危機に際して、3ヶ国に対するIMFパッケージ全てに参加しているのは、この地域でオーストラリアと日本の二ヶ国だけである」とおっしゃっていたの には、本当にそうなんだと、日本の役割をあらためて実感すると同時に、「私たち日本人はこの地域に対して、もっともっと貢献できることがあるのではないか」と思いましたので、私はお礼の辞を述べる際に、そのことをはっきりと申し上げました。参加者からは、たいへん大きな拍手をいただきました。
 16日の朝のセッションでは、アジアの今後のリーダーはどういう形であるべき か を、韓国のキム・テエチャン博士が発表されましたが、この人は今後注目すべきと 思 います。このひとは日本に住んでおり、世界中で講演をしてまわっている。彼の主 張 は「今後のリーダーシップの在り方は、新しい物を作っては立ち去る「クリエイテ ィ ブ・リーダー」ではもはや不十分であり、新しい物をつくった後に、それをオペレ ー トするところまで引き受ける「ジェネレイティブ・リーダー」でなくてはならない 」 と言っていました。彼は、「今の世代という、目先のことだけ視野においたのでは 不十分であり、かならずや将来世代も考えにいれるべきだ」と言っていました。  日本・韓国・中国に共通の儒教的な考え方をもう一度見直し、いいところを取 入れてはどうかとも言っていましたが、これは説明が長くなるので割愛します。

 第1セッションは、オーストラリアのABCテレビのマキシマン・マキューが司 会 をして、金融危機の話が出ました。タイの外務省の方が、タイの現状を大変わかりや すく説明したあとで、たいへん前向きにこの危機を捉えた発言をしました。これにひ っかけて、インドネシアの参加者が「新内閣は古体依然たるものだ」と自国政府の 批 判をしたのが面白かったです。ただ、別のインドネシアの参加者は、スハルト大 統領自身の人間性はプラスにとらえていました。  日本からは埼玉大学の下村先生が、学者の立場で今回の金融危機の原因 を理論的に説明しました。
 香港だかシンガポールの参加者が「Asian Value(アジア的価値)ということが 最 近あまり言われなくなってしまったが実際はどうなのか」とか、「Globalization( 世界化)と競争の進行は変えられない流れだ」という発言もありましたが、総じてま とまりのない、皆さん言いたい放題の討論になりました。

【2.ラジオ出演】

小川  オーストラリアでラジオに出演したそうですね。

中島 そうなんです。ラジオで5分ぐらい喋る機会がありました。15日の開会式で アドリブでスピーチをした話をしましたが、なんだか、そのスピーチが受けたらし くて、その晩のレセプションの席で、「明日の朝6時半からの国営ABCラジオの番組 に出てくれないか」と言われたので、お引き受けしました。沢山の人が出演するのか と思ったら、私とベトナムの外務官僚の二人で、10分の短い番組でアジアの若者の考えを意見交換するという企画でした。しかし、出演は決まったのに、「事前の打ち合わせはいりません」というので、なんとなく不安なままベッドに入ったわけです。

小川 スタジオで会談するんでしょう?

中島  そう思っていたら、違うのです。電話で対話するんです。それを全国に生放送するんだそうです。ベトナムの人とは前夜のレセプションでちょっと月並な挨拶をしただけで、実のある会話は何もしていません。顔ぐらいは覚えていましたが。そこで朝になりました。....... 私は朝6時半に起きて、6時40分にラジオ局の人から電話が入り、パジャマのま までベッドに座ったまま受話器を握りしめて待ったんです。ベトナムの彼も自分の部屋で電話の受話器をもっているとのことで、6時45分になったら、「あと2分でオンエアーします」とスタジオから言われました。  スタジオが「Miss Kuniko Nakajima, Researcher at the Okazaki Institute of Japan」と紹介したので、「Okazaki Institute」の名前がオーストラリア全土とアジアの一部に鳴り響いたと思いますよ。最初に私から話せと言われて、まず、ピータ ー・トムソンというオーストラリアでは名のあるラジオ・アナウンサーから質問を受けました。「日本の若者は21世紀どんな問題に興味があるか」という質問です。私は、直接答えてもインパクトが無いと思ったので、今回のフォーラムのテーマである金融危機にひっかけて、「日本もIMFを通して充分貢献している。日本もすてたもんじゃない。若者だって、しっかりしている」と言いました。ちょうど前日にインドネシアで橋本総理がスハルト大統領と会談していましたので、そのことにも触れました。ベトナムの外交官は、ベトナムの若者が前の世代とどういうふうに違うかという話をしました。若い人達は経済発展にかなり興味があり、新しい企業を起こすことにも積極的だと、ベトナムの宣伝をおおいにしました。  まあ、こっちも宣伝したわけで、宣伝合戦になりました。  そのあと、ピーターが「日本の古い世代と若者とはどう違うか」という質問を私 に振ってきたので、「日本の若い人は将来を楽観している。年寄は悲観的だと言って 、日本の若者の宣伝をしました。最近では、50歳代の社長が集団自殺をすることが 社会問題になっている。ただ若い人は将来に希望を持っている」と言いました。  そうしたら、ピーターが、「終身雇用制度が日本でも崩れましたね」と言うので 、私が「ハイ」と答えたら、「そういうことでは日本の若者は不安を感じないのか 」と突っ込んできました。私は「能力の有る人はいくらでも職が見つかる。問題は 、50を過ぎた人や、若い女性だ」と説明しました。  次ぎは環境問題を聞かれました。「日本の若者は環境問題に関心があるか」と聞 かれたので、私は「去年京都で環境会議が開かれ、私の友達も含めて若い人が NGO活動に積極的になっている。環境政策についても経済的な指標を導入したらどうかと 言っている人もいる」と説明しました。
 そこまで来たら時間切れになって釈放されたわけですが、最後にまた、「Miss Kuniko Nakajima, Researcher at theOkazaki Instituteでした」と紹介されました。  私は本番では、意識してたわけじゃなんですが、暗いニュースが多い中ですけれど、いかなる問題があっても、日本の若者は前向きに行くよ、ということを一貫して訴えることになりましたね。

【3.オープニングでの答礼スピーチ】

小川  話がもどりますが、外務大臣とマードックさんのあとでは何を話したんですか?

中島  私は、外務大臣とマードック氏に一人ずつ呼びかけを行ないました。外務大臣に対しては、外務大臣が「オーストラリアがこのアジア地域に対して今後も貢献を行なう」とはっきり表明されたことに対して、私は「ひとりの日本人の一人として 、ダ ウナーさんの発言を大変歓迎したい。私も、日本がアジア地域に対して今後も貢献を 行なうべきである」と言いましたら、中国や韓国の聴衆もそれを快く聴いてくださいま した。
 それから外務大臣が、将来の問題の解決のキーポイントは教育だと言ったので 、私 は「大変感銘を受けた」と言いました。具体的には何をいったか忘れましたが、拍手をいただきました。  それからマードック氏には、彼のニュース・リミテッド社の役割が大変重要であるから、わたしは賞賛を送りたいと言いました。彼のキーノート・スピーチには賛成だと言いました。そして、メディ アを外務大臣が言う教育に使っていったらよろしいのではないかと話しました。
 参加者の代表の紹介も簡単にしなければならなかったので、持ち時間がわずかだ っ たので、アドリブでやりました。外務大臣もマードック氏も、用意したスピーチをし たんです。私も原稿を用意してはいたのですが、それでは場が持たないないと思っ た ので、その場で聴いて感じたことを話しましたら、それが聴衆にたいへん受けたよ う で、終わったあとで沢山の方からたいへんいいスピーチだったと言われました。もち ろん、お世辞だとは思いますが、「あなたのが、いちばんいいスピーチだった」と 言 われたことは、大変嬉しかったですね。

【4.中国に対するイメージ】

小川  会議には中国が入っていますね。中国が入ると他のアジアの国々は話しにくいとか、言いたいことが言えないまま帰るということがありますけれど、そうではない 発言はありましたか。

中島  中国は最大の人数をこのフォーラムに送ってきました。14名です。一応これはセカンド・トラックの会議ですが、多分中国の政府からお金が出て彼らは来たん だ と思うんです。政府の立場できている人も、全員個人の意見を述べるというのが建 て 前ですが、中国の14名のうち英語をきちんと理解して話せるのは、ふたりの女性 だ けでした。この2人は発表者ですが、残る12名はほとんど英語を解さない。通訳は 付 けていましたけれど、充分なコミュニケーションは図れませんでしたね。何のために 参加してたんでしょうかね。通訳を付けた参加者の発言は、用意した原稿の棒読みで す。「中国はこれだけ努力をしている」とか、そういうプロパガンダでしたね 。(小 川  いつもやっていることですね)本当に政府の発言という感じでした。  ただ、パネリストとして女性の2人が発表したときには、フロアの方から、かなり中国に対して批判的な意見なり質問が出ました。

小川 答えにくい質問ですか。

中島  そうです。かなり出ました。たとえば最後のセッションでしたが、タイの新聞記者が、「中国はアジアの金融危機に対して何もしていないじゃないか」と言い ま した。中国人は、うまくかわして、「最近は、バンコクにもずいぶん中国人の観光客 が行くようになった。観光客がお金を落とせばそれなりの貢献ではないか」と(小川 馬鹿馬鹿しい)。そんなことをちょっと言っていましたね。
 安全保障の問題で、女性が発表しました。かなり厳しい質問が出たときに、彼女は どこまで自分の意見を言っていいのか、ちょっと答えに詰まっていた部分があった と 思います。彼女は「私は政府のスポークスマンではなく、個人である」と前置きしていましたが、いざ質問に答える段になると、歯切れが悪い。あとからあとから参加者の質問が集中して、ちょっとかわいそうな気もしました。

小川 表だって中国を批判するような発言というのはありましたか。

中島  それは大変少なかったと思います。それでも、タイのジャーナリストが多少言ったことは印象的でした。彼は「日本や東南アジアのマスメディアが中国政府を批 判できないのは、中国の報復がこわいからだ」とはっきりと言っていました。
 中国に対して、もっと好意的に考えているかと思っていましたら、皆さんそうで も なかったですね。インフォーマルに話していると、必ずしもいまの中国に安心しき っ ていない。

小川  それは好意的ではない、というだけではなくて怖いんでしょう。報復される たり、いじめられるから。台湾からは誰か来ていたんですか。

中島  台湾からは二人学者の方が来ていました。一人が台北、もう一人が台東の方ですが。

小川 何か面白いことを言っていましたか。

中島  「これからいろいろな会議で、セカンド・トラックにしても何にしても、中国と話をしていかなければいけない」と言っていました。たいへん頭の切れる人で 、積 極的に議論にも参加していました。

小川 中国を入れて話をしようということですね。

中島 そういうことを台湾の方がおっしゃっていました。

小川  中国がいくら出てきても、ファースト・トラック丸出しの議論をされたって 困じゃないですか。

中島 政府を擁護するような意見は言いますが、やはり英語ができる人は少しずつ 変わってきていると思います。

小川  そうすると、そういう人は引き出してきて、英語を媒体にエンゲージしたらよいということですか。

中島  そうだと思います。今回大変面白かったのは、台湾と中国と香港を別扱いにして、ひとつのテーブルに3者をのせたことです。これは私の印象ですが、1年半前の 上海会議では、香港の中国返還前でしたから、発表者にも香港の方が含まれていた 。 英語も流暢で、積極的だったんですが、今回はやや、おしゃべりな香港人がとって も 静かでした(小川 香港総崩れ)。総崩れまで行かないけれど、ちょっと元気がないなと思いました (小川 それは当たり前だね)。
 それで、今年は、「中国大陸の方が元気があるな」と感じましたね。今年は、英語 ができる中国人の女性が活躍しました。リー・シャオリン女史はテレビにも出演したんで す。その時には、彼女は「中国は80%が農村人口で、まだまだ貧しい。だから中 国 は、内部の安定が必要である。だから、外とは仲良くします。中国は平和を保ち 、経 済発展も含めて内部的なことに重点を置いていきたいと。中国は軍事も平和に使いま す」と言いました。これは政府と同じ言い方でした。彼女は、政府からいろいろな賞 を受けたりしています。

小川  それは、中が忙しいから外に対しては優しい中国ですよ、と言っているわけで、中が治まったらまた出て来るんじゃないの、と思うんじゃないですか。

【5.ベトナムの話と2つの小話】

中島  食事のときに、たまたま横になった方がベトナムの方で、「中国というのはまだまだわからない」としみじみと言ってました。彼によると、中越の国境では、いま だに中国が国境線の杭をベトナム側に毎日寄せてくるのでベトナムも困っているそう です。ベトナムも、その杭を毎回元に戻すのだそうです。それがいま現在、毎日行 な われているということなんです。
 ベトナム戦争で、中国がベトナムを支援してくれた時に、平和の門を中越国境に立 てた。「現在平和の門がどこにあるか実際に見に行ってみてごらんなさい」と彼が言 うんです。「それは両国の国境線上にあるのではなく、国境線から2キロ中国にはい ったところにある」と彼は言うんです。

小川 平和の門ができてから、中国の国境が2キロ進出したということですね。

中島  ベトナムでも政府の人はそんなことは言いません。ベトナム外務省の参加者はやわらかくお行儀がいい。ちょっと日本の批判をしたので、私はそれに反論しました が、とにかくおとなしい方でした。
 一方で、私になんでも話してくれたのは、ベトナムの労働連合の幹部の方でした ( 小川 筋金入りだな)。そうですね。
 また私が笑ってしまったというか、信じられなかったのが、去年ベトナムに中国の 教育大臣がいらしたらしいんですが、そのときに教育大臣がもっていた地図には、中 国の国境がインドネシアに近いところにあったという。そ ういう話を聞いたときに、信じられないぐらいびっくりしてしまいました。

小川  なんでそういう地図をもってきたのか。わざわざ見せたのか。また持っていた地図を開いたらそうだったのか。

中島  それはわからないんですけれど。それから、面白い小話を聞きました。二つあります。
 まずインドネシアの参加者の小噺です。スハルト大統領に「あなたはこんなに長 く 30年間も大統領されていいんでしょうか」ときいたら、大統領が「二年前まではマダム・スハルトが生きていたから、私が大統領になったのはたったの二年間です」と答えたと いう話。
 オーストラリアの小噺も仕入れました。台湾の参加者が私に教えてくれましたが 、 「マルチカルチャー、マルチカルチャー(多文化主義)ということをしきりにオ ーストラリア人はいうじゃないか。実際オーストラリアは白人ばかりだが、それで本当に マルチカルチャーなのか」と聞いたところ、「もちろん、マルチカルチャーだよ 。イ タリア系もいればドイツ系もいる、イギリス系もいるじゃないか」と答えたという 。

【6.安全保障の論議(マルチとバイ)】

中島  今回はマルチの場でしたから、ダウナー外相の訪日直前の会議ではありまし たが、今後の日本とオーストラリアの外交、貿易協力等二国間関係についてはあま り話はできませんでした。
 それでも、日米ガイドラインと米中関係というバイの関係は議論されました。日米 新ガイドラインは充分に理解されていない気がしました。韓国の参加者は、「日本政 府があれは状況によって範囲が決まるんだといったけれ ど、範囲というのはもともと地理的なものではないか」、ということを言っていました。ベトナムの外務官僚は、「日米ガイドラインで日中関係が悪くなった」とか 、「わざわざ新しいガイドラインを策定する必要はなかった」と言うので、私は日本人 の参加者の一人として、これはきちんと説明しなければいけないと思いました。
 そこで、まず、ガイドラインは新しい条約ではないことを強調しました。このガイ ドラインは1960年の日米安保条約をよりよく運営する具体的指針を定めたもので あるという基本的な説明をしました。それによって日米同盟、日米関係が強固なもの になるわけです。しかも、それによって日中関係が悪くなったという兆候はひとつも ない。現に今年の初めに中国の国防大臣が来日しており、防衛交流が始まっている、 と反論しました。

小川 他の日本の参加者はそういうときは黙っているだけですか。

中島 そうですね。日本からは4名参加しましたが、何も言わずにいましたね。私 のほかに来ていたのは、NIRAの女性職員がひとり、マードック氏の会社と提携したJSKYBの人事部長の男性、それから埼玉大学の下村先生です。 下村先生はご自身の専門である金融危機についての発表だけなさいました。

小川 安全保障についてわかる人は、他に一人もいなかったんですね。

中島 はい。ただ私が発言をしたら、JSKYBの人事部長が、「あなたには、 たいへんいい発言をしてもらいました」と、日本人として、私の発言を歓迎してくださいました。

小川  安全保障のセッションでは、日本の参加者はあまり知識がないので、全くわからず、何の答えもできないし、言われ放題で帰ってくる。つまり、相手の発言を公開 の場で認めたということになることが多いですね。いまの韓国の発言者や、ベトナム の発言者も、自分でも言っていることがわかっておらずに、何か感じたこと、所感を 述べているだけみたいですね。

中島  この韓国とベトナムと中国の発表者に共通していたのは、安全保障でのマルチラテラルの重視でした。

小川  バイの関係の方が大事だということが十分にわかっていないで、単にマルチがいいという話をしているんでしょうか。それとも、十分にわかっていて、何か魂胆があって、日米の関係を弱 めたいという議論に引き込もうというのですか......。

中島  どの程度理解して話していたかは、あの場では、ちょっとわかりかねました が、冷戦後の若い世代はマルチがいいんだと安易に考えやすい。そのようなイージ ー な思考の現われかもしれませんね.....。

小川  マルチでみんなで仲良くしましょうという単純な発想?

中島  そういう印象を受けましたね。ですから、充分に議論する時間がなかったので、公式討論が終わってからですが、私は、「マルチが今後重要になるという考え方 には必ずしも賛成しませんよ」と彼らにはっきり言いました。  やはりバイラテラルな関係がしっかりしないといけない。この上にマルチの場が 乗る。ふたつは、補完関係ですが、バイあってのマルチです。また、ふたつの補完関係がないと、きちんと地域のことはやっていけない、と言いました。  そうしたら、さすがに彼らも、「われわれは、非常に長期的に考えているだけで 、バイラテラルな関係を軽視しているわけではない」と弁解していましたが、比較的 ソフトな考え方というか、やわらかい考え方で、あれでは、危ないと思いました。

【7.キーティング前首相を囲んで】

中島  キーティング前オーストラリア首相と対話をする機会もありました。キーティングさんが来て、みんなで囲んで話を聞いたんです。Dialogue with a leaderとい うセッションでした。キーティングさんは日本のことに大変詳しか った。現在の日本の内政の話、経済社会のことも詳しいし、日本の国際関係についても大変詳しい。私があとで、「日本にずいぶんお詳しくいまだに関心を持ち続けていらっしゃることに感銘します」と言ったら、「I like Japan」といってくださいました。
 そのキーティングさんが、「セキュリティ・ダイアローグ(安全保障の対話)の場 として、APECも重要である」と発言しました。「いまはARFがあるが 、ARF では充分ではない。なぜなら、ARFはASEANが中心だからだ。今度は APEC の非公式会合、首脳会議でも、経済問題のみならず、政治、安全保障の問題も扱うべ きだ」と提案されました。ただそれについては、会場にいたASEAN諸国の参加者 達は必ずしも賛成していませんでしたが...。

小川 そもそも、参加者は安全保障のことがよくわかっていないようですね。

中島  その通りです。しかし、それだけではなく、それは大、中、小国というお国柄の違いですね。
 私はAPECまでも安保対話の場にしようではないかというキーティングさんをレアリスト(現実主義者)とは思えませんでしたから、セッションの後で、個人 的に彼の考えを追及してみました。すると、こう言いました。  「なぜARFではなくて、APECに持って行きたいかというと、それはアメリカがいるからだ。アメリカがこの地域でビッグプレイヤーである以上は、アメリカが 主導するAPECに安全保障の話を持って行くべきである。そして、中国ともAPECで話をしていけばよい」。
 キーティング前首相は、「97年の米中首脳会談が実現したのも、APECが推進 役になったからである。APECで両方の首脳が顔を合わせ、ちょっと話を交えたり、人を 介 していろいろ話をしているうちに、やはり直にやりましょう、という話になった 」と いっていました。彼の本音を聞いて、実は彼はレアリストであると、私は納得しました。

小川  キーティング戦略というのは、あくまでもアメリカを巻き込むというものですね。その方便としてAPECの場を利用して行くべきだということですね?

中島  そうです。それに対して、ASEAN諸国というか、ベトナムの人やタイの人がいっていたのは、「それは、話としては、わかる」と。しかし、安全保障の議論が 、APECの場にいってしまうと、やはり注目されるのは、日米中露だけになって し まう。(小川  あたりまえじゃなない!)。そうすると、自分たちの国は本当に隅 の 方で、小さな存在感しか示せなくなってしまう....。

小川  それは当然じゃないですか。小さな国が、4大国のそばにいたら、小さな顔をするしかないわけですね。
 キーティング発言についてもう一つ質問があります。  アジアにはわけがわかっていない国が多いわけですよ。自分の将来のこともよく考えないで、たとえば、インドネシアみたいに、ひょっとしたらシーレーンを止めたりしかねない国もある。
 キーティングさんが「ASEANの場で安全保障の話をしましょう」と言うのは 、 そういう考えの近視眼的な国の指導者を啓蒙するいい場だから、そこに「生徒」を 並 べ、安全保障を長期的に見るとアメリカのプレゼンスがどうしても必要なんだよと教 える場にしたい」と考えているんじゃないか、と思ったんですが。これは私の想像 で すがね。

中島  それはあるかもしれませんね。ただ私も、ASEANの国の外交官なりエリートが言うことが理解できるのは、いま内政と外交が密接化していていますよね。マス メディアが発達すると、APECやARFのことをマスコミが国内でも、大々的に報 道するわけです。そうなると、自分たちが国際的な場でも、ある程度イニシアチブを とり、主役か準主役で報道される場が欲しい。自分たちが隅っこで報道されるのはたまらないという気持ちがあるんですよ。

小川  それは考え方に無理があると思います。というのは、安全保障はアメリカが圧倒的に強くて、アメリカの存在がなければどうしようもないというのは誰もがすでに 認めていることだけれど、アジアの経済危機で結局わかったのは、経済においてもア メリカの一人勝ちだということですよ。
 円経済圏なんていうのは、もろくも崩れたし、ユーロマネーなんていうのも実態が ないということがわかった。だから安全保障分野のみならず、経済分野もアメリカが 非常にドミナントになった。
 その流れで行くと、キーティングが言っていることについて、日本も支援すべき だ と思うんです。アジアの国は実態がないのに、小さな役割しか与えられないのは困 る とか、国内的にみっともないとかいっても、それは意味がないと思うね。

中島  私も流れとして、APECでも安保対話の可能性があると思います。もとも とG7サミット(先進国首脳会議)も、石油危機を契機に経済問題を討議するため に始まりましたが、今では政治、領土問題まで言及するようになっています。

【8.オーストラリアと日本】

小川  いまアメリカ自体に戦略がなくて困っているという話(省略)がありましたね。 中島  そうですね。冷戦が崩壊して、アメリカも今後の戦略をどう立てたらいいか というのがわからないんですが、オーストラリアも、いままさしく戦略を模索中でし た。
 まもなく、オーストラリアは、共和国になります。その場合、どんな形式で共和 国 になるか。オーストラリアが国としてどういう方向に、どういう位置づけで外交をし ていこうか、いままさしく自問自答していて、政権も変わり、模索の時期かなという 気がしました。

小川 自問自答できる贅沢を享受しているのがオーストラリアだと思うんですね。  日本と同じで島国だから、敵が攻めて来るわけでもない。しかも経済的にインド ネシアとかタイみたいにメタクタになっていないわけだから。そうするとものすごく贅 沢な選択肢がたくさんある。オーストラリアは中国を敵に回したっていいんだし 、何 をやったっていいんですからね。

中島  本当に今回も行って感じたのは「平和な国だな〜」ということですね。日本 は完全に平和ぼけしてますが、オーストラリアも、平和ぼけのボーダーラインすれすれといったところでしょうか。

小川  僕が97年にオーストラリアに行ったときに、国会議員などの有識者はみんな「共和制することは馬鹿げた選択だ」と言ってました。「共和制にしていいことは な いんだ」といっていました。王政のメリットというのはあるし、一度やめたら二度と王 政に戻れない。
 「しかし、ポピュリズムには負けるよ」と有識者はいっていました。オーストラリ アは民主主義でみんな豊かで、結構人気で動く国だから、どこに行っちゃうかわから ないですね。

中島 いまの話をうかがうと、なるほどと思うところが多いですね。  王政の話で思い出しましたが、インドネシアの参加者が面白いことを言っていま した。マレーシアはインドネシアと同じマレー系の国だが王政をしいて上手く行っている。自分たちは共和制だが、今回の金融危機にみるようにひどい情況である。いっそ君主制にしたらどうかと冗談交じりに言っていました。どこでも民主主義 が進むと共和制の方向に流れていますが、逆にキングを持った方が良かったと言っ ていたのは、発想の転換というか、面白いと思いました。  が、今回私が一般のオーストラリア人と話して気づいたのは、支持率からいっても、共和制へ動く。(小川  もう、それで決まりですね)。ただそれがどういう形の共和制か 、ほんとうにそれこそイギリスとの関係も、ガバナー制度をなくすのか、そういう細かい部分についてはまだまだ議論があるので、そう早いうちには決まらないと言っ ていましたね。

小川  オーストラリアで物事をきちんと決めるのはものすごく難しいことで、特に 「エリートという言葉が禁句」になっている国なんです。実際にエリート階級の連中 も、自分がそうではないというふりをしているし、誰が大きな物事を決めていくかと い うと、誰も決められないんですね。しかも政治に対する関心はものすごく低い。  この話をしていくと、なんだかガリバー旅交記のまねみたいで、日本を批判するの に、カンガルーとエミューの国を引き合いにしているように聞こえるかもしれませ ん が、オーストラリアでは政治家になるには、馬鹿に見えるか、馬鹿でなければでき な いといわれているんです。これは、国会議員から直にきいた話ですし、メンディース 首相の伝記を読んでも、はっきりとそう書いてあります。(メンディースは聡明でし たが、「かれはオーストラリアの政治家としては例外的である、とあるんです)  しかも、この国では、選挙に行かないとペナルティを課すんです。二万円ぐらいの罰金を払わなければいけない。そこまでやっても投票率が上がらないんですね。政治に関するものすごい無関心、それから国がどこに行こうと生存には響かないという 贅沢、日本にすごくよく似ていると思うんですね。  さらに日豪の共通点はまだまだあります。  お互いにアメリカと補完関係にあって、アメリカもこの地域については、たぶん 右腕、左腕のように期待していると思う。
 中島さんがおっしゃった通り、アメリカ自体にアジア戦略がないというのはその通 りなんですが、むしろアジアに対する関心の度合いがものすごく低くなっている。  だから日本も自分の周りのことは自分で考えなければいけないし、オーストラリア も自分で自分の周りのことは考えなければいけない時代にわれわれは生きているんで す。だから日本とオーストラリアがともにこれから話し合って、この地域をどうやっ ていこうかという対話のチャネルは広げていかなければいけない。  それはなかなかマルチの場ではできないと思うんですね。バイの場で、オーストラリアとつるんでおいて、マルチの場で、他のわけのわからない国を引っ張っていく (中島  そうです。それは大事ですね)。それで、結局はインドネシアやフィリピンも最後には恩恵に浴するわけですから、言葉は悪いが、当座は騙してでもいいから APECに引きずり出して、そこでアメリカを交えて安全保障の話をすればいい。そういうふうに持って行かないと、みんなのためにもならないと思います。

中島  今回の訪問で、私は、オーストラリアがアジアから遠くて、アジアのことを意外と知らないことにショックをうけました。オーストラリアにはベトナム系や中 国系の移民も結構いますから、そういう点でアジアのことはもっと知っていると思 っていたんですが、思ったよりアジアのことを知らない。そういうことを現地に行 って初めて感じました。オーストラリアの文化的なもの、歴史的なものも、戦争記 念館に行ったときにも思ったのは、本当に、この国はヨーロッパの一部なんだとい うことです。日本では、戦争の歴史というと、第二次世界大戦(太平洋戦争)が主です。韓国の戦争記念館では、朝鮮戦争が大半を占めていました。しかし、オーストラリアでは、欧州が戦場の第一次大戦が中心の戦史でした。それもそのはず、オ ーストラリアは第一次世界大戦で6万人の死者、犠牲者を出している。

小川  それも当時オーストラリアの人口は500万人ぐらいしかいなかったでしょ う。

中島  それで6万人の犠牲というのは大きかったと思うんですが、ちょっとヨーロ ッパ的な歴史の解釈だと感じましたね。特に、私が高校時代に留学したフランスで教 わった歴史の授業やそこで読んだ歴史の本を思い出してしまいました。欧州では 、第一次世界大戦はとにかく苦い経験だったのです。

小川  僕もオーストラリアに去年行きましたが、人口は神奈川県ぐらいの人口なのに(注:オーストラリアの現人口は1800万)、6万人もの人が戦死している(注:当時の人口を500万とすれば、実に90人から100人に1人の戦死者)のには驚きました。オーストラリア人の戦死者は、第二次大戦、ベトナム戦争全部合わせても、とても 、そんなにならないですね。  彼等は「偉大な戦争」と呼んでいる、その戦争で、6万人の何倍かの人が怪我をし、一家に一人の割合で、国民全員が怪我をかかえた。それはオーストラリアが独立するために、そして、イギリスのくびきから脱するために払った血の代償だと思いま す。
 ニュジーランドとオーストラリアの連合軍「アンザス」の欧州派遣で、いちばん 大 変だったのはガリポリに連れて行かれたことでしょう。ガリポリの峠を攻め上って 、 たいへんな死者が出たんです。オーストラリアの戦争記念館にはガリポリの戦いの ジ オラマがありますね。
 僕はその話を聞くたびに、もし日本が日英同盟を守って、ヨーロッパに陸軍を送 っ ていたら、日本が行かされたのは、やはり、ガリフォリに決まっている。それを 、言 って見れば、オーストラリアが代わりに行ったわけです。その代償は何かというと 、 オーストラリアの国の建国の出発がそこにあるんだと思います。だから、戦争記念 館 にジオラマが置いてあるんですよね。
 不思議なのは、第一次大戦のときのドイツに6万人も殺されたにもかかわらず 、日 本の方を恨んでいるんですね。日本との戦争では、死んだ人の数というのははるか に 少ないですよ。たしか何千人の単位ですよ。それなのに、なぜあんなに恨むのかとい ったら、シンガポールを取られたのがすごくショックだったんだね。絶対安全だと思 っていたところに日本が入ってきて、シンガポールを取られたことが大ショックだ っ たんですね。
 それから、もうひとつオーストラリアの内部に強制収容所があって、日本人は危 な いというので、強制キャンプに移したわけです。そうしたらそこに入っていた日本 人 が「お国のため」といって、ナイフとフォークを改造して監視を殺して、砂漠の何 も ないところを何百キロも脱走した。何のために脱走したかというと、国のために死 に たいと。それで、日本人というのはものすごく気味の悪い国民だという印象をいま だ に与えているストーリーだと聞いたことがあります。

中島  なるほど、そうですか。オーストラリアの歴史を見ると、いまだにコモンウ ェルスの一員で、今回キャンベラの新しいパーラメントハウス(国会議事堂)に行きましたけれど、1988年の議事堂のオープニングにもエリザベス女王が登場。都市部に行ったときは、イギリスの植民地文化、コロニアルカルチャーを建築とか町並 みにすごく感じましたね。
 戦争記念館を訪れたときに、オーストラリア人のガイドの方で、かなり戦争の歴史 に詳しい婦人がいました。おそらく家族をなくされたりして、それこそ、家族ぐるみで第一次大戦の戦場になったフランスに遺骨とか、足跡をもとめて調査に行っている方でし た。その方にとっては、日本人の私が自分の話を聞いてくれるということが嬉しかったら しいんですね。「日本人のツーリストはずいぶんたくさんこの記念館にいらっしゃ るけれど、みんな自分でガイドを連れてくるので、どんな話をしているかわからな いわ。」といっていましたね(小川  あやしいものですね)。「ちゃんとした事実 を知らせてくれているのかしら。」と疑問をもって言っていました。「事実は事実 で、私ははっきり日本人は捕虜に対して適切な扱いをしなかったとか言いますが 、それは二度とそういうことを繰り返さないために言っているんです。」ということをおっしゃっていました。それで私は熱心にその方の説明を聴きました 。1941年にオーストラリアの戦争記念館が初めてできたときに、日本の大使が 献花をしてくれた。ただその二、三週間後には、パールハーバーが始まった。あの大使は日本の参戦を知っていたのかしら、ということを話されました。だからとい って、そのご婦人は必ずしも反日的な方ではなく、自分のご兄弟は戦後、日本人が ボルネオ島の入りにくい場所に遺骨収集に行く時に一緒に行ったというエピソード なども披露してくれました。二時間ぐらいにわたる長い説明を聞きながら(改修中で館内は半分位しか見学できなかったんですが、)オーストラリアの戦史を見て回 りましたが、ツアーの最後には、そのオーストラリアのガイドさんが本当に喜んでくださいました。戦争を体験した方ですね。握手を求めて、本当に長く話を聞いて くれてありがとう、と言われました。

小川  ラジオ番組への出演、国際会議への参加や、戦争記念館の見学と、あまりふつうの日本人がしないことをして、友好をあたためてきたようで、たいへん結構でし た。

中島 ありがとうございます。

〈以上〉


速記者 丹羽 清隆
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