この対談で、岡崎は、「もし日英同盟が継続されていたら、アジア太平洋はどうなったであろうか」にも想像を巡らしています。....それでは、番組をスタートします。
1998年5月8日
岡崎研究所近代史プロジェクト事務局
◎ 岡崎:歴史をアングロサクソンの専売にせず、日本人も日本の歴史を英語で書くとよい
岡崎 もともとは英語で書こうと思ったんです。というのは結局、第二次大戦史あるいはその前の20世紀史はみんな英語で書かれたんです。もともとアングロサクソンというのは歴史を書くのがうまいんです(渡部 うまいですね)。アングロサクソン以外では、中国と日本だけでしょう、自分で歴史を書いたのは。ペルシャみたいな歴史のある国でもインドでも、歴史というのは全部イギリス人が書いたんですよ。
渡部 インドは時間観念がないから歴史がないんだとか言っている。
岡崎 そうなんです。そうしますと、結局いま残っているのはアングロサクソン史観です。ところがアングロサクソンというのは、この前の戦争の当事者ですからね。そうすると戦争中のプロパガンダが残っている。戦争というのはお互いにやるわけですよね。
渡部 嘘八百でもいいんですよね。
◎ 岡崎:歴史とは所詮は、戦争で勝ったほうのプロパガンダである
岡崎 いいんです。要するに自分の国民が死を覚悟で戦わなければいけない(渡部 奮い立たせなければうけない)。そうすると、相手は悪魔のように悪くて、自分は神のように正しいと思わせなかったら、死んでくれませんからね。それでお互いにプロパガンダをやる。それで戦争が終わると、負けた方のプロパガンダは消えるんです。勝った方のプロパガンダは残る。そうするとアングロサクソンの書いた史観というものはどうしても日本から見ると偏向しているんですよね。それを直したいなと思っておりましてね。
渡部 世界の人は、大部分が英語で書いた歴史を読むから恐いんですよね。非常に不公平でもありますね。
岡崎 これは反ファシズム史観ということになっている。実は、アンタイ・ファシズムなるものがもともとインチキなものですからね。だいたい「日本がファシストだ」ということはないんですよね。日本は要するに戦時体制ですよね。
渡部 ちゃんと議会もありましたしね。要するに戦時体制ですね。
岡崎 それから自由民主主義側といったって、ソ連と一緒に戦っているんですから。
渡部 アメリカもイギリスも、スターリンと同盟しているんですから、何を大きなことを言っているんだと言いたいですよね。
岡崎 そういう史観がやはり残っているんです。それで戦争中のプロパガンダですが、、アジアでは日本の方が強かった---それはやはり今まで植民地でしたからね---。それでむこうは何もない。何もないので、しょうがないから、言えるのは何かと言えば、敵(日本軍)の残虐さだけですよ。
渡部 言えるのはね。
岡崎 ええ。ところが、残虐さの実体が乏しいものですから、形容詞だけどんどん大きくなるんです。今のアングロサクソンの歴史を読んでも、必ず「身の毛のよだつような残虐」とか「表現にできないような残虐」と書いてありますが、実態についての記述は、それ以外ないんです。それがそのまま歴史に残ってしまいそうなのです。これを見直したいな、と思ったのが、歴史に取り組む動機のひとつなんです。
◎ 岡崎:いまの教科書はひどすぎる
そうしたら今度は日本で教科書問題が起きたでしょう。教科書問題については、今の教科書は偏向していて、これはもう読むに耐えないものだと言われてますが、それは私もそう思います。それを本当に批判して良いものに取り替えて行こうと言うならば、批判する側にちゃんとした本がなければだめですよね。それがまたないんです。もちろん、個別的な批判はありますけれども、包括的な批判はまだ誰もやっていません。そんなものを書くのはおこがましいんですけれども、いろいろな弾みでこうなっちゃったんです。
渡部 僕は、今の戦後の歴史家で書ける資格のある人はほとんどないと見ているですよ。先ほども申し上げましたように、軍事が全然わからない。第一、同情的でもないしね。それから外交がわからない。これで近代史を書こうというのでは、結局。「民衆の何とか」なんていうくだらない話になっちゃうんですよ。
◎ 岡崎:真実の断片だけ集めても歴史にはならない。大小軽重を決めることが肝心だ
岡崎 私に歴史を書く資格があるとは申しませんけれども(渡部 いや、あると言ってもいいと思いますよ)、ひとつ方法を考えたんです。私は、歴史は全体としての真実を追求しなければならないと思っているんです。そういう点から見ると、例えば従軍慰安婦とかなんとか嘘を言っているのは、これは問題外で、またあんなものは歴史家ではないですよ。歴史家でも二流三流の人しかあんなことは言わない。これは歴史家でも何でもない。
ところがちゃんとした歴史家でも、左翼の人なんていうのは都合のいい事実だけ集めてひとつの論文を作る。真実かどうかは歴史で検証できるのですが、集めた事実が全部事実であれば学問としては通ってしまうんです。 問題は、全部真実で書かれている場合の問題です。こんどは、沢山ある事実のなかで、どれが大事でどれが大事でないかと言う、大小軽重を決める必要が生じるわけです。こんなものに方法論はないんですよ。
◎ 岡崎:真実に迫る方法はひとつしかない。それは「対話法」である。
それでも、なにが大事かという判断をしないと歴史は書けない、というのが、学者ではない私の第一の立脚点なのです。次にすべきは、なるべく間違いのない判断をどうしたら下すことができるかです。色々考えたのですが、唯一の方法論は、私が今していることになるのかなと思っているのです。 都立大教授の御厨貴(みくりやたかし)先生を中心に、5、6人の尊敬されている先生をお招きして、私の書いた原稿を一章ごとにお渡しして事前に読んでいただくのです。それで、3、4章たまりますと、セミナーをやりまして、猛烈に批判していただくんです。先生方の「原稿にはこう書いてあるけれども、これに反対の証拠もあるぞ」というご意見や、「原稿のこういう議論に対しては。最近の歴史学会では、こういう反論もあり得る」とか、「この部分はちょっとあまり細かすぎる。もっと大きな流れがあるのではないか」など、それこそ1行ごと全部コメントしていただいて、教えを乞うたことには、それを全部取り入れて書き直しているんです。
渡部 なるほど。それは手堅いですね。
岡崎 手堅いと言うよりも、結局真実に迫る方法はひとつしかないんですね。真実の軽重を決めるのはプラトン以来のダイアレティック(対話)しかないですね。そういうやり方で歴史を書いていますので、これは私自身の資格というよりも、そのグループの先生方ですけれどもね。まあ全体として、これなら真実だろうという歴史を書いているつもりですけれどもね。
◎ 岡崎:4巻本の構想。「陸奥宗光」「小村寿太郎」「幣原喜重郎」「広田・吉田・重光・東郷(茂徳)」
渡部 そういうものが数巻できましたら、それを要約したかたちで教科書に入ればいいわけですね。
岡崎 実は、第1巻となる「陸奥宗光」は、10年ほど前に書いたのがあるんですが、これは、いまお話しした歴史学者の先生方のご協力を得て全面的に書き直しが終わっています。
それで、いまは第2巻の「小村寿太郎」(こむらじゅたろう)に取り組んでいいるんです。日露戦争、日英同盟のところを書いているんです。 それから第3巻の予定は、「幣原喜重郎」(しではらきじゅうろう)でして、ベルサイユ体制とワシントン体制、満州事変までを扱かいます。 そこから先の第4巻は、1999年には取りかかるつもりですが、誰にしていいかちょっとわからないんです。ひとりで(日本外交を)決めた人がいないんですよ。「広田・吉田」(ひろたこうき、よしだしげる)のライバル、あるいは「重光・東郷(茂徳)」(しげみつまもる、とうごうしげのり)のライバルになるんでしょうかね。ライバルでもないですけれどもね、彼等は。それから松岡洋右がいます。これはどういうふうにしていいかまだわからない。決めるのは先のことです。 まあ要するにそういう四巻本で、明治以来の世界の一級国だった日本の外交が、最後には1945年に破産するまでを、事実だけに即して書くということです。 そういう目で見ると、いまの教科書なんか本当にひどいですからね。例えば、いま私はちょうど小村寿太郎を書いているんですが、日露戦争の話を少しご紹介したほうがよいと思うんです。
渡部 いま幣原以降の時代は外交の主流がわからないとおっしゃったけれども、アメリカはその時代をまさに「共同謀議の時代」と言っているんだからナンセンスなんですよ。あの東京裁判というのはね。
岡崎 あれはめちゃくちゃです。
渡部 岡崎さんが書こうとしても、柱がわからないんというんですからね。
岡崎 全くそうですね。共同謀議については、本当におっしゃる通りです。アメリカというのは非常に単純な発想をして突き進むところがありましてね。
渡部 ナチスなら共同謀議と言えますよね。だからそれと同じようなものが(日本にも)なければばらないということで。
岡崎 そうですね。ナチスの場合はもともと『マインカンプ』(ヒトラーの著書『我闘争』)があり、それに沿ってやりましたからね。ひとつの政策があってまっすぐ行ってますからね。
渡部 しかもマインカンプを振りかざした政党が国家を乗っ取り、軍がそれに従ったわけですかね。それと日本と同じにされてはもらっては困るんですよね。
◎ 岡崎:「日本が日英同盟を作ったので、ソ連が満州に入ってきた」という、出鱈目な教科書の記述例
岡崎 それで話の続きですが、いま日露戦争を書いているんです。教科書を読んでいますと、日本が日英同盟を作って、だからソ連が満州に入ってきたと書いてある。
渡部 それは(原因と結果が)逆じゃないですか。
岡崎 逆ですね。
渡部 単純に逆で、嘘ですよ。単なる嘘ですよ。
岡崎 嘘なんですよ。それがそう読めるように書いてある。だからそういうものに対してはちゃんとした通史があったらそれで十分に反論になるんですよ。
渡部 そうですね。おかしいと思ったら岡崎近代史を読めと。
岡崎 まあ岡崎近代史と言っても、歴史学者との合作ですからね。
渡部 それはいいんですよ。細かいところのキズをあらかじめ発見してから、歴史を書かれるというのは非常に貴重なことですよね。
◎ 岡崎:大筋はひとりの人が書くしかない。歴史は合作では書けない。
岡崎 私は昔から---もう外務省の課長時代(40代前半)から---そうしてきましたからね。外に出すものは部下が書いたものを積み上げないやりかたをしてきました。私が初めに書くんです。私が書き下ろしたものを、部下に回して、「ちょっと危ないところがあったら直せ」とか、「間違っていたら直せ」とかやってきました。それは、大分あとで、大使になって演説をするときもそうでしたね。
渡部 それは素晴らしいことですね。
岡崎 そういうやり方をしないと話の論理の一貫性が崩れるんですよ。
渡部 そういうことですね。個性がなくなりますしね。僕が知っている限りの岡崎さんの史観の特色は、世界中がだいたい英語の歴史を読まされているから偏見があるというものですね。岡崎さんは、その一例としてオランダの歴史を取り上げられました。オランダが負けたためにわれわれはオランダの言い分を全然知らないけれども、オランダからオランダ史を見ると全然違うんだということを指摘なさいましたね。同様に日本から見たこの前の戦争も違し、インディアンから見たらまたアメリカ史は違うでしょうな。
◎ 岡崎:ステレオタイプなオランダ人のイメージは英国産
岡崎 話はどんどん逸れますけれども、イギリスを救ったのはオランダなんですよ。スペインの無敵艦隊がくるでしょう。スペインの無敵艦隊がどうして破れたかという歴史は、いま出版されている英語の本にはひとつもないですよ。これはわからない。ところが、トラファルガーの海戦については、もう微に入り細にわたって書いてある。例えば、もっと昔のサラミスの海戦なんていうのも詳しく書いたものがある。ところが無敵艦隊撃滅の歴史というのは全くないんですね。
渡部 それこそエリザベス女王時代のイギリスを海国軍にしたわけでしょう。
岡崎 イギリス人がどうしてこのことについて書かないかと言うことですね。無敵艦隊が攻めたときの話ですが---オステンド港だったと思ったけれども、要するに北海岸の港でね---そこに待機した。そこには、スペインのパルマ公率いる大軍がいたんです。それを全部無敵艦隊の船に乗せ、ドーバー海峡を押し渡たりイギリスを占領しちゃおうという計画なんです。
あのころはスペインが本当に強かったですから、上陸されたらもうそれはかなわないんですよ。ところがパルマ公の軍隊が船に行こうと思うと---オランダにはたくさん小さな運河があるでしょう---そこにオランダが待ち伏せしている。スペイン兵隊は重い鎧を着ている。オランダ人はそんな鎧は持ってないから、格闘するとスペイン兵はみんな海に放り込まれてはまっちゃうんですよ。それで何遍兵隊を送っても全滅した。そんなわけで、無敵艦隊いくら待っても兵隊がやって来ないんです。そこへ今度は(古代中国の『三国史』の)赤壁(せきへき)の戦いみたいな火船の計をつかったからたまらない。船に火をつけて送り込んできました。それで無敵艦隊は港から誘い出されて、海戦になるんですが、実はその勝負は関係がない。なぜなら、パルマ公率いる兵隊が乗船していない限りはイギリスは大丈夫なんですよ。だからイギリスを救ったのはオランダなんです。
ところがそれからあと、イギリスとオランダが三回戦争するでしょう。それで、「オランダというのはひどい奴で、これがイギリスがスペインと死にものぐるいの戦いをしている時に何も協力しないで金儲けだけしていた」という話にしてしまった。これが今日通用しているステレオタイプの史観なんです。
渡部 英語では、オランダというのはやはり金勘定がうまいとか、ダッチカウントとかあまりいい意味でないですね。
岡崎 だから「オランダは蛭である。イギリスが殺したスペインの死体の上に群がって肉を吸っているウジ虫である」という書き方をする。それが史観というものの実体なんですよ。それが百年経って、アダム・スミスまでがそう思っている。 これは、戦争中のプロパガンダがそのまま生きているというわかりやすい実例です。だからこそ、無敵艦隊が沈んだ海戦史というのは誰も見たことがないわけです。本当のことを書くとオランダに助けられたことがわかっちゃうからですね。なんだそういう話だったのかということがやっとわかってきたのが19世紀です(渡部 モットレーですね)ええ、モットレーです。あれはフランクリンなどと同時代のアメリカ人でして、もう自由と独立に燃えてますからね。それでオランダに行きまして、そこにあったオランダ史を読んで感激してそれを英語で書いたんです。
渡部 実にその敗戦国というものはその点悲しいですな。
岡崎 そうなんですよ。いまさら何百年も昔の努力を認められてもあまり大してオランダだって嬉しくないですけれどもね。
ただひとつこういうことがあるんです。私があの本(オランダ史『繁栄と衰退と』)を書きまして、本を私の友人などに配った。それを読んだ人がオランダ人に話すとものすごく喜ぶというんです。オランダ人が口をそろえて言うことは、「われわれが小学校のときからずっと教わってきた歴史をあなたは全部知っている」と言って喜ぶのです。それは、イギリス、アングロサクソンが書いた歴史、つまり英語の本では全部否定されて消されてしまったものですね。でも、オランダ人はそれを脈々として全部いまでも持っているんですよ。それで誇りに思っているんです。それを日本人が知ってくれたと言って本当に喜ぶんですよ。
渡部 そのオランダではその負けた歴史もオランダ側からはちゃんと史実を教えているわけですけれども、日本ではこの前の……。
岡崎 そうなんです。それを見てもやはり通史をちゃんと書かなければいけないなと思ってね。
◎ 岡崎:日英同盟の廃棄が一番大きな分かれ目
渡部 それでこの近代史をお書きになりますときに、一番大きな分かれ目というか、そういうふうに感じられたのは、だいたい、岡崎史観ではどういうところですか。
岡崎 これは渡部先生も書いておられますが、統帥権の問題です。
渡部 統帥権干犯ですね。
岡崎 ええ、しかし、それは国内の体制の問題になりますので、それはまたの機会に議論するとして、外交的には、大きな別れ目は、やはり日英同盟の廃棄ですね。
渡部 あれは大きいですね。あれは大正末期ですね。
岡崎 ええ、そうです。1922年ですからね。今までこれを書いたものはありません。したがって、通説はないんですが、調べてみましたら、廃棄しなくて済んだと私は思うようになりました。(渡部 そうですか)そうなんです。廃棄に至る交渉の最後の段階で、幣原(外相)とイギリスの外務大臣がやりあっているんですよ。イギリスの持ってきた案は、「日英同盟のかわりに日英米三国の協議条約にしよう」と言うものでした。「極東でなにか問題が起こったらお互いに協議する。それで必要に応じて三国のうちのどれか二国は同盟を結んでもいい」というものでした。
◎ 岡崎:日英同盟廃棄には英国も反対。日英同盟は継続できた。
渡部 そうすると日英同盟を続けてもいいわけですか。
岡崎 日英同盟を続けてもいいんです。そうしておけば、一度廃棄された日英同盟がもう一度よみがえるチャンスが後には、まだいくらでもあるんです。まず、第1回南京事件です(渡部 昭和2年の南京事件ですね)。そうです。イギリスから日本は出兵してくれと言われました。その時のイギリスのピゴットという人の記録にありますけれどもね(渡部 ピゴット少将ですか)。ええ、その少将です。それによると、ロンドンにある日本の大使館の駐在武官がイギリスの陸軍省に参りまして、「残念だが、日本は南京には一兵も出せません」と泣きながら伝えたということです。
渡部 常識で考えても、日英同盟を破棄することは、まあ日本にとっても外交的に孤立するから非常にマイナスですけれども、イギリスにとってもアジアにおける利権を守る一番有力な手段を失うわけですからね。
岡崎 そうなんです。だから、日英同盟廃棄のときに、猛烈に反対したのはオーストラリアとニュージーランドなんですよ。
渡部 それからカナダも廃棄には反対したんじゃないですか。
岡崎 いや、日英同盟を廃棄しようと言ったのはカナダなんです。要するに、太平洋において、日本を敵にしたほうがいいのか、味方にしたほうがいいのかということですね。当時のイギリスは海軍大臣、陸軍大臣、総理大臣など全員が日英同盟延長に賛成だったんですよ。
しかも同盟というのは簡単に「やめます」と言って切れるものじゃないんですよ。これは例のドイツのビスマルク宰相の例がありますが、ビスマルクが二重の保険条約を作りましたのを、カイザー(ドイツ皇帝)がロシアとの同盟を切っちゃうんです。その時にロシアのツァー(皇帝)が言った言葉は「残念だ、だけど、少なくとも切ったのがロシア側でなかったことを幸せとする」でしたね。そういうものなんです、同盟というものは。だから、イギリスは自分からはどうしても日英同盟が切れない。
渡部 切ったから、ビスマルク体制が崩れて第一次大戦のところに続くわけですよね。
岡崎 イギリスは紳士の国ですから、自分から切ることがどうしてもできないんですよ。
渡部 われわれが、端から見ると、何かアメリカが日英同盟を切らせたという印象が強いんですけれどもね。
◎ 岡崎:日英同盟を切ったのは幣原喜重郎である。その発想について
岡崎 アメリカが切れ、切れと言ったことは事実ですが、当時のイギリスは、アメリカが言ったからといって日英同盟を切らなければならない国ではないんです。それは続けようと思えば続けられたんです。
ところが幣原が切ってしまったんですね。イギリスの提案はどうせアメリカの上院を通らないと予想した。だから、そんな提案はやめて、三ヶ国の協議にしようと考えたんです。それで日英同盟を切っちゃったんですよ。
渡部 それはいったいどういう発想だったんでしょうね。
岡崎 結果としては間違いとなりましたが、幣原という人は信念の人で、ベルサイユ体制とワシントン体制を深く信じて、新しい時代が来たと思ったんです。これが実は間違いだった。
渡部 大間違いでしたね。
岡崎 大間違いだった。当時の日本は結局帝国主義国でしたからね。イギリスと一緒に帝国主義国同士でやっていくのが日本の外交の整合性から言って正しかったんです。 それをアメリカの言う国際協調主義に乗ったんですね。これが間違いでした。アメリカはしょっちゅう揺れます(政権が交替すれば政策も変わる)から、あてにならないんですよ。それに乗ってしまったんですね。それで幣原は最後までそれがいいと思っていた。
渡部 ウイルソンは何か理想主義的で人気がありましたからね。
岡崎 幣原は、ワシントン体制の作った条約体制を世界の強大国がそろって遵守すれば世界はいよいよ平和になると信じたのです。だから、もう日英同盟はいらない、と思った。その体制の中には中国との間のいろいろな条約が全部入ったんです。これは二一ヶ条条約で作ったものも全部入っている。それを中国も飲んだ。これが本当に最初の約束通り守られたならば、幣原の考えでよかったんです。ところが、そうはならなかった。なぜかというと、今度、中国自身がワシントン体制に反対の態度を明らかにしてきたんです。これはナショナリズムの台頭という新しい要素が原因ですよ。
渡部 元来、条約なんかろくに守ったことのない国ですからね。
◎ 岡崎:アメリカが、ワシントン体制を裏切った
岡崎 それから、ひどいことになりました。今度はアメリカが考えを変えてしまう。ワシントン体制を作った当のアメリカが、ワシントン体制に反対し始めたんです。反対というか、条約を守らなくなった。
渡部 だいたい国際連盟に入らなかったでしょう。アメリカが自分が提案したくせにね。
岡崎 その時のアメリカの中国大使館にいマクマリー公使が記録を残しています(『平和はいかにして失われたか』)彼は、ワシントンの本省と猛烈な喧嘩をするんですよ。「とにかく日本のしていることは全部正しい。中国の言うことは無理だ。ベルサイユ体制、ワシントン体制を守るべきである」と進言するんですけれども、本国のほうはもう今までの経緯などは忘れてしまって、中国のナショナリズムに同情的になるんですね。
渡部 やはり反日の高まりが強かったですね、当時のアメリカは。あの移民問題からしても何からしてもね。
岡崎 ただ、アメリカには、「アメリカなるもの」などという実体は一度もないんです。いつでも、世論も議会も政権も、それこそ全部バラバラですからね。だから、幣原は、ひとつのことでもって惑わされることはなかったんです。実際、「日本は日英同盟を守るんだ」と決めて通せば通った話ですからね。また無理やり切るほどの世論の支持が背後にあったわけではないですね、アメリカも。
渡部 日英同盟を切れなんていう民衆運動は起こらないですね。
岡崎 それはもちろんそうですね。同盟の相手国であるイギリスがもういやだと言えば駄目なんですよ。それにしても、日英同盟をもし維持していますと、日本の外交はずいぶん変わったものとなったでしょう。
渡部 非常にいい調子でしたでしょうね。それは。
岡崎 たとえば日独伊防共協定にいくわけがない道だったと思います。
渡部 わけがないね。孤立して寂しいからくっついたという感じが強いものね。
◎ 岡崎:もし日英同盟が継続していたら世界はどうなっただろうか。
岡崎 そうなんですよ。もし続けていたらどうなったかと言うと、結局日本とイギリスが一緒になって大陸の利権を守るんです(渡部 守ったでしょうね)。世の中というのは戦争があると激しく動く。戦争がないと世の中はほんの少ししか動きませんからね。日本とイギリスが一緒になっていたら、アジアでは戦争が起こらなかったでしょうから、民族主義の台頭は半世紀は遅れたことでしょうね(渡部 緩やかにね)。日本やイギリスが満州の利権や遼東半島をずっと持っていて、ようやく去年の香港返還と一緒に返すことになったのではないでしょうか。
渡部 なるほどね。そういうことだね。それがひとつの筋道ですね。
岡崎 おそらくそうなっただろうと思いますね。そうしますとアジアの民族主義は遅れたわけです。だから民族主義が何より大事と思う人にとっては、挫折の期間がもう半世紀、ないしは、まあ30年は延びたということなんですけれどもね。ただそれによって、戦争は避け得たですよ。やはり、「民の苦しみ、戦乱より甚だしきはない」んですよ。
渡部 それはそうです。日本だって数百万、亡くなられたわけですからね。
岡崎 そうなんですよ。それで中国だって、民族主義は台頭したが、本当に民が楽になるのは1978にトウ小平政権になってからです。それまでは、大躍進などで、何千万も死んだんですからね。
◎ 渡部 汪兆銘の再評価
渡部 汪兆銘のあれは愛国の行為だったんですね....。あの戦争をやめようとしたんですからね(岡崎 そうです)。やめさせなかったのはアメリカとかイギリスが「やれやれ」と言ってどんどん蒋介石に武器をやったから終わらなかったんですね。汪兆銘の立場はもっと同情的に見るべきだと思いますね。
岡崎 汪兆銘は、実にはっきりした見通しを持っていまして、「これは日本に勝てるわけがない」と見ていました。「勝てるわけがない戦争をしたらどれだけ犠牲がでるかわからない。それならば話のつくところで妥協したほうがいい」というのが汪兆銘の考え方なんですよ。あの人は孫文の右腕で一番尊敬された人ですよね。
渡部 そうなんですね。その汪兆銘は、われわれがもう一度再評価しなければならない点かも知れませんね。
◎「悪玉と善玉」史観を廃す
岡崎 私は全部結局人間というのは真面目に生きているので、悪玉と善玉ではなしに全部いかに真摯に生きたか、それをきちんと書ければだいたい近代史は書けるかなと思っているんですけれどね。
渡部 そうすると、日英同盟、統帥権干犯、いろいろ悲劇の事件が起こりましたけれども、まあそれを全部、比較的客観的に書くんですね。
岡崎 ええ、そうです。
渡部 それで、日本の立場が今までなさすぎましたね。東京裁判史観というのは日本の立場を言わないで、向こうの立場で言えば、どうだって言えますよね。
岡崎 立場というよりも事実だけ客観的に叙述すれば、自ずから真実は出てきますよ。
渡部 両方の事実ですね。
岡崎 そうです。
渡部 大いに期待しております。
岡崎 どうもありがとうございました。
〈以上〉
2004年10月 補足
岡崎の「近代外交史」は「外交官とその時代」シリーズとしてPHP研究所から全5巻がすでに刊行されています。
2003年には同社より文庫版が刊行されております。