イスラエルの危機 戦前の日本を想起

(読売新聞朝刊「地球を読む」2002年5月13日)

岡崎久彦

『イスラエルの危機』

 最近のパレスチナ情勢を見て、はじめて、私の友人も多いイスラエルという国家の前途に不吉なものを感じる。それはかつての大日本帝国崩壊の過程を思い起させるからである。

 それは一九三一年の満州事変から始まる。

 その頃の日本外交の基本は、条約の義務尊重と国際協調を柱とする一九二二年のワシントン体制の堅持にあった。日本が、幣原外交の下にそれを模範的に守った国であったことは、満州事変時の米国務長官スチムソン、駐支公使マクマリーが等しく認めている所である。

 しかし中国にとっては帝国主義諸国に思うがままにされた過去の怨恨は強く、既存条約は尊重すべき国際秩序ではなく、打破すべき不平等条約であった。しかし、、それを変える実力もなく、法的根拠もない中国国民党がそれに訴えたのは現地の反日運動であった。つまり在留邦人、とくに婦人、学童に投石し、唾を吐き、商店は小売りを拒否して、日本人をいたたまれなくさせる事であった。それは、まさにインテイファーダで、西岸、ガザのイスラエル永久保持を困難にさせたと同じ方法である。

 ただ満州事変では、それが在留邦人と軍を刺激し、軍が行動を開始した時には中国側はそれを妨げる力を持たず、逆に満州を失う結果となった。しかし一九三七年の盧溝橋事件となるともう情勢は変わっていた。

 国力、軍事力が充実して来た中国では、もう日本との一戦も辞さない雰囲気が瀰漫していた。またその前二.三年間の日本軍の華北工作は中国側の憤懣と怨恨を買うに十分な強引なものだった。そして三六年の西安事件以降は、事実上の抗日国共統一戦体が出来ていた。

 それまでの一九二八年の張作霖爆殺から華北工作まではすべて、日本軍が裏で事件を仕組んで武力行使の口実を作ったものであるが、盧構橋事件も含む三六年以降の諸事件には、日本側の工作の匂いも全くない。東京裁判でさえ、その点は全く問題にしていない。

 すべては、もう日本人の横暴は許さないという中国民衆の自発的な意思か、国民党下部組織の暴発か、国民党の鉾先を共産党から転じて日本の方に向けさせようという共産主義勢力の策謀によるものであった。

 中でも決定的だったのは、本来在留邦人の安全を守るための中国人保安隊の反乱である。

『生存の道は米軍事介入』

 <帰る土地がない>

 通州は日本の支配が最も安定している町と思われ、多数の日本人が在住していた。ところが盧構橋事件の際、日本部隊が北京の日本人保護のため町を空けたた途端に、保安隊が反乱した。日本人の死者二百名。とくに虐殺遺棄された女性の死体に残る意図的凌辱は目を覆わしめるものがあった。

 その後不拡大政策が成功するかどうかは、それが上海に飛び火するのをいかに防ぐかにかかっていたが、上海で大山海軍中尉が保安隊の一斉射撃で射殺されてその望みは絶たれた。

 こうなると全中国在留邦人はいつ虐殺されるかわからない状態になり、多年築き上げた地盤、財産を捨てて引き揚げるか、あるいは先の見通しの立たない戦争をするかの二者択一になってしまった。そこから先日本帝国滅亡までの経緯は歴史の示す通りである。

 ただ日本の場合は、大陸における勢力圏を失って帝国は崩壊していたが、帰るべき島国はあった。しかしイスラエルの場合は、まだイスラエルの存在を認めていないアラブ諸国に境を接して取り囲まれ、しかもイスラエル本国の中が、いつどこで起こるかわからない自爆テロの脅威に曝されている。

 テロ基地を報復攻撃する軍事作戦は短期的には成功しよう。しかし、イランからの武器密輸事件の例の通り、武器の供給を完全に封鎖する事は難しいし、また人員の面では掃討作戦をする度に怨恨は蓄積、増大され、テロの予備人口は増えるばかりになる。また国際社会の支持も弱まるであろう。自殺テロの被害と報復攻撃の被害とがほぼ見合うものであるとしても、前者は無差別攻撃とはいえ個人の勇気と自己犠牲に頼るものであり、後者は、テロリスト攻撃とはいえ優勢な武力を持つ者の弱者に対する攻撃だから、同情は当然前者に集まる。また、後者の場合は、前者と違って、政府に直接の責任はないという弁解が不可能である。

 こうして国際社会で孤立して行き、他方、パレスチナ側の軍事力が一九三六年頃のように漸次増加し、周辺諸国の支援が得られるようになればどうなるだろう。イスラエルは地理的に、九十九回勝っても一回負ければ滅びる国である。そうでなくても、国内が常にテロの脅威に曝されこれに対する軍事報復も効果がない状況になれば、人々の心と資本がイスラエル離れをすることもあり得よう。いずれにしても戦慄すべきシナリオである。日露戦争の信じられない大勝利から日本帝国の崩壊までわずか四十年である。決してそれを望むわけではないが、六七年戦争の栄光がかげる不吉な予兆が頭の中をかすめるのは避け難い。

 <話し合い不可能>

 今回のテロと報復の反復は、おそらく今までにない怨恨を相互に蓄積したものと想定される。おそらく、今後話し合いによる解決は不可能であろう。もうお互いに、被害者の心情を思って一歩も引けなくなっている。両方の当事者を、その動きのとれない立場から救い出すためにも弟三者による強制的解決(インポジション)以外はあり得ないであろう。

 一つは、クリントンが行った調停は、多くの問題点を残してはいるが、アラブとイスラエルのギリギリの妥協点の輪郭を示しているものであるから、その線に沿って、第三者が、具体的な解決策の詳細な青写真を画き、両者に強制的に押し付ける方法があろう。あるいは、弟三者の軍事力を、かなり実質的な量を投入して、両者を完全に引き分け、その上で強制的解決をはかる方法もあろう。

 <30年の駐兵必要>

 いずれにしても、それはアメリカの積極的介入なしでは出来ない。兵力引き離しといっても、これだけ怨恨が蓄積した後では、それが解決するまでほとんど一世代、三十年の介入を必要としよう。もしその間アラブ側の本格的報復攻撃があった場合、NATO軍などの国際部隊でこれを防げ得るだろうか。唯一の超大国アメリカの軍隊だけが有効な抑止力たり得よう。

 アメリカは今や世界帝国となりつつある。九・一一以降、アメリカは外の世界に介入する意志が出て来た。それは悪い事ではない。ローマ帝国がローマ市民の兵士を辺境に送っても帝国の秩序を守る意思のあった間は、世界はより住み易い世界だった。

 一世代の駐兵といっても、アメリカの覇権は少なくとも半世紀は続くと考えれば長い期間ではない。パレスチナ問題に積極介入するかどうかが、今後世界覇権国家としてのアメリカの進路のおそらくは最大の大きな分岐点となるであろう。


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