阿久津 博康
NPO法人 岡崎研究所主任研究員
現代の政治家とは異なり、近代日本建国の父達は自ら国際情勢判断を書き下した。彼らの多くは、何らかの国際情勢判断を意見書、演説、あるいは講演等の中で残している。ここでは、伊藤博文の日清戦争中における国際情勢判断を紹介したい。
伊藤博文の「日清事件 内閣総理大臣奏議」
伊藤博文は日清戦争開始直後、内閣総理大臣として「日清事件 内閣総理大臣奏議」(以後「日清事件」と表記)を執筆した。(筆者注 この文書は長年機密文書扱いになっていたもので、正確な執筆日時は明らかになっていない。詳しくは、伊藤博文編・秘書類纂『機密日清戦争』(原書房、昭和四十二年)を参照されたし)「日清事件」はその当時の日本を取り巻く厳しい国際情勢を正確に捉え、その上で外交の指針を提言した、一二五〇字程度の簡明な文書である。(本稿では原文のカタカナ表記を仮名表記に訂正して引用してある)
伊藤は冒頭で軍事のみならず外交も同様に重要である旨述べてから、日清の衝突に英露が利害を有していることを指摘し、英露による干渉の可能性を予見している。即ち、英露は開戦前には「其の各自の利害の互に相反衝突するにも拘わらず、名を調停に藉り、言を勧告に託して均く干渉を試み、異口同音に日清両國をして、平和を維持し、干戈を動かすに至らしめざることを勗(つと)め、竟には強迫に渉る形跡を顕はした」のであるが、開戦となり「今日は一時黙視の姿に居れども此未尚交戦の継続するに於いては、決して何時迄も袖手傍観せざるべく、必ず再び来て干渉を試みることあるべし。而して更に干渉を試みるに至ては、単に之を口舌の間、簡牘の上のみに止めず、或いは強力を用ひて其目的を達成せむとすることなきを保せず。而して斯る干渉を試みることは、或いは恐る甚だ遠きに非ざることを」として、干渉の究極の場合として、軍事介入の可能性まで見通している。
しかも英露ばかりでなく、「仏独伊米等の如き、実際東洋の局面に差したる関係を有せざる邦國に至るまでも、亦各英露両國との権衡を保つ為め、出でて啄を此間に容る、ことなしといふべからず。現に開戦以前に於ても、此等諸國と共に、我に向て同様勧告を為したる事に於てをや。」として、英露以外の列強の干渉の可能性を示唆して、更に「既に(日清―筆者注)両國干戈を交ゆるの後に至て、之に干渉を試みんとするときは、普通の手段を以て両國の兵を解くこと能はざるを知るが故に、先づ口実を求めて之に対し、交戦國の一方又は双方共に之を容れざるに当り竟に兵力を用ひて之に臨むは、最も観易きの理なり」として、軍事介入の仕方についてまで言及している。
以上が伊藤の情勢判断の部分であるが、それに続けて伊藤は、「速に清國に向て一大捷利を博し」てその後は、「仮令全局の目的を達するに至らざるも、時機に應じ、國威を損せず。國誉を墜さず。我に利益ある局を収め、尚前途の経書を為すことを得べし。固て此際単に軍事一片のみを是れ事とせず。機を見て進止し、以て國家を危地に陥る、が如きこと之なき様、終始外交関係を慎重にすること」と、日本の外交政策の方向を述べている。
この短い文章からわかることは、伊藤が一九世紀の列強による勢力均衡の国際政治における日本の位置を正確に認識し、そうした国際政治における列強の常識的行動に対する認識から列強の干渉を予見し、さらに軍事偏重の危険を示唆しながら慎重な外交政策の要を説いたということである。しかも、その構成は情勢判断の後に政策判断が示されるという、論理一貫した体裁を整えている。
国際情勢判断能力の要件
では、何故伊藤はこうした情勢判断を書くことができたのであろうか。国際情勢判断研究の観点から、次のことが考えられる。
第一に、情報収集と分析の不断の努力が挙げられる。伊藤の秘書官であった古谷久綱によれば、伊藤は欧米の情報を自分自身で毎日欠かさず読んでいたのである。古谷は『藤公餘影』の中で、「公の精力絶倫なる日々数種類の新聞紙を読まれ、又、ロンドン・タイムズ、コンテンポラリー・レビュー、ノースアメリカンやレビュー等を購読せられ、就中極東問題に関する論文には特別注意を与えられ、其最も必要なものには時々翻訳せしめて、英語を解せざる高位大官の人々に配布せらるる事もあり」と述べている。
特に、最後の「最も必要なものには時々翻訳せしめて」の部分から、伊藤が大量の英文情報の中から重要なものとそうでないものを見分けることのできる、情報の「目利き」であったことがわかる。
第二に、伊藤は日本にとって重要な諸外国の研究を怠らなかった。伊藤はロシアや中国に関する詳細なノートや講演記録を残しており、自ら資料や文献に当り地域研究を行っていたことが明らかになっている。内閣総理大臣という重職にありながら、あるいは政治家として多忙を極める中、自ら丹念に情報を読み、データや資料収集・分析に努めたのである。
第三に、自分の情勢判断について自信を持ちながらも、議論や修正の余地を認める、伊藤の知的柔軟性も指摘できる。「日清事件」は伊藤の自信に溢れている。また、日露戦争の戦後処理の際、伊藤は自分の情勢判断を貫徹した。しかし、日露戦争開戦に際しては、当初日露協商論を主張していたものの、結局は小村寿太郎などの後継世代の情勢判断を受け入れ、日英同盟論に転換したのである。ここに伊藤の知的柔軟性を見出すことができる。
政治家の国際情勢判断能力に期待する
では、現代の政治家が国際情勢判断能力を高めるには、どうすればよいだろうか。伊藤博文の例から、次のことが言えよう。
第一に、国際情勢について情報収集を怠らないことである。伊藤は想像を絶する多忙さの中で自ら情報収集に励んだのである。伊藤の時代の国際政治は群雄割拠の勢力均衡の国際政治であり、各勢力に関する情報を全て収集・分析しなければならなかった。
現代の政治家も米国の情報だけを読む時間くらいは持てるのではないだろうか。そうする余裕もないというのであれば、次善の策として情報参謀(情報担当秘書とでも呼ぶべきか)を持つことができよう。政治家個人や政党がそうした情報担当者を身近に置くことはできる。孫子も「三軍の親は間(情報担当者)より親しきは莫く」と述べている。
第二に、特定の地域や問題に通じる努力をすることである。大局的な情勢判断には、特定の問題や地域の詳細な知識や情報が不可欠である。伊藤のように自ら特定の地域や問題に通じるために日々勉強することは決して容易ではない。そこで、次善の策として、特定の地域や問題の専門家を情報参謀の中に持つことが挙げられる。それができない場合は、そうした人材や専門家、あるいはシンクタンクや研究所と常時連絡できる環境を整えておくことはできよう。
最後に、自ら大局的な見通しを持ちながらも、できるだけ情報担当者や専門家と議論することにより、自分の見通しを試すことである。より正しい情勢判断、そして政策判断を持つために、議論を通じて自分の考えを変えねばならないこともある。自分の判断に自信があればあるほど、それを変えるには勇気が要る。しかし、伊藤の例からもわかるように、情勢判断における政治家の知的柔軟性が、結局は国全体の安全を守ることにもつながるのである。
(あくつ・ひろやす 一九六八年生まれ。慶應義塾大学法学部卒。豪州国立大学大学院博士課程、豪州国防大学講師等を経て、二〇〇二年よりNPO法人岡崎研究所主任研究員。学習院女子大学非常勤講師併任。国際政治学専攻。主な著書に『国際関係論 理論と実証』(共著)など。東京財団「日本の総合的安全保障のあり方に関する研究会」メンバー。)