岡崎久彦
<<「打倒」で共通認識を>>
対イラク日米協調
昨今、反米や、日本の自主自立を口にする人は多い。しかし、そういう人に「貴方は日米同盟に反対なのですか?」と訊くと「とんでもない。私の書いたものをよく読んでくれ。私は日米同盟支持だ」という返事が返って来るのが常である。
それならば日本の国家戦略の大局を誤まることもないから、目くじらたてるほどの事はないかもしれない。ただ私は過去にも度々この種の論争に巻き込まれたので、常に一つの設問を用意している。
「外交の目的は日本の国家と国民の安全(独立と自由を守ることを当然含む)と繁栄を最大にすることにある。貴方は国民の安全と繁栄の一部を犠牲にしても対米自立したいのですか?」具体的に言えば日本の生活水準を下げて月給が減っても、対米経済依存から脱却したいのですか?自主防衛となって軍事予算のための税負担が大きくなっても良いのですか?という設問である。これに対する答もほとんど決まっている。「そんな事まで言っていない。ただあまりにもアメリカべったりではないか。」
ここまで問題が整理されて来れば答はすぐ出て来る。国民の安全にも繁栄にも何の関係もない分野、たとえば大して重要でない国連の票決で米国と異なる態度をとって、「アメリカから自立した」と肩を聳やかせば良い。あるいは会社で上司のいない所で悪口を言うように陰で米国批判してうっぷんを晴らせば良い。それで自立の欲求不満が解消するなら、もともと日本の安全と繁栄に無関係な事であればとやかく言うことはない。
ただ、こういう批判の欠点は日米協調政策に対する建設的な代案のない事である。もし、日本の自主、自立を達成した結果、日本国民の安全と繁栄が増進するという具体的な案があるのならば、私は誰よりも真っ先にそれを支持する。ただそういう代案はまだどこからも提示されていないのである。
私自身は代案を持っている。それは代案というよりも日本の国家戦略の正攻法である。即ち集団的自衛権行使を認めることである。
<<「対米自立」を言う前に>>
自縄自爆のツケ
現在誰もが具体的問題として関心があるのは、米国の対テロ政策にどうつき合うかである。九・一一の直後NATOは集団的自衛権の行使を決定した。豪州もこれにならった。つまり、米国へのテロ攻撃はNATO諸国と豪州へのテロ攻撃と考えるという事である。テロ犠牲者の中に日本人も多数いたのだから、同じ米国の同盟国として、日本はNATOや豪州と同じ立場であるが、日本は集団的自衛権を行使出来ないので、特別措置法という法律を作って協力した。
ところが特別措置法は当時の安保理決議を前提としているので、今後のアメリカの対イラク作戦については、テロと関連づける法的解釈をしないかぎり、協力は難しい。
米国がまだイラク攻撃をしていない段階で、もし攻撃すればという想定で新たな法律を作るわけにもいかず、通常国会まで待てばその間攻撃が終っている可能性もある。こういうどうにも動きがとれないという、他国にない状況に自らを追い込んでいるのは日本が自分で自分の手を縛っているからである。そもそも安保理の決定は、日本が当然メンバーとして入っているべきであるが入っていない常任理事国の投票に左右される。たとえば、決議の成否が、日本の国益にも、日米同盟の共通利益にも何の関係もない第三国、――別に中国の悪口を言う意図はないがそういう国の例としてたとえば中国――の拒否権行使にかかっていると仮定する。今の日本の一部識者の通念として、安保理決議に沿った行動は善、反すれば悪と考えると、米国や日本の行動の是非を決める判断は中国に委ねられることになる。日本自身の自主的判断などどこにもない。
集団的自衛権の行使を決めていれば、日本は自らの判断で事の是非善悪を決められる。また自分の責任で決めねばならなくなる。
結果としては同じ事になるかもしれない。
しかし、その場合、日本は、この国際情勢の激動期にあたって、日米同盟という命綱をしっかり握って離さないことが、日本の国家と国民の安全と繁栄にとって最も重要だという政策判断を自主的に行っているのである。それこそが真の自主性である。
そもそも日本周辺の平和はアメリカの手に委ねて、日本は、後方支援でさえもない、安全な地域だけにいる後方地域支援でお茶を濁しながら、アメリカからの自主性を論じること自体おこがましい。
かつて新潟で少女を何年も監禁した事件があったが、その発端は犯人の若者が、自立したいから親から干渉されない部屋が欲しいと言って親に建て増しをさせた事にあったという。こんなものは自立でない。自立したいから親と別の自動車を一台買ってくれというのも自立ではない。日本人も、集団的自衛権行使が出来るようになるまで、口が裂けても自主自立という言葉を口にしないぐらいの意地と矜持を持って欲しいと思う。
さて、日本はどうしたら良いのだろう。現在出来ることはせいぜい特措法によるインド洋上の行動を強化することぐらいであろう。アフガン作戦支援を強化すれば、その分だけ米英の負担が軽くなり、対イラク行動の間接的支援になる。ドイツはドイツの新しいアフガン協力をそう説明しているようである。
同盟国米国が望んでいるのは、まず、アメリカと共通の認識を持つ事である。それは難しい事ではないはずである。イラク攻撃反対の論陣を張っているシラク仏大統領や、アメリカ内の反対論者も、まずサダム・フセイン政権が憎むべき政権であり,その除去がイラク人民のため、世界のためである事は言うまでもないと断った上で、ブッシュ政権のやり方を法的、手続的面で批判している。
日本も手続面となるとついて行き切れない所もあるが、それは既に述べたように他を責めるよりもまず自らを責めるべき点の方が多い。
要は、欧米知識人のほとんど全てと同じようにサダム・フセイン打倒の必要についての共通認識を示した上で、日本がこの程度しかできない現状について米国に理解して貰う事である。
惨めといえば惨めであるが、集団的自衛権の行使を認めない以上これしかないであろう。現在のブッシュ政権には親日的な人が多いから、これで何とかなろう。
しかし、もう二度とこんな恥ずかしい事は繰り返したくない。日本は集団的自衛権は持っているがその行使は禁止されているという、愚にもつかない事をいつまでも言って恥ずかしい思いをするのはもうやめたいと思う。(了)