(読売新聞「地球を読む」2003年3月30日掲載)
小泉総理は三月二十日の記者会見で「アメリカは、日本への攻撃は自国への攻撃と見なすとはっきり明言しているただ一つの国だ。そのこと自体、日本を攻撃しようと思う国に対する抑止力となっていることを忘れてはならない」と言い、翌二十一日のブッシュ大統領との電話会談で、開戦演説について、「大統領は、・・自国民の犠牲を覚悟で決断されたのであり、これを支持するのは当然のことである。昨夜も深夜まで国会で質疑を行い、国民の理解を求めた。米国は日本のかけがえのない同盟国であり、日本も米国の信頼するに足る同盟国でありたいと思っている」と述べている。
戦後半世紀、ここまではっきりと日米同盟の重要性の認識を示した総理がいただろうか。
最近の人には理解できないことであろうが、日米同盟が発足して三十年たった一九八一年まで、「同盟」という言葉自体がタブーだった。
同年の鈴木・レーガン共同声明は、「日米両国間の同盟関係」という間接的な表現で、これを使ったが、それだけで朝日新聞は、社説を掲げて、これを「危険な対米追従の坂道を滑り出した」と攻撃し、鈴木総理は「軍事的意味合いは全くない」と、当時でもすでに支離滅裂と評された説明をして失笑を買ったことさえあった状態だった。
それからまた二十年、戦後日本特有の、氷河の歩みにも似た遅々たる変化ではあるが、遙けきも遠く来るものかなとの感があると同時に、ここまで発言した小泉総理の勇気と率直さに拍手を送りたい。
総理は、国会の論戦で、この説を貫き通した。論戦を聞いていると、この総理の堂々たる信念の吐露と比べると、野党の反対などは建前論に過ぎない。自由党などは、もし連立与党だったなら公明党と同じかそれ以上に明確に支持したであろうし、民主党も、かつて社会党左派だった村山総理が組閣早々「安保堅持」を表明したことを考えれば、本来社会党左派より左であり得ない菅氏の態度もおのずから想像しうる。
私は、日本の知識人の間では、この問題はすでに決着がついているのではないかと思っている。
三月はじめのある公開セミナーで、東大の田中明彦教授は、(一)米国のイラク攻撃は正当(二)安保理決議はあった方が良いが、無くても良い(三)日本は米国の立場を支持すべし、との三点を事理を尽くして説明され、傍らの北岡伸一教授も大筋で同意見だった。私は思わずコメントした。
「昔は重大な国際的国内的政治問題が起こると、新聞は社会面に東大の政治学の教授の意見を掲載し、国民は「ああ、そういうことなのか」と啓発されたものである。その後、東大法学部は長い間左傾して権威を失墜して、誰もその発言を顧みなくなっていたが、そういう時代も終わっている。本来なら、この二教授の発言でこの論争は決着している」
他面、時代はもうテレビのワイドショーの時代となった。ワイドショーは、こういう教授達が出ても、一分間その論理を展開することも許さない。通常は芸能界のスキャンダルを論じるような人々が「庶民感覚」でせいぜい十五秒づつの印象論を述べるだけである。もし初めに、識者に二、三分間論理を尽くさせれば、もうその後の発言は無用となるような浅薄な印象論ばかりである。
しかしそれでも国民は、どこかで、そういうワイドショー的な議論だけでは通らないことを知っているのではないかと思う。だから、小泉総理の発言が堂々と通るのである。
日本の社会における政治思想の変化について改めて考えさせられる。日本の社会は、指導者の主導的な発言によって引っ張って行かれることはない。むしろ、皆がもう心の中で、このくらいは当たり前だと思った頃に、指導者が従来の行きがかりにとらわれず勇気をもって発言すれば、それが通るのである。
二十年前は、小泉総理の発言はとても通らなかった。しかし今は通るのである。こうやって日本の社会は少しづつ健全化して行くという希望を持たせてくれる。
小泉発言の優れている点は、日本の国家の最も必要としている点に単刀直入に切り込んでいるところにある。総理発言の前に事務当局は、テロ対策の国際的重要性、従来の安保理決議の内容などの説明を準備した。それはまさに「米国のイラク攻撃は正当か」「安保理決議はなくても良いのか」という、ワイドショーの論争における論点に答えているものである。
それ自体は必要なことである。しかし、これだけの国際的大事件に際して、日本の国民の安全と繁栄に責任を持つ総理大臣として、まず考えねばならないことは、そんな評論家的、第三者的な善悪是非の議論ではない。
日本の国家戦略の根源にさかのぼれば、資源の乏しい島国である日本にとっては、七つの海を支配しているアングロ・アメリカン世界と強調して行くほかは生きる道はない。日本国民が、安全と繁栄とそして自由を享受したのは、日英同盟とその後の満州事変までの三十年の期間と、日米同盟の半世紀だったことは、否定しようのない事実である。
しかし同盟は本来、人種も歴史も地理的条件も違う二つの国家が協力するということであり、常時その維持強化を意識していかないと、知らない間に根底から崩れて来るおそれがある。今回の総理の発言は同盟の維持強化に千鈞の重みがあったと言える。
しかし、これで安心し切ることは危険である。日本の対米協調の政策の中に、軍事的協力ができないという根本的な欠陥が存在することは常に忘れてはならない。
今回はこれで良かった。一つは米国が国際的孤立の印象を避けるために、米国を支持する国を数え上げ、その間日本の協力の内容などは不問に付したからである。
もう一つは、ブッシュ政権の中には知日派が多く、日本が日米協力に少しでも前向きな姿勢を示すと、これを賞賛し、さらに前に進むよう勇気づけてくれるからである。これは他の米国の政権ではとても期待できない稀な条件であり、常にこうであるという甘えは許されない。
やはり、ここまで来れば真剣に取り組むべき課題は集団的自衛権の行使しか残っていない。この点、もはや識者の間では誰も異論を聞かなくなっている。この問題も、もし、指導者が勇気をもって直面すれば、意外に、国民がこれを受け入れる機が熟しつつあるように思われる。あるいは来るべき朝鮮半島の危機に際して従来の立場を変更できるチャンスが訪れるかもしれないと期待する。(了)
英語版(The Daily Yomiuri掲載)