中国社会科学院日本研究所・日中技術留学協会共同主催

(1999年4月29日-30日)

第3回日中若手フォーラム:
世紀交替期における東アジア地域の焦点問題
第1セッション:アジア太平洋地域における大国間の調整
「世紀交替と日中・日韓関係」

小川 彰(おがわあきら)
岡崎研究所主任研究員
(zip@st.rim.or.jp)


[I] パックス・コンソルティスの時代とアメリカの役割

21世紀の世界秩序:パックス・コンソルティスの時代とアメリカの役割

 21世紀の秩序維持システムが、1648年のウエストファリアの講和により成立した近 代国際社会の秩序 [1] の墨守によって維持できまいとの専門家の見通しに筆者は賛 成する。[2]  構造的変動のきっかけはグローバリゼーションである。グローバリ ゼーションが進むにつれ、国境を超えた問題が発生した。国境単位で物事を仕切ると いうシステムそのものが通用しなくなった。ボーダーレスになりつつあるのは経済活 動だけでない。政治秩序、社会秩序の面にもその影響は及びつつあり、国際社会は今 や本当に一つの社会になりつつある。

 問題は近代国際社会の基本構造の本質である多極構造による世界秩序維持が成り立 たなくなったことである。現在は、構造的な変化が生じる歴史的転換期にあり、21世 紀の国際社会の秩序維持をいかに行うべきかが真剣に議論されるべきときである。こ れからの世界はどのような秩序の方向に向かうのであろうか。中国と日本はアジアに おける最有力国家として、こうした議論に積極的に加わるべきであるが、現時点では 世界がどの方向に向かおうとしているかについての共通認識はまったくないと言って よいのではないか。

 小和田恒元国連大使は「うまくいくかどうかは別として、世界が行く方向は一つし かない」と主張し、その方向は、協調的な秩序(ラテン語のPax Consortis「パック ス・コンソルティス」)に他ならないと言う。[3] 遠い将来の着地点として、筆者 はこの予言に賛成するものである。 ここで言う「コンソルス」とは「力を分かち合 う、責任を分かち合う」という意味であり、つまり、力を分かち合い責任を分かち合 うことによって成り立つ秩序しかあり得ない」世界が出現すると小和田は予言してい る。

アメリカが協力しない世界秩序は実効性をともなわない

 多極構造の究極の姿が二極構造である。冷戦時代の米ソ対立は二極構造の均衡の成 りたった秩序システムであった。その一方の極のスーパーパワーであったソ連は消滅 したが、これによって一極構造秩序がもたらされるとの見方は妥当ではあるまい。た しかにアメリカは軍事力で圧倒的な力を持っているが、政治秩序で万能ではいことは 明らかである。[4]

 アメリカによる一極構造秩序は、単にアメリカが圧倒的な力を持っているだけでは なく、その圧倒的な力により世界が支配されうるような状況が作り出されたときに実 現するが、現在の世界はそのような状況にはない。21世紀にアメリカが世界をおもう ままに支配できる見込みもない。もちろん、世界の秩序形成において、「アメリカが 協力しないような体制が、秩序維持の体制として絶対に成り立ち得ない」という「ネ ガティブ」な規定が成り立つことは言うまでもない。

 今後の世界がむかう方向は二つの可能性しかないように思われる。第1は、アメリ カが孤立主義のなかに引きこもり、その結果として世界の秩序維持がガタガタになる という可能性である。第2は、アメリカ自身が世界の保安官としての責任を自覚し、 協調的秩序維持の中核的、指導者的存在として、バランス・オブ・パワーの中で、秩 序維持のために乗り出す状況である。ユーゴスラビア問題へのアメリカの関与の経緯 からも、アメリカが国連を通じて本気になって取り組もうと米国民が考えるようなケ ースは非常に少なくなると思われるが、アメリカが出動しない限り世界の秩序維持が 不可能といってよいことは明らかである。

  [II] 「パックス・コンソルティス」



「パックス・コンソルティス」

 世界政府が近い将来に成立する可能性はない。したがって、各国の管轄権の及ぶ範 囲でつくられている法的、制度的枠組を尊重しながら、グローバルに行われる経済 的、社会的活動の現実を処理していくことが協調的秩序の本質となろう。国連は協調 的秩序形成の道具としては余りにも不十分である。[5]

 しかし、みなが責任を分担し、力を分かち合って秩序を維持するシステムほど脆弱 なシステムはない。なぜならば;第1に、そうしたシステムが世界的レベルで成立す るためには、この協調的秩序に加わるパートナー全員が秩序の基本となる基本的価値 を共有しなければならないからであり、第2は、その価値を積極的に推進し、追及し ようとする法的な意思があることが協調的秩序が実効的たりうる不可欠な要件とな る。同時にその共有する価値を追及するための共同行動がなければ、協調的秩序は機 能しないからである。

 「パックス・コンソルティス」は力のバランスで平和を守るという考えもとらな い。そこには仮想敵国が存在しない。それは、お互いでルールを決めてお互いにルー ルを守れば平和がもたらされるではないかとの理想主義の伝統の上にたつ考え方であ る。歴史的に見れば、国際連盟はそのようなアメリカの理想主義により創設されたも のであり、欧州のCSCE、アジアにおけるARFは、この理想主義の現在進行形の表現で ある。「パックス・コンソルティス」の最大の問題点は過去の歴史上一度も成功した ことがないことであり、過去に失敗を犯した理想主義者が荒布をまとい灰をかぶり (聖書エステル記のことば)深く悔いなければならないならば、数限りない失敗例は 懺悔の人々の行列は絶えぬことだろう。現在まで、「パックス・コンソルティス」の ような集団的安全保障の考えはアメリカ理想主義の見果てぬ夢にとどまっている。 [6]

アメリカの理想主義について

 しかしながら、過去に一度も成功しなかったからと言って、「パックス・コンソル ティス」へ向けた努力が今後とも無駄というわけではない。なによりもその考え方は 道徳的に高邁であり素晴しい。また、世界最強の軍事国家であるアメリカが、21世 紀にあっても理想主義の旗を降ろす気配はないことから、「パックス・コンソルティ ス」のような集団的安全保障の考え方は、あながち白昼夢とも言えないのである。

 アメリカの理想主義は根強よい。たとえば、現実主義者のヘンリー・キッシンジャ ーですら、世界に与える影響については次のように分析している。---アメリカは理 想主義の伝統を持つ国であるから、バランス・オブ・パワーを政策の基礎におかない が、しかし、現在、アメリカは建国以来初めて自国が世界最強の国である国際システ ムのなかにおかれていることを自覚している。そのアメリカは、帝国主義的な野望を もたないので、巨大な軍事力にもかかわらず、その意思を世界に押し付けることはな い。ーーー以上は、アメリカの理想主義の強さの確認である。

 しかし、とキッシンジャーは続ける---アメリカはバランス・オブ・パワーがアメ リカの歴史的使命を追及するための基本的な前提であることは学ばねばならない。今 後出現する国際システムは、これまでアメリカ外交が遭遇してきたいかなるものより もはるかに複雑だからである。アメリカは、たとえ自分には合わないやり方であると 思っても、バランス・オブ・パワーの中で動くことを学ばねばならないだろう。[7]

 すなわち、アメリカは理想主義を捨てないが、理想の追及のためにはバランス・オ ブ・パワーの中で動くことを学ぶという進歩を遂げるであろうと予測している。[8]

集団的安全保障は同盟を補完的することはあっても代替することはない

 今後15年ないし20年先の将来の最善の世界秩序はどのようなものであろうか。 筆者は、アメリカを中心に据えた『バランス・オブ・パワーを基礎とする「パック ス・コンソルティス」』が現在考えられる最善の世界秩序ではないかと思う。もちろ ん、バランス・オブ・パワー(同盟)を基礎とする「パックス・コンソルティス」 (集団的安全保障体制)とは、はなはだしい形容矛盾である。なぜなら、同盟関係は 仮想敵を力のバランスで抑えることを前提とし、集団的安全保障体制は仮想的が存在 しないことを前提とするからである。[9]

 しかし、これは、遠い目的地が「パックス・コンソルティス」にほかならないこと を忘れずに、現在の世界ではバランス・オブ・パワーを無視しては、一歩も先へ進ま ないことを認めざるを得ないという、われわれが置かれた過渡期の困難な姿をよく表 現しているのではないか。現在、世界できちんと機能している、システムは、欧州で はNATO、アジア太平洋では日米同盟ぐらいであろう。

 結局は、1995年2月27日に日米同盟を再定義した「ナイ・レポート」[10]  が 明らかにしたように、集団的安全保障は同盟を補完的することはあっても代替するこ とはないという平凡な結論にわれわれは戻るのである。

中国の協力なしに地球的問題の解決は絶対にあり得ない

 以上では、アメリカを一つの典型として説明したが、重要なことは、協調的秩序維 持のためには主要国すべてが本気で協力せねばうまくいなかいということである。中 国やロシアなどのプレイヤーが本気で協力することがない限り、協調的秩序維持はで きないであろう。とりわけ、軍事力や経済力だけでなく、環境を汚染する能力という ネガチティブな力も含めて、中国の協力がなければ地球的問題の解決は絶対にあり得 ないことは言うまでもない。

[III]日韓安全保障関係の進展

ベーカー論文(1991年)

 91年11月、ベーカー国務長官は、地域の安全保障の枠組みづくりの中心に日米同盟 を据え、日米同盟、米韓同盟、米比同盟、米タイ同盟が、米国を要に風車のように放 射状に広がる姿を論文「多国間協議方式による安全保障」[11] として発表した。こ の論文は日米同盟ほか既存の二国間同盟関係の枠組を強調すると同時に、二国間同盟 関係を放射状に広がる扇の骨として、その骨にASEANなどの多国間枠組みを布地のよ うに張り付けることで、90年代以降のアジア太平洋地域の秩序を維持するという構想 であった。

 しかしながら、97年以降のアジア経済危機、とりわけ98年のインドネシアにおける スハルトの失墜により、ベーカーが期待したASEANなどの多国間枠組みは、求心力を 喪失し、ASEANもARFも、扇の骨にぶら下がるぼろ布のごとくなってしまった。

「パックス・コンソルティス」へむけた日米韓関係

 「パックス・コンソルティス」には、短絡的な理解による誤解に基づいた賛成者も 多い。たとえば、敵対するソ連が消滅したので、日米同盟は即座に解消すべきであ り、一足飛びに集団安全保障体制である「パックス・コンソルティス」にとってかわ られるべきだと主張する一部識者がいる。だが、現実世界では、ソ連崩壊後に秩序の 不安定がむしろもたらされている。そのような現実にいかに対処すべきかを考えなけ ればならない。

 アジア太平洋地域で、最も重要な二国間同盟関係は日米同盟である。日米は合算す れば世界の技術、経済、軍事において卓越する存在である。日米同盟がしっかり機能 するならば、第3国が紛争を武力解決することは不可能である。すべての紛争は平和 的手段で解決されることになる。

 筆者は、むしろ日米同盟を強化し、日米同盟と米韓同盟を日米韓三国の協力関係 (「三角形」関係)に発展させることこそが地域の安定をもたらすことになると考え る。

 だが、安全保障面での協力に関して、過去半世紀にわたりほとんど不毛の状況にあ った日韓両国が「同盟関係」に発展することは可能だろうか? 第一に、そのような 同盟関係を結ぶことが韓国の対中配慮から可能でもあるとも思えない。

 しかし、韓国が建国半世紀を経て、国家の存在と繁栄を海洋、特にシーレーンの安 定に依存している事実は無視しがたい。韓国経済は1965年以降奇蹟の発展を遂げた が、それは、日本同様に海洋国家(maritime nation)への道を歩むことでもあった。 乏しい自国の自然資源にたよらずに、世界中の資源を輸入加工し輸出する貿易立国へ の道であった。

 韓国の識者は「戦後韓国は島国であった」と指摘している。[12] その意味は、北 朝鮮と対峙しているために韓国は南の海洋へしか交易のルートをもたなかったので、 「事実上の島国」であり、韓国の地政学的位置は、実は日本とそっくり同じ条件であ ったということである。

 このような地政学的位置が、90年代の韓国海軍に「海へ、世界へ」(パダロー、セ ゲロー)をスローガンとして採用させ、98年には初の国産3900トン新型ミサイル駆逐 艦「広開土王」を進水させ、その目を世界に向けさせたのである。

 韓国に日本とよい関係を築いていこうという発想が生まれたのは当然の成り行きで あろう。[13]

1998年10月の金大中大統領の訪日

 なぜ日韓関係がこのように急速に接近したのであろうか。奇蹟とも言われる日韓関 係をもたらしたのは、1998年10月の金大中大統領の訪日である。

 金大中大統領は韓国建国50周年に当たる98年10月日本を訪問し、日本の国会で「北 朝鮮のミサイル開発能力は、この地域の平和と安定を深刻に脅かしている」と述べた が、これは日韓の安全保障認識の接近を雄弁に物語る挿話であった。アジア金融危機 で日本は韓国を支援したいと考え、韓国も日本の支援を望み、支援を受け入れたが、 これについて金大統領は感謝の意を表している。韓国専門家の小此木政夫慶応大学教 授は、金大中大統領が宮中晩餐会で「過去」や「謝罪」について一言も言及しなかっ たことが日本国民の印象を変える第一歩であったと分析している。[14] 金大中大統 領は、10個師団を日本に上陸させることもなく、たった一人で、たった一夜にして 日本人の心の砦を占領したのであった。

 韓国専門家の武貞秀士防衛研究所室長は、98年の日韓共同文書のなかで、歴史認識 の問題よりも、「もっと大事なのは、日韓の防衛交流である」と指摘している。なぜ なら、共同文書の中で、最大のスペースを占めたのが政治と安全保障であり、日韓間 の文書のなかで、防衛交流を進めるとの文言は日韓の歴史で初めてのことだからであ る。[15]

 日韓共同宣言によれば、「両首脳は、冷戦後の世界において、より平和で安全な国 際社会秩序を構築するための国際的努力に対し、日韓両国が積極的に参画してゆくこ との重要性につき、意見の一致を見た」のであり、「両首脳は、両国間の安保対話及 び種々のレベルにおける防衛交流を歓迎し、これを一層強化してゆくこととした」の である。そして、共同宣言の「行動計画」には「本年6月に開始した日韓安保対話を 今後少なくとも年1回、実施する」「防衛・国防担当大臣の相互訪問を始めとする各 レベルの人的交流を拡大する。艦艇の相互訪問など、部隊間の交流を推進する」とな っている。

 武貞によれば、日韓防衛交流にはさまざまな障害があったという。第1は、韓国内 の声で「歴史認識にケジメをつけない日本とは一緒にやれない」という意見であっ た。第2は「日本より、中国などとの関係強化が先だ」という意見。第3は「米韓同 盟があれば十分なので、日本と関係する必要はない」との意見であった。今回の金大 中大統領の判断は、これらの障害を一気に払い落とすものであった。

 ここに至る過程で、94年の韓国国防長官の日本訪問に始まる閣僚レベルでの日韓防 衛交流と、96年4月の日米共同宣言以降の官僚レベルでの日韓対話が深められてきた ことに注目すべきである。とくに、日韓対話については94年8月にハワイで開かれた 非公式日米韓対話が日韓の意味ある対話のさきがけとなったと関係者は証言してい る。[16]

 また、その後のガイドラインに関しては、97年3月にソウルで、5月にワシントン で開かれた次官クラスの日米韓3ヵ国会議は、日米の説明を通じて韓国がガイドライ ンを積極的に評価する契機となる重要な会議であったという。[17]

 このように日米同盟を強化するとともに、「三角形」の同盟関係を形成することで 当面の秩序を強化しようという方法を「バーチャルな同盟関係」とよぶ人もいる。 [18] 正式な三カ国同盟の形式にとらわれずに、安全保障協力の枠組を実質的な強化 する試みだからである。

 たとえば、日米韓の三角形においては、日韓間に新たに正式の同盟関係を結ばず に、米韓海軍協力を強化することで、米海軍の介在によって海上自衛隊と韓国海軍の 協力を強化しようとする構想である。

 日韓の海上協力について今後予想される問題点は次の2点である。1)韓国の海軍 建設の方向とこれに対するアメリカの支援の度合い、2)そしてこの枠組の強さの鍵 を握る日本の集団的自衛権問題解決の可能性である。各国に、実現に向けての強固な 決意があれば、この構想は決して夢物語ではないと専門家は見ている。[19] このよ うな日米韓関係は2年前には考えることもできなかった構想であるが、いまや主とし て日韓の海上関係者により真剣に検討が開始されている。

日韓関係の3段階進展説

戦後半世紀で、日韓関係が大きく前進した年が2回あった。1965年と1998年である。

 1965年は、戦後約1世代にわたり正式な国交を持つことができなかった日韓が、日 韓基本条約と諸協定の締結により、経済関係を樹立した年であった。立役者は朴正熙 大統領であった。98年10月には、記憶に新しい金大中大統領の訪日により、65年の枠 組みが大きく前進し、日韓安全保障協力推進が大きくすすむことになった。98年に東 京で発表された日韓共同宣言と付属文書は、65年の日韓条約関連文書にはなかった過 去についての事実認定を行い、将来にわたる日韓協力関係のための「行動計画」を含 むものであった。

 日本と、日本がかつて植民地支配をおこなった韓国との関係修復作業が、もし「3 章仕立て」で完成されるとするならば、「第1章 外交・経済関係の修復」は65年に 開かれたと言ってよい。「第2章 安全保障関係の建設」のページは98年に開かれた ばかりであるが、「第1章」の幕開けから「第2章」までに実に33年間を要したこと になる。「第3章」は、「日韓和解」の章と呼ぶべきであろう。

 この「第3章 日韓和解」の章は、今後の課題であるが、現在多方面の努力により すすめられている2002年のワールドカップ共同開催などは、和解のための下地づくり に大いに貢献するものと思われる。  結局のところ、和解の問題は心という感情の問題であり、外交・経済・安保の問題 は打算や戦略という頭の問題、理性の問題であるから、次元が異なる問題ではある が、和解の可能性が今後どのように開けてくるかが、98年に始まったばかりの日韓安 全保障協力の進展にかかっていることも事実である。

[IV] アメリカ新政権の対アジア政策

2001年1月:米国新政権への期待

 日米の多くの専門家は、有力な人材がクリントン政権をすでに去っていることか ら、新政権発足(2001年1月)までに、斬新な対アジア政策が打ち出される可能性は 低いと見ている。また、99年4月の朱鎔基首相の訪米も失敗に終わり、一年たらず前 のクリントン訪中当時の米中蜜月時代は遠い過去の出来事となった感がある[20]。日 米同盟関係については、1996年の橋本・クリントンによる日米共同宣言のフォローと してのガイドライン関連法の実施以上の動きはみられそうにない。日本が課題とする 集団的自衛権行使の議論も、米国新政権下での議論となろう。したがって、今後2年 間は、日米中関係は動かないと見ている。

日米韓豪4ヵ国連合構想

 日米韓の三角形の形成については、筆者はすでに別の論文で発表したが[21]、豪州 から強い関心が寄せられ、現在(99年4月中旬)では日米韓豪の4ヵ国で連合が結べ ないかとの議論がセカンド・トラック対話で行われている[22]。言うまでもなくセカ ンド・トラック対話は新しいアイディアの試験場であるから日米韓豪4ヵ国連合構想 が今後現実の政策に反映するか否かは予想できない。

 しかし、日米韓豪の4ヵ国はいずれも民主主義と自由貿易という価値観で結ばれた 連合であり、アジアの国々の民主化と経済的な発展に手を差し伸べ、条件が整った国 からヨーロッパにおける通貨統合のように連合の輪を広げ、アジアの安定と平和に共 同の責任を分担していくとの構想である。本稿は、このようなセカンド・トラック対 話の現場での議論を参考にしているが、このような対話は米国の新政権のアジア政策 立案に必ず影響を及ぼすであろう。

[V] 日本の変化

江沢民主席の訪日への評価

 韓国が未来指向の前向きな国であり、その大統領が大人物であるとの印象を決定づ けた金大中大統領訪日直後に、江沢民主席が訪日したが、日本ではこの訪問は完全な 失敗であったと受け止められている。とくに宮中晩餐会での江主席の発言や物腰がテ レビを通じて全国の茶の間に伝えられると、日本国民の中国の国家元首に対する敬意 の念は急速に低下した。中韓両首脳は対照的な評価を得たのである。

 それまで、日本には「中国びいき」とよばれる古い世代を中心とする親中派人脈 [23] が日中関係に影響力を与えてきたが、98年の江主席の訪日は日本国民に幻滅を 与え、古い親中派人脈の影響を衰えさせるきっかけとなった。

北朝鮮のミサイル発射の「スプートニク」効果

 98年8月末の北朝鮮のミサイル発射は、日本に「スプートニク」効果をもたらし た。国民と国会議員の多くは夢想だにしなかった事態に遭遇し、驚愕による過剰反応 を繰り返したので日本の安全保障議論が大いに進んだかの錯覚を与えるが、実際に は、北朝鮮との関係は短期的には冷えるがやがて回復し[24]、BMDと情報収集衛星計 画は進み、KEDOへの支援は核拡散防止が目的である以上はいずれ復活せざるを得ない 見通しである。

 むしろ、注目すべきは、北朝鮮のミサイル発射をめぐる日本国民の米国情報への不 審の増大である。いざという時にアメリカは本当に日本を守ってくれまいとの不信感 が国民のあいだに広まったことである。これは、日米同盟関係を根底から揺さぶる可 能性を持つ新しい潮流である。アジア主義者である石原慎太郎氏の東京都知事当選に も、一部には国民の米国への不信の増大が影響していると思われる。[25]

変わり始めた日本

 安全保障分野での日本国内における1999年の顕著な傾向 [26] のひとつは、マス コミにおけるシミュレーション(模擬演習)の流行である。これは国民が国家安全保 障に不安を抱き始めており、国民のニーズを有力メディアが的確にとらえたものであ る。

 98年12月23日の朝日新聞「自衛隊出動シミュレーション:武装集団が上陸したら」 [27]は大きな反響を呼んだ。元陸将志方俊之帝京大学教授が進行役をつとめ、元海将 補平間洋一防衛大教授が統幕議長役、元航空自衛隊司令部幕僚潮匡人評論家が航空幕 僚長役をつとめるなど、自衛隊出身者が多数参加した「朝日らしからぬ」紙面づくり であった。この企画は朝日新聞社内部でも衝撃的な企画であった。本来政治部が行う べき性格の企画が社会部によって実施されたからである[28]。政治部内の意見がわか れていて政治部としてはこのような企画に取り組めなかったという。朝日新聞のシミ ュレーションが発表されると、組合の影響が強いテレビ各局内部でも「朝日があそこ までやったのだから、ウチがやってもいいんじゃないか」[29]と、従来の自衛隊ネタ に対するアレルギーが低下した。

 1999年1月初旬発売の月刊誌『This Is 読売』[30] に掲載されたシミュレーション はさらに衝撃的であった。朝日新聞のシミュレーションが新聞社内での数時間の座談 会風の議論で記事にまとめあげたのに対し、『This Is 読売』のシミュレーションは 準備に2ヵ月をかけ、日韓の閣僚クラス30名を、韓国南部の軍港鎮海に集め、2日 間にわたり実施した本格的なシミュレーションの成果報告であった。10月8日〜10日 にかけて実施されたが、韓国からは孔魯明元外務部長官、姜徳洞・元韓国合同参謀本 部長副議長、白珍鉱・ソウル大大学院教授などが参加、日本からは山本誠・元自衛艦 隊司令官、岡崎久彦・岡崎研究所所長、平間洋一防衛大教授、武貞秀士防衛研究所室 長などが参加した。想定は、対馬海峡で韓国タンカーが浮遊機雷により爆沈、さらに 韓国領海内で交戦した北朝鮮潜水艦が日本領海内に逃げ込むというシナリオであっ た。このシミュレーションが衝撃的であった第1の理由は、シナリオに酷似した事件 が間もなく現実に起きたことである。掲載誌が書店に並ぶ直前の12月18日、韓国南岸 近くに潜入した小型潜水艇が対馬の南西約90キロメートルまで逃げ韓国海軍に撃沈さ れるという事件がおきた。さらに99年3月24日の北朝鮮工作船事件では、自衛隊発足 以来始めて「海上警備行動」が発令されたが、『This Is 読売』で行ったシミュレー ション参加者の多くがマスコミの要請でテレビ、新聞などに登場した。[31] 第2の 衝撃は、日韓両国メンバーが合同シミュレーションを行ったことである。これに関し て、韓国側主催者は「シミュレーションは過去に何度も行っているが、日本の閣僚の 役を本物の日本人にやってもらったのは初めての経験で沢山学ぶことがあった」と述 べているが、日本側の事情も同様であった。[32]

 3月発売の『文芸春秋』 [33]は「緊急シミュレーション白熱の4時間 第2次朝 鮮戦争勃発す」を掲載した。有名なテレビ番組司会者田原総一朗を総合司会とし、当 選2〜3回の若手国会議員5名を迎えての討論会をシミュレーション仕立てにまとめ た読み物である。このあたりから、「シミュレーションは出せば当たる」「シミュレ ーションは読者のニーズに応えるものだ」との認識がマスコミ関係者の間で定着した ようである。

 こうしたメディアの変化は、国民の不安を反映したもので、メディアが国民を先導 するのではなく、国民のムードの大きな変化をメディアが「鏡」のように反映したと 解釈すべきである。

変わり始めた日本を見る目

 海外有力メディアの対日論調も大きく変化している。『エコノミスト』2月27日号 [34] は巻頭言で次のように主張しているが、日本の政治家、官僚組織、マスコミに 与える影響はが大きい論説なので紹介する。

「(有事の際に)日本が弾薬を渡す程度の後方支援でお茶を濁すならば、日米同盟は 崩壊するであろう」「ガイドライン法が成立しても、日本が果たす役割はまったく不 足している」。「米中が台湾をめぐり戦うとき、あるいは北朝鮮が南侵した場合に、 日本は米国の死傷者を運搬することしかしないが、これでは、日本は米国から見放さ れる。だからこそ、国会に要求される作業は、まず新ガイドライン法を成立させるこ とであり、さらに集団的自衛権の問題に新たな光を当てることだ。憲法改正の可能性 はいつのことかわからないが、集団的自衛権の問題は政治家の決断で解決できるはず だ(集団的自衛権とは国連憲章が認める主権国家の権利である)」

 また、ニューズ・ウィークもつぎのように論じている [35]。

「高度な文明を有し、世界第二の経済大国である日本。その国が世界で最も危険な地 域の一つに位置しながら、自国を防衛する能力がないーーー外国人からみると、これ は非常にばかげたことだ。こうした見方は、日本人が安全保障に対して普通の取り組 みを始めないかぎり消えないだろう...日本の平和主義者にとって不幸なことに、彼 らの住む北東アジアには世界で最も不安定な体制の北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和 国)が存在する」「最近では、日米安保体制の現状に沿った見直しや、情報収集衛星 の開発や戦域ミサイル防衛(TMD)の共同研究に真剣に取り組んでいる。だがこれは、 安全保障政策の改革という長いプロセスの第一歩にすぎない。日本は今後、中国や北 朝鮮にからんで重いリスクを背負うアメリカに弾薬を補給するだけではすまなくなる だろう」

[VI] 日本の役割と日中対話の促進

日本の役割

 日本は過去半世紀の富の蓄積により国際政治の桧舞台に躍り出る運命にある。日本 のような大国が与えらた特別な責任と課題を考えずにすりぬけていくことはできない だろう。その前提は中国韓国との和解である。日本は国家としての歴史的意義を模索 しつつある。

 なぜ日本が存在するのか。日本がアジアの中のおいて中国、ロシア、米国と直接接 する位置に存在するのか。その意味をこれからの日本国民は自問することであろう。 そして、日本がどのようなミッションのために存在するかが明確なメッセージとして 表明される必要があろう。それなくして、日本が周辺諸国と和解することは不可能で あろう。

 国家のミッションは神話の世界に属する。その神話は日本のより来った歴史を総合 的に説明するものでなくてはならない。日本がどこから来て、どこへ行くのかを説明 するものでなくてはならない。神話は、個人が自由にこしらえることができないがゆ えに神話であり、それは自然に湧き出してくるものである。21世紀の日本国家の神 話は、21世紀の人類に普遍の類型の内容をもたねばならない。神話は日本を生まれ 変わらせる新生の希望を与えるものでなくてはならない。

 21世紀における日本の役割は明確であろう。協調的秩序形成に参画する意思を明確 に持ち、「世界全体が全く新しい未知の世界に向かって協調的秩序の形成を目指す過 程」にあるなかで、有力なプレーヤーとして世界の新しい秩序形成のために知恵を出 し、創造に向かって努力することである。そこに新しい国家の神話の可能性がある。

 日本は第二次大戦後ひたすら「他国に迷惑をかけない存在になるということをいわ ば国是として来ました。それは第二次大戦後で日本が近隣諸国にいろいろな迷惑を及 ぼしたという経験から見れば、当然のことであったと思います。しかし、よく考えて 見ると『迷惑をかけない』というのは『悪いことをしない』という消極的な価値でし かありません。もう一歩進んで『良いことをする』ことが重要な時代に入っているの ではないでしょうか。」[36] このような平易なメッセージは今日の日本の若い世代 が素直に耳を傾けるものであろう。

 21世紀の世界に協調的秩序をどのようにして築いていくかは世界の最重要課題である。

セカンドトラック対話の重要性:日中関係の今後

 現在、日中間にはさまざまな対話の場が存在するが、少なくとも安全保障対話につ いては、対話は表面的なものにとどまっている。日本側の参加者は「中国からの参加 者は建て前しか語らない」と不満をもつことが多い。[37]

 しかしながら、「パックス・コンソルティス」へ向けて日中の対話をわれわれは促 進する必要がある。とくに、日本が変わりつつあること、日本を見る世界の目が変わ りつつあること、2002年にむけて日韓関係が大きく変化しつつあること、2001年に米 国に新政権が誕生し米国のアジア政策が新にされる可能性を考えると、安全保障分野 での日中対話の促進が望まれる。[38]


脚注

1 今日われわれが国際システムと考える秩序は、30年戦争が終った1648年に、ウエス トファリアの講和の結果生まれた。この講和は中世のヒエラルキー的秩序に終止符を 打った。その本質は併存する主権国家が主権平等と内政不干渉の概念を基本として形 成する秩序であった。つまり、ひとつの国の中で起こることはその国が自分で勝手に 決めればよいのであり、他国は口出ししないという原則に基づく秩序であった。そう いう主権国家同士が対外的な関係において接触することから生じる関係が、国際関係 (インターナショナル・リレーションズ)であった。それはネイションの間の関係で あって、そのような国家相互間の外的関係を規律するのが国際法(インターナショナ ル・ロー)である。このような、近代国際システムは基本的に多極構造を前提とす る。

2 小和田恒「21世紀の世界と日本」『学士会会報』No.823(1999年4月)26-41頁。

平成11年(1999年)1月20日学士会午餐会における講演要旨)。小和田は、冷戦構造 が崩壊する1980年代末から10年余りを外務審議官、外務事務次官、国連大使として、 日本外交を特定の国とのバイラテラルな関係という立場でなく、世界全体を見渡す立 場から考えるというポストで過ごした。本稿の「パックス・コンソルティス」の考え 方は小和田の思想を参考にした。

3 前掲、「21世紀の世界と日本」

4 安全保障分野の事例として、湾岸戦争、最近のイラクの行動にアメリカが手を焼 いている状況、インド・パキスタンの核実験に対して核拡散の危険を阻止できなかっ た事態を小和田は列挙している。また、経済分野にいたってはアジア経済危機など、 アメリカ一国ではどう頑張ってみても世界経済のシステムを正常な状態に回復できる ような状況ではない。

5 国連憲章の中で加盟国すべてが拘束されるのは安全保障理事会の決定だけであ る。このような決議がなされるのは例外中の例外であり、総会などの決定は単に勧告 的な性格を持つにすぎない。したがって、主権国家である各加盟国はその決定に何ら の拘束を受けない。

6 理想主義が成功しなかった事例として、国際連盟下の満州事変、イタリアのエチ オピア占領、ドイツのオーストラリア、チェコ制圧、ソ連のフィンランド侵攻、国際 連合下でのソ連のハンガリー、チェコ、アフガン侵攻がある。岡崎久彦「第145回 国会参議院国際問題に関する調査会会議録第1号」第23部、平成11年2月3日、 2頁。岡崎参考人の発言。

7 ヘンリー. A. キッシンジャー著、岡崎久彦監訳「第31章 新世界秩序考」『外 交 下巻』日本経済新聞社、1996年、535-567頁。要旨を汲み取り筆者が編集した。

8 たとえば、米国防総省は、大統領と議会に提出した1999年版国防報告(1999年2月 2日)で次のような認識を明確にしている。米国が今後15年ないし20年間にわたり政 治的軍事的に世界に関与し、将来のライバルに対する軍事的優位を維持しなければ、 「世界は一層危険な状態となり、米国やその同盟諸国、友邦、国益に対する脅威はよ り厳しいものになるであろう」。

9 かつてソ連を仮想敵とした日米同盟は、現時点では具体的な仮想敵をもたない。 しかし、たとえば2010年頃、南シナ海やマラッカ海峡において海上交通路を意図的に 阻害するsea denial powerが出現した場合には、日米は共同で対処することになろ う。2010年頃、sea denial powerとなる潜在力を持つ大国は中国とロシアしか存在し ない。しかし、中国が日米同盟の仮想敵となるか否かは今後の中国の出方にかかって いるのである。将来、日米中が共同で海上交通路の防衛に当たるとのバラ色のシナリ オも現時点では想定し得るし、何らかの理由で中国が日米にとってのsea denial powerになるとのシナリオも想定しうからである。

10 小川彰「安全保障政策のアクターと意思決定過程:1991〜98年」『日本の外交政 策決定要因』外交政策決定要因研究会(橋本光平主査)、PHP研究所、1999年、 157-158頁。

11 『フォーリン・アフェアーズ』、1991年11月。翻訳は『中央公論』1992年1月、351頁。

12 韓国中央大学ユン正錫博士の指摘。武貞秀士「海洋国家としての韓国:21世紀の 韓国の戦略」、未発表からの引用。

13 韓国の安全保障政策のなかで、とりわけ興味深い部分が、日本との海洋をめぐる政 策の変化であろう。武貞は、日韓防衛交流が進むなかで、日本の岡崎研究所と韓国の Yoido Society、米国の戦略研究所(Pacific Forum CSIS)の3者が97年6月から進め ている日米韓安全保障対話に注目している。(武貞秀士、前掲)3ヵ国対話の概要は 別表の通りである。

14 小此木政夫「日韓関係に画期的な枠組み」『産経新聞』、98年10月15日

15 武貞秀士「日韓新時代の夜明け」『VOICE』98年11月号、110-119頁

16 Noboru Yamaguchi, "" a paper presented at the conference on Future Strategic Cooperation among the US, the ROK and Japan,, Co-hosted by the Yoido Society for New Asia, Pacific Forum CSIS and the Okazaki Institute, Seoul, April 22-23, 1999, p.7.

17 In-Teak Hyn,"Korea-Japan Maritime Security Cooperation:Feasibility and Limitations," 日韓安全保障対話KJ Shuttle 6, 岡崎研究所、国際経済政策調査 会、The Yoido Society, 江田島会議、1998年6月17日。

18 Pacific Forum CSISのRalph Cossaの命名。

19 川村純彦「日韓セカンド・トラック外交と海上における地域協力」『日本の外交政 策決定要因』PHP研究所、1999年、211-240頁。

20 WTO加盟について包括合意ができず共同声明署名にとどまったこと、核技術スパイ 疑惑・政治献金疑惑の渦中の訪米となった。この訪問は、朱鎔基首相がみずから「実 際、訪米したくなかった」と語っているように中国にとって難しい時期に実施され た。多くの外国人は、中国が99年に経済危機に直面すると指摘しており、失業問題深 刻化し、一部外国人のなかには中国の経済改革が中断したと述べている。

21 韓国国防研究所機関誌掲載論文。Akira Ogawa, Jr."The Miracle of 1998 and Beyond," Korean Journal of Defense Analysis, Winter, 1998

22 1998年12月、メルボルンにおけるAustralia Defense Associationとの会議。ま た、1999年4月、ソウルにおける第12回国際SLOC会議におけるAustralian Defence Force Academy関係者との会議。また、豪州の国防白書には「今後15年間に、日本 はアメリカとの強固な同盟関係の枠内で、徐々に自国の安全保障により大きな責任を 果たし、域内でさらに密接な提携を促進し、豪州にとっていっそう重要な防衛上のパ ートナーになるであろう」と記述されている。"In the National Interest---Australia's Foreign and Trade Policy: White Paper" 1997年。

23 日本国内の世代交替について語る場合に、古い世代については、Sadako Ogata,"Normalization with China: A Comparative Study of U.S. and Japanese Processes," Institute of East Asian Studies, University of California, 1988. 緒方貞子著、添谷芳秀訳『戦後日中・米中関係』東京大学出版会、1992年参照。

24 野党だけでなく、小渕政権、自由党が北朝鮮との対話を望んでいる。

25 しかしながら、石原東京都知事誕生の最大の原因は、自民党に「恐竜派」と官僚派 が増大し都民の心をつかみそこなったことである。明石康氏では絶対に当選しないこ とがわかっていながら自民党は公認候補として擁立し、しかも、明石氏惨敗の責任を 誰も取ろうとしない。有権者の声に耳を傾けるという健全な機能を自民党執行部が喪 失したことが改めて確認された選挙であった。強調したいのは、都民の多くは石原氏 の外交政策に共鳴して投票したのではないことである。ところが、石原氏に対する中 国のマスコミの非難はエスカレートしている(『産経新聞』99年4月20日は『人民日 報』『新華社評論』『解放軍報』などの記事を詳しく紹介している)。これでは、石 原陣営を追い込み、反中国の立場を鮮明にさせるだけではないか。

26 ガイドライン関連法案の審議等にの分析は他の論文にゆずる。

27 福井県沖を高速で走る不審な漁船が発見されたとの想定で始まる。やがて2つの武 装グループが日本国内でゲリラ活動を開始し多数の犠牲者が出る。首相はどの段階で 自衛隊を動かすか悩むという「架空の危機に基づく思考の実験」(朝日)であった。

28 社会部では98年に長期連載企画「変わり行く自衛隊」を連載し、その過程で記者の 自衛隊に対する認識の変化と人脈形成が行われたという。

29 「読売や産経ならやるかも知れないが、朝日がやった」という点が衝撃的であった という。複数のマスコミ関係者とのインタビュー、1999年2月。朝日は発行部数では 読売に抜かれたが、この挿話からも日本のオピニオンを牽引していることがわかる。

30 宮地忍「日韓共同シミュレーション:海の防衛協力 ここまで出来る」『This Is 読売』1999年2月号、274-283頁。宮地忍「日韓防衛シミュレーション:相互協力 を阻む日本の『特異性』」『読売新聞』1999年1月6日。

31 このシミュレーションは民間研究所である岡崎研究所と韓国の新亜細亜秩序研究 会(李相う会長)が共同で実施した。平壌放送1月8日はこのシミュレーションを非難 している。政治家や政策立案者のあいだで最もタイムリーかつポイントをおさえた報 道とされたのは、「不審船問題 緊急座談会」『読売新聞』1999年3月25日で、岡崎 久彦元大使、山本誠元自衛艦隊司令官が参加した。追跡権の問題、海上警備行動の問 題に関して、10月のシミュレーションでの議論を生かした緊急座談会となった。

32 シミュレーションでは日韓それぞれの参加者が、日本国政府、韓国政府を組織し た。シミュレーションの結果は韓国内では政府関係者にも報告され、直後の北朝鮮小 型潜水艇撃沈事件のさい、日本側の反応を予測する上でたいへんに役に立ったとい う。韓国関係者へのインタビュー。99年2月。

33 総合司会田原総一朗「緊急シミュレーション白熱の4時間 第2次朝鮮戦争勃発 す」『文芸春秋』99年4月号、106-130頁。出席した国会議員は東祥三、石原信晃、前 原誠司、中谷元、仙谷由人。

34 "Let Japan sail forth," The Economist, February 27, 1999, p.p.15-16;

"Japan's Constitution, p.p.21-25。この『エコノミスト』の日本特集は、衝撃的な 巻頭言"Let Japan sail forth"によって、ワシントン、東京のポリシー・サークルに きわめて大きな影響を与えた。今後の集団的自衛権をめぐる議論に究めて重要な影響 を与えるであろう。

35 ジェラルド・シーガル「オピニオン『普通の国』になりはじめた日本」ニューズ ウィーク(日本版)1999年3月31日、31頁。シーガル氏は英国際戦略研究所所属。こ の雑誌の同じ号には、「平和国家に目覚めのとき」14-19頁、「安全保障:戦えない 国ニッポン」22-25頁、「日本の意思、アメリカの思惑」26 28頁、「日米同盟:新ガ イドラインの4つの難問」29-30頁が掲載されている。長くなるが引用する。

 「高度な文明を有し、世界第二の経済大国である日本。その国が世界で最も危険な 地域の一つに位置しながら、自国を防衛する能力がないーーー外国人からみると、こ れは非常にばかげたことだ。こうした見方は、日本人が安全保障に対して普通の取り 組みを始めないかぎり消えないだろう。周辺地域の状況に目を向ければ、日本が普通 にならなければいけない理由はわかるはずだ。...日本の平和主義者にとって不幸な ことに、彼らの住む北東アジアには世界で最も不安定な体制の北朝鮮(朝鮮民主主義 人民共和国)が存在する。核兵器の開発計画を描き、大量破壊兵器の運搬技術改良を 進めている国だ。...日本の数百キロ先には中国がある。現在の世界秩序を覆えそう とする唯一の大国であり、アメリカがアジアから最終的に撤退することを望んでいる 国だ。...日本が戦略的な現実から目をそらせてきたのは、第二次大戦のトラウマや 日米安保体制のためだという説明をよくきかされる。だが、これは説明としては不十 分だ。...日本がトラウマを負ったのは無理からぬことだ。トイツと違って、いまだ に第二次大戦の敗因を受け入れることもできていない。だが、何世紀にもわたって侵 略を繰り返してきた他の大国とは異なり、日本が犯した過ちは一つだけだ。日本の不 幸は、帝国主義の衰退期に自らの帝国を拡張しようとしたことにある。だから、日本 の罪がことさら目だった。中国や他のアジア諸国が、日本の過去の罪をとがめ続けて いるのも当然だ。経済が順調な間は普通の安保政策を取る必要はないと日本は自らに 言い聞かせることができた。実際に、軍事力にたよらない文民パワーの概念を生み出 したことを強調もしてきた。そうした思い込みをもったまま、日本は冷戦の終結や、 中国が台頭した1990年代を過ごしてきた。米軍による抑止力が十分に頼れるものと思 えたからだ。...日本が不安をいだくようになった契機は、テポドンだけではない。 テポドンに衛星が搭載されていた事実を、アメリカが見破れなかったことも大きかっ た。アメリカは96年、中国が台湾沖で軍事演習を行った際に空母を派遣した。だがそ れも、中国のミサイルを確実に迎撃できないことを証明する結果に終わった。ますま す不安に陥った日本は、安保政策に対する常識的な取り組みを始めた。最近では、日 米安保体制の現状に沿った見直しや、情報収集衛星の開発や戦域ミサイル防衛(TMD) の共同研究に真剣に取り組んでいる。だがこれは、安全保障政策の改革という長いプ ロセスの第一歩にすぎない。日本は今後、中国や北朝鮮にからんで重いリスクを背負 うアメリカに弾薬を補給するだけではすまなくなるだろう。」

36 前掲「21世紀の世界と日本」39頁

37 たとえば、セカンド・トラック対話として位置付けられているCSCAP(アジア太 平洋安全保障協力会議)海洋協力作業グループ第4回東京会議(1997年11月)参加者 に対する筆者のインタビュー。その結果、国際会議に中国からの参加者を招かないこ とも多い。中国側参加者がかかえる困難は主権問題にふれる場合について、自由な討 論を行う権限を本国から与えられていないことにあるようだ。その結果、参加者は一 方的に中国の立場を表明するだけに終わることが多い。

38 具体的に、日中対話を促進するためには、主権問題を棚上げにした話し合いを行 うべきであろう。これにはセカンド・トラック対話の手法が有効である。

 台湾の民主化が進み、尖閣諸島の問題を契機に、アジア諸国の対中懸念があらわに なっていることからも、日中間に民間レベルで本音の話し合いの場を設定することが 必要である。


[付 録]

岡崎研究所/国際経済政策調査会
韓国新亜細亜秩序研究会(Yoido Society)
共同主催
日韓安全保障民間対話一覧表

                    
時 期/プロジェクト名内 容参 加 者場 所
97年4月
KJ Shuttle 0
予備会談ソウル
97年6月
KJ Shuttle 1
「ブレーンストーミング」(日本)学者、(韓国)学者ソウル
97年9月
KJ Shuttle 2
「ブレーンストーミング」(日本)学者、軍人、政治家、(韓国)学者東京(慶応大学)
群馬(万座温泉)
97年12月
KJ Shuttle 3
中国に対する見方の違 い-1」(日本)軍人、学者、(韓国)学者ソウル、仁川上陸地
98年2月
KJ Shuttle 4
中国に対する見方の違 い-2」日本)学者、官僚、軍人ー(韓国)学者ソウル、仁川上陸地
98年3月
KJ Shuttle 5
「金大中新政権の行方」(日本)学者、官僚、軍人、ジャーナリスト、政治家木浦、衣荷島(金大中大統領生誕地)、ソウル
98年6月
KJ Shuttle 6
「日韓海の協力コンセプト提示」(日本)学者、官僚、(韓国)学者江田島、呉、広島
98年9月
KJ Shuttle 7
「シミュレーション日韓海の協力の準備作業」(日本)学者、官僚、軍人、(韓国)学者、官僚、東京
98年10月
KJ Shuttle 8
シミュレーション日韓海の協力」(日本)学者、官僚、軍人、ジャーナリスト、(韓国)学者、官僚、軍人、ジャーナリスト鎮海、馬山
98年12月
KJ Shuttle 9
「シミュレーション日韓陸の協力の準備作業」(日本)学者、官僚、軍人、(韓国)学者、官僚東京
99年1月
KJ Shuttle 10
「シミュレーション日韓陸の協力の準備作業」(日本)学者、官僚、軍人、ジャーナリスト、政治家、(韓国)学者、官僚、軍人、ジャーナリスト東京、御殿場、箱根
99年6月(予定)
KJ Shuttle 11
「シミュレーション日韓空の協力の準備作業」(日本)学者、官僚、軍人、ジャーナリスト、(韓国)学者、官僚、軍人、東京、御殿場、箱根
99年7月(予定)
KJ Shuttle 12
「シミュレーション日韓空の協力」(日本)学者、官僚、軍人、ジャーナリスト、(韓国)学者、官僚、軍人、

岡崎研究所
韓国のYoido Society
米国戦略研究所(Pacific Forum CSIS)
共同主催 日米韓対話一覧表

時 期場 所会議名
97年10月ハワイ・オアフ島日米韓計画会議
98年4月ハワイ島日米韓計画会議
98年11月東京日米韓計画会議
99年4月ソウル最終会議



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