岡崎久彦
「百年の遺産-日本近代外交史(73)」


【連載を終わって】
新たなアイデンティティーを

(産経新聞2002年6月26日掲載)

 ペリー来航から占領の終わりまで、ちょうど百年、それからまたちょうど五十年経ちましたが、この間、日本はいまだに自らアイデンティティーを見いだせないでいます。

 最近でも、日米同盟の維持に反対でない人々の間でも、反米的言動が多いのは、どこかに日本のアイデンティティー、あるいは日本外交の主体性を見いだそうという心情があるからでしょう。

 たしかに、その前の日本には強烈なアイデンティティーがありました。世界に誇る文治社会を作った徳川三百年、明治の忠君愛国、日本人自らの手で達成した大正デモクラシー、アジアの霸者(はしゃ)として矜持(きょうじ)を持った戦争期、そして全体を貫くサムライ精神です。

 それが今は失われているのです。

 米国と協力しようとしまいと、それは日本が自然権を行使できる自然体の国家となれば、自分で国益に基づいて判断することです。

 それなのに、自分で自分の手を縛っておきながら、自らを責めず、よその国−−日本の重要な同盟国−−に恨(うら)み言(ごと)を言い、楯ついてみせて主体性を求めるという惨(みじ)めなことになっているのが現状です。

≪淵源は占領期≫

 その淵源(えんげん)を探ると、それは占領期にあります。占領中の改革の中でも、言論、結社の自由、婦人参政権、労働組合法、農地解放などは、日本社会成熟の歴史的必然と、戦争と敗戦という社会の激変の結果として、占領軍の指示や新憲法を待たず、日本側のイニシアチブで着手され、明治憲法の下に法制化されたもので、これは、そのまま日本の社会に根づいています。

 それに反して、歴史的必然でもなく、日本人の意見でもなかったもの、即ち言論統制、公職追放はもとより、財閥解体、自治体警察などはすぐ消え去ってしまいました。  結局、日本人がいまだに納得もせず、違和感を持ち続けているのは、憲法九条と東京裁判です。これに憲法と一体のものとして考えられている教育基本法を加えることもできましょう。これがアメリカの占領が終わってからも、今度は、国際的国内的左翼勢力によって維持、増幅、定着されてきたことが問題です。

 憲法九条と東京裁判には、たしかに日本の中の左派、平和主義者の支持はありました。しかし、それは既成事実があったうえでの支持であり、戦後どの時点をとっても、国民の自発的意見を問えば、そんなものが国民多数の選択になった可能性は、客観的に言ってゼロでした。

 憲法九条は、幣原喜重郎以外誰一人関知しないことです。昭和天皇から共産党に至るまで、日本人の誰の発想にもなかったことです。これに反対すれば、追放される可能性に脅(おび)えて、国会議員は黙々として賛成し、厳しい言論統制の下で、それが日本側の意思であると、国民に教え込んだだけです。憲法は押し付けかもしれないが、内容は国民が歓迎したなどという占領中の宣伝が作った神話とは、ほど遠い実態でした。

 東京裁判の判決こそ、日本人は誰一人として関知しないところです。中立国も交えない、戦勝国だけの裁判官が、日本国民が家も食糧もない窮乏(きゅうぼう)のドン底にあった時期に、占領軍の絶対権力を背景に、戦時中の宣伝そのままの浅薄な歴史観をもって、敗戦国の歴史と伝統を凌辱(りょうじょく)し、破壊する快を貪(むさぼ)った、一方的、杜撰(ずさん)極まる裁判だった、と言って、決して不正確ではないでしょう。

 この憲法を改正すること、それに時間がかかるならば、まずこの憲法による知的頽廃が生んだ種々の憲法解釈を全て洗い流すこと、そしてすでに平和条約の下の判決執行義務は、全て終わった東京裁判を過去の歴史とすること、それができて初めて、日本は自らのアイデンティティーを見いだし、国家としての主体性を回復する基礎ができましょう。

 占領後五十年も経って、まだこんな状況なのは不甲斐ないと感じますが、振り返って歴史の例を見てみると、どうもそういうもののようです。

≪まだ必要な時間≫

 文化の最盛期というのは、古今東西の歴史で、戦乱の百年後に訪れています。

 漢の武帝、唐の玄宗の時代、日本の元禄等、皆そうです。どうして百年もかかるのかと不思議に思っていましたが、戦後五十年の今の日本をみればわかります。

 関ケ原の戦い(一六〇〇年)の五十年後といえば、由井正雪の乱(一六五一年)です。関係者は皆、関ケ原戦後生まれですが、まだ戦争の長い影をひきずっています。

 戦乱の影響のかけらもない、井原西鶴、近松門左衛門、尾形光琳、松尾芭蕉、関孝和など元禄をになう世代が生まれるのは、一六四〇、五〇年代です。

 戦後五十年経って国会でも新聞でも議論されているのは、憲法九条といい、靖国といい、戦争の後遺症がほとんどです。こんなものが残っているかぎり、新しい文化の創造の時期はまだ来ていないのでしょう。

 われわれの世代の任務は、戦争、占領の残滓(ざんし)を払拭(ふっしょく)し、これから出てくる新しい世代が、その上に何ものにも捉(とら)われない鮮烈な線が引けるような真っ白なキャンバスを用意することでしょう。

 それが偏向史観排除の真の目的であり、私の念願です。

 おわり


「百年の遺産-日本近代外交史」

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