米海軍と私
第7艦隊旗艦ブルーリッジと空母キティフォークを訪問して

(航空自衛隊連合幹部会機関誌『翼』(平成12年5月、第23巻(第62号)薫風号)掲載)

鈴木(中島)邦子
(外交研究家・政策研究大学院大学RA)

<はじめに>

 一見すると、私はおっとりタイプで、およそ「国防」とか「軍事」というものには縁遠い女性に見えるようである。が意外に、仕事上や自分の関心もあり、自然とこれらの事柄と密接に係わるようになった。中山太郎衆議院議員(元外務大臣)の秘書をしていた1996年は、与党沖縄問題プロジェクトチームの随行員として渡米し、ペンタゴン(国防総省)をはじめ、ノーフォーク空軍基地やホノルルの太平洋軍総司令部(CINCPAC)を訪問した。国内では、自衛隊の横須賀、入間、千歳、百里等にある基地、施設を見学させて頂いた。1997年から1999年まで研究員として勤務していた(株)博報堂岡崎研究所(所長:岡崎久彦元駐タイ大使)では、継続して日韓安全保障対話を行ない、江田島、呉の基地や幹部学校を訪問したり、韓国軍50周年記念の国際観艦式に招待され鎮海、釜山の軍港を訪れたりした。これら一つ一つの経験が私にとって貴重であり、多くのことを学ばせて頂いた。各々の機会を与えて下さった方々、様々な場面で親切にして下さった方々に改めて感謝申し上げる。

本稿の依頼を受けた時、何を書いたら良いか迷った。率直に尋ねたところ、編集長より「出来ましたら米空母に乗艦されたことを。日本は空母を保有していませんから。」と言われた。従って、以下では「米海軍と私」というテーマで、米航空母艦(空母)見学のことを中心に語りたい。また、最近米海軍が主催した「女性歴史月間」の昼食会に招待されたことについても触れたい。

I 米航空母艦「キティー・ホーク」着艦・発艦を体験して

 一年ほど前の1999年3月4日、まだ肌寒い日、私は米軍厚木基地に向かっていた。米軍基地の集合場所は、小さな飛行場の搭乗口のような所だった。カウンターで紙に氏名、行く先(「Kitty Hawk」)、もしもの場合の相続人氏名、続柄等を記入。待合室では、10年来の友人、米国大使館政治部のアルフレッド・マグルビー氏と偶然会った。「どうしてここに?」どちらともなく尋ねた。私は、米海軍報道専門官の長尾秀美氏のお声がけで、(社)国際経済政策調査会理事を務める元通産官僚、加藤周二氏のお誘いもあり、(株)博報堂岡崎研究所の上司、小川彰氏と共に今回の空母見学に参加した。マグルビー氏は、日米ガイドライン関連法案特別委員会の理事を務める国会議員の先生方(中谷元議員、田中真紀子議員等)を案内してのことだった。お互い、空母への着艦、発艦は初めてだったのでやや興奮していた。「とにかくディズニーランドや遊園地の比ではありません。しっかり指示に従って腕を組んで足を踏ん張って下さい。荷物は飛びますから持たないで預けて下さい。」既に何十回と空母への発着を経験している長尾さんが説明するまなざしは真剣だった。普段からあまりジェットコースター等が好きでない私。不安と未知の経験への好奇心が入り交じる。

 以前国会議員の秘書をしていた時に、航空自衛隊の入間基地から千歳まで輸送機に乗せて頂いた事がある。その時は、事故の場合の識別章を首から下げハンモックのような席に横並びに座ったのを覚えている。今回は様相が違った。重みのある厚手のジャケットとゴーグル付きのヘルメットが配られ、着用した。座席は操縦席に対して背中合わせで、腰のベルトの他、肩からしっかり締まるベルトが付いていた。機内は暗く、窓はほとんどない。さすが軍用機だと思った。米軍のパイロット及び案内役乗組員は勇猛果敢でほれぼれするようなハンサム青年達である。

 厚木から房総沖のキティ・ホークまで飛ぶ。天気は快晴で穏やかな日だった。着艦の許可が空母から届くまで、空母の周囲を何回かまわっていた。いざ着艦。とにかく機内は暗く狭いので実際何が起きているのか、自分がどこにいるのかよく分からなかった。いきなりドスンという凄い衝撃音とともに、お尻と背中を打たれたような感覚があった。無事着艦。特に怖さはなかった。到着するやいなや後ろの扉が開いてすぐ降りるように指示される。そして誘導されるままに甲板上に並ぶ。早速、エンジン音の中で、記念撮影。空母内見学。食堂、売店、居住区からコンピューター室、操縦室等あらゆる所を見学させて頂いた。5千人が働き生活する空母の大きさは、まさに「洋上都市」そのものである。特に、広い屋内の修理場のような所に戦闘機が並んでいる様相には圧倒された。作業員が忙しそうに行き来していた。米国の開放性(openness)には、いつも印象づけられる。殆どどこでも写真撮影可能。米国は自国の力に自信があるからだろうが、同時に、来訪者への暖かいもてなし(hospitality)の模範をみたような気がした。キティ・ホークで特に印象に残っている所を記すと、一つは全世界のネット網が一目瞭然にコンピューターからスクリーンに映し出される部屋。ワシントン(ペンタゴン)やホノルル(CINCPAC)とのホットラインも敷かれている。まるで映画の世界だ。有事の場合の指令がここでやりとりされると思うと少し緊張した。もう一つ、空母への発着訓練を瞬時に記録している所も印象的だった。次々と艦載機が離艦、着艦する様子がスクリーンに映ると同時に、記録をボードに手書きで付けていき(消したり書いたりとにかく忙しそうだった)、パイロットの成績を判断する。空母ならではの大変な訓練である。上階のコントロール室から窓越しに実際の発着を見て説明を受けた時も凄いと思わずにいられなかった。まず着艦の場合。通常、陸の滑走路への着陸の場合は、航空機はだんだんと速度を落として長い滑走路をスーっと滑るように着陸し停止する。が空母の場合、短い甲板に着艦しなければならない。その手法にワイヤーが使用されている。甲板上に張られている4本のワイヤーのいずれかに引っかけて着艦、停止するのである。陸と異なるのは、もしワイヤーに引っかからなかった場合、速度を落としていてはそのまま海に落ちてしまうので、着艦直前にはエンジンを全開にしもう一度海上を飛び、再度挑戦しなければならない点である。従って、ゆっくり照準を定めて着陸というわけには行かない。瞬時の判断で着艦するわけである。

 では、離艦の場合はどうか。この経験はすごかった。着艦どころではなかった。例えば、2~3千メートルの陸の滑走路ならば、徐々に速度を上げて機体は斜めに飛び立つわけだが、約80メートルしかないキティ・ホークの滑走路では、「滑走」もままならない。一瞬にして飛び立たなければならないのである。「カタパルト(catapult)発進」と言われる由来はその装置にある。甲板から機体を上空に投げ出すしくみである。実際に体験してその凄さが初めて分かった。「百聞は一見に如かず」と言うが、「百見は一体験に如かず」と言いたい。座席に着くと、肩のベルトの締まりを念入りに点検された。上手く締まらない場合、即座に座席を変わる。少しでも緩んでいるとぎゅっと締め直された。ヘルメットもゴーグルもしっかり着用するように言われ、両足を踏ん張り両腕はクロスし肩ベルトをつかみ前傾姿勢にする。あっと思う間もなく離艦は一瞬の出来事だった。地球の重力に逆らって機体は猛スピードでほぼ垂直に飛び立った。その勢いで私は一瞬気を失った。目の前が暗くなった。足を踏ん張るといっても踏ん張りきれない。足は宙に浮いている。気を失ったかと思ったら、ヘルメットに付いていたゴーグルのゴムが地上の重力に引っ張られて私の顔の前にぶら下がり、そこから機内の明かりが差し込んで目の前が明るくなった。ゴーグルが飛んで行ってしまわないかと慌ててゴーグルを手で押さえた。とにかく宙吊り状態の私の身体。この肩のベルトはまさしく命綱。これがなかったら私の身体は機内後部に叩きつぶされていただろう。これらは一瞬の出来事。次の瞬間には機体は水平に飛んでいた。ほっとした。

 キティ・ホークの発着訓練を見て思った。米軍パイロットはこの命がけの訓練を日に何回もしている。高度な技術と、精神力、体力が要求される。どれか一つでも欠けたら命が危ない。若くないと出来ない。国、地域ひいては世界の平和・繁栄のためとは言え、並大抵なことではない。天候不順や夜間訓練には更なる危険が伴う。厚木では夜間飛行訓練の騒音がしばしば問題になるが、パイロットも何も危険の増す訓練をしたくてしているのではない。いざという場合に備えて訓練しなくてはならないのである。住民と米軍とのより一層の理解があれば、問題は解決策を見出すだろう。(キティ・ホークについて詳述したものとして「正論」平成12年1月号掲載の大島信三氏の「太平洋上の空母『キティ・ホーク』に降り立つの記」が面白い)

II 「女性歴史月間」昼食会と米第七艦隊「ブルー・リッジ」見学

 本年(2000年)3月31日、米第七艦隊「ブルー・リッジ」主催の「女性歴史月間」の昼食会に招かれた。友人のスザンヌ・バサラ米海軍大尉が運営委員の一人で、外部から招待客を呼び海軍水兵との交流を積極的に図ろうとしていた。この時私は既に妊娠9ヵ月目に入っていてかなりお腹が出ていた。体調は良かったが気が引けて出席を躊躇していた。バサラ女史には「体型だったら気にする事ないわ。米海軍では出産まで働けるように妊婦用の制服まであるのよ。」と励まされて、結局、横須賀まで出かけることにした。桜の開花を間近に控えた春の陽光が眩しい日だった。米海軍基地に着くと、りりしい制服姿のバサラ大尉が現れた。目を見張った。金髪で細身の彼女は、普段会うととても優しく女らしい。その彼女が海軍士官として戦略計画等に携わっている。その姿を初めて垣間見た気がした。

 「昼食会」のお誘いを受けた時は、女性ばかりの気楽な集まりかと思っていたが、実際来てみて驚いた。米第七艦隊ブルーリッジの公式行事の一つであり、出席者は司令官、艦長を含み男女が入り交じっていた。式次第も極めて米国的で、冒頭と最後には全員が起立しブルーリッジ専属の牧師が祈りを捧げる。この日のテーマが「女性歴史月間」なので、例えば、「神はこの世に男性と女性を創った。女性は歴史上、数々の貢献、活躍をし、重要な役目を担ってきた云々」と心打つ祈りが述べられる。冒頭の祈りの後は、ブルーリッジの黒人水兵が謳う米国国歌を起立したまま拝聴した。会食の合間に、詩の朗読や歌がブルーリッジの女性メンバーによって披露された。また、空母キティ・ホークからスナイダー少佐が空母初の女性士官として招かれ賞賛された。ゲスト・スピーカーには、米国大使館広報部のルイーズ・クレイン女史が招かれた。彼女は米国国務省にキャリアとして採用された初の女性の一人。1960年代の事だった。その頃は結婚したら辞めるのが当然のように思われていて、米国国務省でも既婚女性が仕事を継続できるようになったのは1970年代に入ってからのことだった。日本より進んでいると言われる米国での女性の活躍だが、それも一朝一夕でなったものではない。数々の女性の努力と継続の歴史がある。この昼食会はとても有意義なものだった。私はとても励まされた。妊婦は恥じることではない。私の存在が他の女性を勇気づけることになるかもしれない。堂々としようと思った。私と同じように外部からの特別招待客としては、道伝愛子NHKアナウンサー、トシコ・カルダー(米国大使特別補佐官)夫人等が出席していた。食事をしながら私は両隣の黒人水兵(男女)と会話を楽しんだ。彼らは自分の職業に誇りをもち、しっかりしていた。女性水兵は若干23歳だと言う。高校を卒業して音楽の先生になろうと思っていたが(彼女は仕事では情報システム関連をしているが、ピアノや歌が得意で、この日も美しい歌声を聞かせてくれた)、海軍で採用されたので入った。日本での滞在を終えたら米国に戻って勉強をさせてもらい、その後は英国への赴任が決まっているそうだ。若いうちに世界中を廻り様々な文化に触れながら成長して行く彼女は精神的に大人だったし、その眼は輝いていた。

 では、彼らは船上でどんな生活をしているのか。昼食後、バサラ大尉らの案内で道伝さんやトシコ夫人らと共にブルー・リッジを見学させて頂いた。民主主義国家といえども軍隊は階級社会である。食堂は、士官用、中間職用、水兵用とキッチンから全て区別されていた。士官用はブルーのテーブルクロスが敷かれあらたまった感じ。バサラ女史は毎朝6時からここで朝食を他の海軍士官達と取るのである。水兵用の食堂は学生食堂のようにカジュアルな雰囲気。中間職用はまさしくその中間。船室も、士官は個室、その次は15人一部屋で、水兵になると90人一部屋だという。3年の間、陸の宿舎に住む者もいれば、ずっと船内に居住する者もいるという。ブルーリッジの艦長席や甲板も見学させて頂いた。思ったより旧式のシステムで事が進められている。空母と比較してしまうからそう思うのかもしれないが。

 米軍艦への乗員として極めて米国的だと思う職業がある。それは、牧師と弁護士である。軍医は自衛隊の場合でも必ず乗船しているが、日本の場合、神棚はあるかもしれないが、宮司や弁護士がいると聞いたことはない。米国社会では、これらの職業の人が欠かせない。米国の建国の歴史を考えると何となく納得する。契約によって結びついた人々、社会。「法と道徳に触れない限り」という言葉があるが、法なら弁護士、道徳なら牧師が解決の糸口を見つけるのが米国流いき方なのかもしれない。

<おわりに>

 世界に誇る米国の軍隊を受け入れている(hostしている)ことは日本にとって光栄なことである。世界一の国家と同盟を組んでいることこそ力強いことはない。もちろん、騒音、事故等基地周辺の環境は住民にとって好ましいものではない。が、この問題は米軍に限らず、自衛隊でも、また他のどの国の軍隊でも起こり得る問題なのである。

 日本は憲法第9条により「平和国家」を宣言し、第二次大戦後、その軍事力増強を抑制してきた。が、米空母が日本に停泊していることは日本にとって大きな強みであり、日本の平和にとっても有り難い存在である。米国という自由民主主義国家と同盟を組み、日米が協力して、各々の国家利益のみならず世界の平和、繁栄に貢献できることは、誇りに思って良いことではないか。第二次大戦後日本が選択した道は、この意味で正しかったと言えよう。

 私が見学をした時、第七艦隊ブルーリッジは3ヶ月の東南アジア方面の遠洋航海から帰ったばかりだった。豪州からシンガポール、マレーシア、タイ、それから住民投票で独立したてで最近まで混乱していた東ティモール等に寄ってきたそうだ。日本への帰路では、総統選挙が行なわれていた台湾の東沖を通ったそうだ。私は米国が世界の注目する不安定な地域に無関心でないことを知り大きな安堵を覚えた。東ティモールや台湾、そして世界中の数々の場所に米軍がいるだけで、多くの紛争の抑止になっているのではないだろうか。米国は、例えば対中国政策を見ても、特に大陸か台湾かに偏った政策は採らない。が、米国が建国以来維持、発展させてきた自由民主主義の価値を普遍的に守ろうとしている姿勢は一貫している。歴史上、米国人が世界の紛争地域で数々の犠牲を払ってきたのは、この価値の擁護のためであったと理解する。そこに米国の偉大さと米軍が尊敬される所以がある。最近、国家利益というと(ロビー活動の効果もあり)経済利益が優先される傾向があるが、長い目で「尊敬される国家」「誇れる国家」とは何かを考えさせられた。


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