岡崎久彦
「百年の遺産-日本近代外交史(6)」


「話せる男」西郷隆盛
生涯を「誠」で貫き通した男

(産経新聞2002年4月6日掲載)

 明治維新とその人物を語る時、あるいは日本人というものを語る時、西郷隆盛という人物を語らないわけにはいきません。

 西郷は明治十年に反乱軍にかつがれ、敗れて故郷の城山で割腹しますが、今に至るまで、日本人で西郷を惜しみこそすれ、誰一人西郷を憎み、謗(そし)る人はいません。

 日本人というものが、西欧人とも、また中国、韓国の人とも違う何らかのアイデンティティーを持っているとすれば「西郷を好きだ」ということもそれを考える一つの基準になるかもしれません。

 それは西郷が西南戦争で賊軍だった時からそうでした。その時政府軍が歌った軍歌は

 敵の大将たる者は古今無双の英雄で、これに従うつわものは共に剽悍(ひょうかん)決死の士…

と歌っています。そして、これも西郷の敵側であった熊本地方の豪傑節は

 西郷隆盛や 話せる男

 国のためなら 死ねと言うた

 と歌っています。

 征韓論が政策論として非現実的なものであったとか、無益の反乱を起こして同胞相殺す戦いをしたとかいう点は、誰も問題にせず、日本人の心の底にある価値観、つまり、古来の東洋思想、武士道、愛国心、そしてそのすべてを貫く「誠」という点について誰も疑いを持たない純粋な人物として敬愛されているのです。

西郷の言動はよく記録されているので、西郷神話や虚像ではありません。現在でも手に触れることのできる書軸の筆勢も、そこに表明された心事も、超一級品です。

 世上の毀誉(きよ)(世間の評判)

 軽き事塵(ちり)に似たり

 眼前の白事偽か真か

 追思す孤島幽囚の楽しみ

 今人(こんじん)在らず古人在り

 維新の志士達は幾度か迫害を受けて死地をくぐり抜けています。西郷の島流しも酷いものでした。壁がなく格子だけの吹きさらしの豚小屋のような二坪の牢獄で、西郷の健康はみるみる衰えますが、西郷は常に端座黙想していたといいます。

 この時のことを回想して「孤島幽囚の楽しみ」と言っているのです。心の中では何を考えているかわからない今の人など相手にせず、古(いにしえ)の哲人達を相手にしていれば良かったから楽しかった、というのです。普通人とは次元の違う達人です。

 西郷を最も良く理解していたのは勝海舟でした。勝は、西郷がまだ低い身分だった頃から、将来幕府を倒すのは西郷だろうと言っていましたが、はたしてその通りとなりました。

 勝があまりに西郷をほめるので、坂本竜馬は勝から紹介状を貰(もら)って鹿児島まで会いに行きます。そして帰って曰く「なるほど西郷という奴は大きな鐘のような奴だ。小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く」。どんな小さな事でも謹直に糞真面目に反応する。だから大きな事はわからないかと思うと、どんな大きな事でも立派に反応する見識がある。そういう人だというのです。これを聞いて勝は「坂本もなかなか人を見る目のある奴だ」と言っています。

 この西郷が官軍を代表し、徳川側を代表する勝との間で、江戸城の平和的引き渡しをしたのが、歴史の白熱する瞬間です。これで江戸百万の市民は戦火を免れ、徳川の幕臣は生活の場を得ます。それよりも何よりも、日本国内の分裂に乗じようと爪牙を研いでいる帝国主義列強の干渉を排し、日本の独立と領土の保全を果たします。西郷は、英国からの援助の申し入れに対して、日本のことで外国に援助をして貰うような恥ずかしいことはとうていできない、と断り、勝はロシアからの資金援助を断っています。

 後年清国の李鴻章がロシアから賄賂(わいろ)を取って満州駐兵を許したのが清朝瓦解の大きな契機となったことを思うと、日本がこの時期にかくも傑出した人物二人を持った幸運に改めて想いを致さざるを得ません。

 西郷は、維新後は当然に権力の中枢に入りますが、新たな権力者達が権力の維持と特権の享受に汲々(きゆうきゆう)としているのを見て、維新の志士達が命を捨てたのは、こんな世の中にするためだったのかと、怏々(おうおう)として楽しまないものがありました。そこに征韓論が起こると、ここでもう一度国民の気持ちを引き締める機会がきたと奮い立ちます。

 しかし、岩倉具視、大久保利通、木戸孝允などは、日本近代化が優先課題で、征韓の余裕などないと反対し、西郷は、板垣退助、江藤新平などと共に政府を去ります。

 その後は故郷鹿児島に帰り、兎を逐(お)って悠々と隠退生活に入ります。しかし、その頃から、特権を奪われた旧士族の不満反乱が相次ぎ、また新しい地租に反対する農民運動も起こり、さらに薩長専制政府に反撥する自由民権運動も加わり、全国騒然とする中で、期待は翕然(きゆうぜん)として西郷に聚(あつま)り、それを受けて鹿児島の士族が反乱の旗を掲げます。

 もとよりそれは西郷の意図ではなく、報を聞いて「しまった」と言っていますが、その後は、西郷を敬愛する部下の言いなりになって、一言も作戦の指揮などせず、従容として運命に身を任せて死にます。


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