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    <title>NPO法人岡崎研究所</title>
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    <updated>2012-01-11T05:47:31Z</updated>
    
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    <title>北の権力継承の読み方と安定度</title>
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    <published>2012-01-11T05:36:16Z</published>
    <updated>2012-01-11T05:47:31Z</updated>

    <summary>【正論】元駐タイ大使・岡崎久彦　北の権力継承の読み方と安定度 　私は、今回の金正日氏から金正恩氏への権力継承それ自体によっては、北朝鮮には、何も大きな変化は起こ...</summary>
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        <![CDATA[<p>【正論】元駐タイ大使・岡崎久彦　北の権力継承の読み方と安定度<br /></p>
<p>　私は、今回の金正日氏から金正恩氏への権力継承それ自体によっては、北朝鮮には、何も大きな変化は起こらないと考えている。</p>
<p>　少なくとも、新しい体制をつくりつつある勢力は、それが成功するかどうかは別として、大きな変化が起きないように、つまり、継承がスムーズに行われるように、営々と努力してきたと思う。</p>
<p>　≪謎解く鍵０８年労働新聞社説に≫</p>
<p>　金正日氏の健康不安説が囁（ささや）かれ始めたのは、公式の場に現れなくなった２００８年８月ごろからである。そして、その年の１０月２１日付の党機関紙、労働新聞は副主筆の盧英署名の長文社説で、「わが革命は３世、４世が革命と建設の主力を成す段階に入った」と論じた。その趣旨は３点であった。</p>
<p>　第一に、わが革命は３世、４世が革命と建設の主力を成す段階に入った。第二に、革命継承事業では形式より内容を重視しなければならない。第三に、軍隊は党であり国家であり、人民だという軍事優先の原理は革命伝統である－。</p>
<p>　これは、金正日氏自身が自分の後のことについての考えを表明したものと見られたが、その言わんとするところは、謎であった。</p>
<p>　その謎は０９年春ごろから、金正日氏の後継者として金正恩氏（当時は金正雲と表記）の名が出てきて以来、解け始めた。特に、翌１０年９月２８日には、金正恩氏が大将となったことが公表された。これで、北朝鮮の政権は金日成氏の直系の子孫によって受け継がれることが明確になり、他の実力者による継承の可能性はなくなった。</p>
<p>≪長子らと第２世代外しが狙い≫</p>
<p>　そして「形式より内容を重視」とは、長子相続やそれまでの職歴によらないということだと分かった。長子相続なら金正男氏がいるし、金正恩氏の同腹にも金正哲氏という兄がいる。一つ腑に落ちなかったのは、第４世代への言及であり、第４世代に注目すべき人物がいるかどうか探したが、まだ若年で名簿にも出てこなかった。</p>
<p>　最近になってハタと気がついたのは、第３、第４というのは、ただ子々孫々というほどの表現であって、その真意は第２世代外しではないか、ということである。</p>
<p>　第２世代で最も発言力があるのは、金正日の実妹の金敬姫氏であり、形式主義排除なら、女性でも良いことになる。そして、その夫の張成沢氏は軍のタカ派路線に対し経済改革派と呼ばれている。</p>
<p>　そして、「先軍主義」を高らかに掲げているということは、金正恩氏が「先軍主義」を支持するということである。これで金正日氏が健康に不安を感じた後の後継体制構想はほぼ明らかになった。</p>
<p>　金正恩氏の名が出てきた後は、観測気球説、時期尚早説、失脚説などが飛び交ったが、恐らくは、全ては流説であって、北朝鮮の中枢、とりわけ軍では、一貫して、０８年１０月２１日の路線を粛々として実行してきたといえると思う。</p>
<p>　とすると、今回の継承は金正日氏の意向の下に、３年前から一貫して準備されてきた路線であり、まして、実力者である軍の支持があるのであるから、当面、後継体制が揺らぐことはなく、政権交代が北朝鮮の政局、政治に及ぼす影響はあまりないと判断される。</p>
<p>≪正日妹・婿と軍の権力闘争も≫</p>
<p>　金正日氏の死で、権力闘争の可能性があるとすれば、金敬姫－張成沢路線と軍との相克であろう。金敬姫氏は最近、大将に昇進している。恐らくは権力継承から外したことへの埋め合わせとして、金正日氏が行ったものであろう。</p>
<p>　とすると、実妹に対する金正日氏の配慮がなくなった後、もし、軍との間に相克が起これば、金敬姫氏の地位は危うくなろう。そして、それが、政策面におけるタカ派路線とハト派路線の相克を意味するのならば、北朝鮮の内外政策にも影響して来ることになる。</p>
<p>　ここから先は、政権交代とは関係ない国際情勢の影響である。</p>
<p>　北朝鮮は１９９４年以来、核開発を一時停止する、あるいは、単に６カ国協議出席の可否などの、本質的ではない譲歩の切り売りによって、食糧、石油などの援助を受ける外交を展開してきた。それが最近は、アメリカに見透かされて、援助の入手がままならなくなっている。その結果、中国への依存度が高くなってきている。金正日氏の、死の前の頻繁な中国訪問はそれを意味すると思われる。</p>
<p>　他方、最近の東アジアにおける「対中統一戦線」の結成という情勢の下で、中国の戦略家が将来の米中対決を視野の一部に入れていることは間違いない。その場合、中朝国境を流れる鴨緑江まで米韓の勢力が及ぶことは中国としては避けたいであろう。そうなると、中国は国際的に評判の悪い北朝鮮との親密化に躊躇（ちゅうちょ）は感じつつも、北朝鮮に対する影響力確保は、国家戦略上の要請となってくる。</p>
<p>　筆者の個人的感触としては、将来、北朝鮮が崩壊するような場合に、中国は、核施設の安全確保、あるいは難民の流入阻止などの口実はあろうが、北朝鮮の少なくとも北部は占領してなかなか引かないのではないかと感じている。</p>
<p>　中朝の戦略的一体化の状況は進んでいると考えざるを得ない。（おかざき　ひさひこ）</p>
<p>&nbsp;</p>]]>
        
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    <title>グアム移転費は東アジア防衛に</title>
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    <published>2011-09-15T01:42:15Z</published>
    <updated>2011-09-21T02:01:30Z</updated>

    <summary>【正論】元駐タイ大使・岡崎久彦　グアム移転費は東アジア防衛に 　この論文はむしろアメリカに向けて書いている。 　野田佳彦新政権ができて最初の日米首脳電話会談で、...</summary>
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        <![CDATA[<p>【正論】元駐タイ大使・岡崎久彦　グアム移転費は東アジア防衛に</p>
<p>　この論文はむしろアメリカに向けて書いている。<br /></p>
<p>　野田佳彦新政権ができて最初の日米首脳電話会談で、オバマ大統領は普天間移転を含む、米軍基地再編計画の推進を催促したという。ルース駐日大使の日本外相に対する申し入れも同じだった由である。日米関係の従来の経緯からいえば当然のことである。<br /></p>
<p>&lt;普天間移設の催促もうよそう&gt;<br /></p>
<p>　しかし、ここで私が言いたいのは、米国は、基地再編計画の推進を日本に催促するのはもうやめた方がよいということである。<br /></p>
<p>　基地再編の問題は、２００３年のラムズフェルド国防長官と稲嶺恵一沖縄県知事との会談に始まる。稲嶺氏が沖縄駐留米軍は沖縄県民にとって負担だと説明したとき、ラムズフェルド氏は極めて不愉快な顔をして聞いていたが、その後すぐに沖縄駐留の米軍人、家族の削減検討を指示したという。<br /></p>
<p>　ラムズフェルドという人は、多大の批判を招いたイラク戦争当時の情勢判断からも分かるように、自ら独断的に決定し、周囲の意見をあまり受け入れない質である。彼が不快顔で聞いていたのは、日本の防衛のために必要と思っていた米軍が負担だと言われたことであり、それに対して、それなら削減すればよいという即断を下したのであろう。しかも、それはイラク戦争初期の作戦が成功して、自らの判断と指導力に最も自信のあった時期であった。<br /></p>
<p>　冷戦の終了とソ連邦の崩壊によってソ連の脅威がなくなったヨーロッパでは、大規模の米軍兵力再編が行われたのに対して、東アジアはそのままであった。<br />それは必然でもあった。たしかに、マッカーサーが考えていたようなウラジオストクに対する抑えとしての沖縄の戦略的価値は減じたものの、もともと沖縄の基地は朝鮮半島と台湾海峡を睨（にら）んでいたものである。<br /></p>
<p>　それは沖縄返還の時の日米共同声明で、日本の安全にとって、朝鮮半島は緊要であり、台湾は重要であるとわざわざ言及したことからも明らかである。したがって当面、東アジアの態勢については変更の予定はなかった。<br /></p>
<p>&lt;ラムズフェルド氏の独断？&gt;<br /></p>
<p>　しかし、このラムズフェルド氏の意向により東アジアの兵力再編が動き出した。それは国務省、国防総省の俊秀が多大の努力で作り上げた大計画であり、その過程では財務当局、議会との折衝も必要であった。また、移転先グアムには、莫大（ばくだい）なインフラ、設備の投資など、大きな期待を持たせた。<br /></p>
<p>　それがその後、停滞していることに対する米国の怒りは理解できる。「あれだけ俺たちを働かせておいて何だ」、「議会に対してどう説明するのだ」、「グアムに与えた期待を踏みにじるのか」という当然の反響である。<br /></p>
<p>　ただ、それは、端的に言って、従来の行きがかりによる不平不満であり、戦略的な批判ではない。もともとそれはラムズフェルド氏の直情径行的な反応が発端であり、深い戦略的必要に基づいたものではなかった。<br /></p>
<p>　また、戦略的情勢も変わっている。この再編計画が作られた過程では沖縄の海兵隊の主力は次々にイラク、アフガニスタンに送られていた。米国からイラクを望めば、沖縄経由でもグアム経由でも大差はない。そして、それは過去１０年間の中国の海空軍力の飛躍的増大の前の話である。<br />これを考えれば、日本側の事情でこの計画が停滞していることは米国にとってむしろ天の助けではないか。<br /></p>
<p>&lt;新たな東アジア戦略が必要&gt;<br /></p>
<p>　しかも、今、米国は軍事費が大幅に削減される状況にある。軍事費削減で最も懸念されるのは、西太平洋における中国の脅威の増大に対して十分な対応措置が取れないことにある。それは国務、国防両長官の発言の中にはっきりと読み取れる。この際、グアム移転に想定されている巨額の経費は、東アジア防衛に転用されるべきであり、日本政府に期待している膨大な移転経費は、東アジアの日米同盟の強化に転用するよう、日本政府に要求すべきである。<br /></p>
<p>　沖縄については、１９９５年の初志に戻れば、周囲に民家が密集している普天間から辺野古に飛行場を移せば、それで沖縄の願望に応えられる。そうすれば、移転のための投資は全部地元に落ちることになり沖縄のためにもなる。<br /></p>
<p>　そこまでは、米国も、万が一の事故を慮（おもんばか）っているという姿勢を示すために有意義かもしれない。しかし、それ以上の兵力再編は、今後何十年の東アジアの情勢の新たな分析の上に立った新しい戦略の下に作り直されるべきである。<br /></p>
<p>　また、米国、日本を問わず。沖縄の現状を知っている者は問題がそう簡単に解決するとは思っていない。早急に実現が期待されていないのにせっつくということの害は誰でも分かることである。<br /></p>
<p>　そして、もし圧力をかけるのならば、東アジア太平洋の現状から言って、日本の防衛費増大、集団的自衛権行使、武器輸出三原則の緩和などを要求するのが日米同盟強化の正道である。（おかざき　ひさひこ）<br /></p>]]>
        
    </content>
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    <title>真の保守とは何か</title>
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    <published>2011-09-14T06:18:30Z</published>
    <updated>2011-09-14T07:56:30Z</updated>

    <summary>　◇再認識されるべきバーク 　自民党が初めて衆参両院において第一党から転落して、自民党の新しいアイデンティティーが模索され、さらに最近では自民党の現執行部にあき...</summary>
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        <![CDATA[<p>　<strong>◇再認識されるべきバーク</strong></p>
<p>　自民党が初めて衆参両院において第一党から転落して、自民党の新しいアイデンティティーが模索され、さらに最近では自民党の現執行部にあきたらず新たな保守政党を求める動きが生まれつつある中で、何が真正保守主義がという問題が問われている。</p>
<p>　それは、次の参議院選挙で自民党が失地を挽回するためには、どういうイメージが必要かという短期的で戦術的な差し迫った点から、日本にとって、いかなる保守主義が必要とされているかという、長期的、政治哲学的な面をも含む大きな問題である。</p>
<p>　とくに、自民党に代わった民主党の外交安保政策が混迷して、日本の国益を殆うくしているという危機感の下において、日本が必要とする真の保守主義とは何かという問題が改めて問われている。</p>
<p>　一月二十四日、自民党は新たな綱領を採択した。これを読んで私はややホッとした。と言うのは、私は、この綱領採択前の原案を読む機会があり、その討議の前途に少なからぬ不安を覚えていたからである。</p>
<p>　自民党政権構想会議の第一回会議では、討議用のメモが配られたが、その冒頭次のように書いている。</p>
<p>　</p>
<p>　人間社会の営みは、生産、交換、分配、消費によって支えられる。この営みを如何なる政治理念（イズム）で行うかについては、近代社会では自由競争（創意工夫と自己責任）を重視する自由主義か、統制・計画（指導者の判断・責任の集約）を重視する共産・社会主義かに大別される。・・・自由主義は民主制と、共産・社会主義はその性格上独裁制と結びつきやすい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　私はこの考え方には違和感を覚えた。共産主義、社会主義、全体主義などの極左極右が、中央統制、計画経済を重視することはその通りとしても、真正保守主義に立脚した民主主義が、経済上の自由主義と結びつくと定義して良いかどうか、もう一つ自信が持てないのである。</p>
<p>　保守主義を論じると結論はエドマンド・バーク（一七二九―一七九七）の保守主義に帰せざるを得ないと思う。バークは、人間の理性が花開いていた十八世紀の啓蒙主義の真っただ中にあって、人間の理性に頼ることのもたらす危険に警告を発し続けた人であり、今でも保守主義と言えば、バークなしでは語れない。</p>
<p>　そもそも、政治を、生産、分配の仕組みで理解しようというのはマルクス的発想である。これこそ、保守主義の元祖バークに言わせれば、政治を先人たちの歴史の遺産で解釈せずに、人間の知性、あるいは浅知恵によって作り出された観念で把握しようという、非保守主義的態度である。</p>
<p>　ちなみに、バークはホイッグ党（のちの自由党）の政治家であり、アメリカ植民地の反乱を支持し、インドの植民地支配を批判した、今で言えばリベラルの立場である（英書の解説では、バークは「リベラル」がまだ「コンサヴァティヴ」の対立概念でなかった時代の人と言っている）。バークは、マグナ・カルタ以来積み重ねてきた英国の議会主義と自由の伝統がフランス革命の急進思想で破壊されるのに反対したのである。</p>
<p>　ただバークの原典は、現代人には読みにくい十八世紀的な英語であり、またまとまった理論体系があるわけではなく、種々の論説や講演の集合体なので、むしろここでは後世のバーク研究者たちのまとめによることとしたい。</p>
<p>　バークによれば、保守主義とは、祖先から受け継いだ伝統的な知恵を尊重し、それを子孫に伝えていく哲学である。その裏には、人間は多くの間違いを犯す不完全な存在であり、人間の知力などというものは矮小で欠陥だらけのものであるとして、人間の浅知恵への過信を根源的に危険視する謙虚な人間観がある。</p>
<p>　キッシンジャーはその出世作「回復された世界平和の中」で、メッテルニヒとバークの保守主義を比較して、前者は理論に基づく保守主義であるのに対して、後者は歴史に基づくと定義している。そのどちらが、今に生き伸びているかを思うだけで、保守主義の本質についての示唆が得られよう。</p>
<p>　バークは、我々の住んでいる文明社会はもともと人間の知力で設計されたものではないのだから、そこに人間の浅知恵によって、社会の“設計”や“計画”が参入すれば、文明の破壊は不可避となり、個人の自由は圧迫され剥奪されると考えたのである。</p>
<p>　そもそも“革命”という伝統を無視した社会変革は、世の中を良くはしない、とバークは考える。</p>
<p>　まさにバークが指摘したとおり、人間の理性を絶対視したフランス革命は、血ぬられたギロチンの阿鼻叫喚の巷をつくりだした。フランス革命だけではない。戦争と革命の世紀である二十世紀を経験した我々の世代にとってこそ、人間の浅知恵がもたらした参加の教訓は骨身にしみるものがある。</p>
<p>　<strong>◇“自由”だけが保守ではない</strong></p>
<p>　それは、人間の浅知恵で理想社会を建設できると考えた結果の、ソ連邦による富農撲滅の惨劇、七十年にわたる収容所群島、数千万の人命を奪った中国の大躍進運動、文化大革命の例を見れば、恐るべき先見性である。</p>
<p>　バークは、フランス革命における自由の理念の暴走を批判したが、自由競争を重視するというイデオロギーを振りかざすこと自体、自民党が今目指すべきはずの真正保守主義、つまり、バークの保守主義と反対の方向の精神的態度である。</p>
<p>　ここから、小泉・竹中路線を巡る自民党内の思想の混乱も説明できると思う。</p>
<p>　小泉・竹中路線の背後には規制廃止、自由競争原理を重んずることこそ、真の民主主義であり、保守政党であるという主張がある。</p>
<p>　極左極右の政府統制、計画経済の思想を排して、できる限り経済の自由競争を尊重するのが保守主義だというのは、原則論としては良いとして、その実施にあたっては、場合によってはある程度の政府統制も加える、ということは保守政権のとる態度として常識であろう。とくにリーマン・ショック以来、アメリカの経済学者の中でも、もはや金融界の自由化は善、規制は悪と一方的にいう人はいない。或る程度の常識的な規制は必要ということに広いコンセンサスがある。</p>
<p>　その観点から小泉・竹中改革、とくに、郵政民営化を考えると、自由経済理論の上に立った措置ではあったが、従来の日本政治、経済、社会に根差した制度を、バークの言う人間の理性、あるいは浅知恵で急速に変えようとしすぎたきらいは無かったか、という点が問題となる。従来の自民党支持者が郵政改革で戸惑ったのもその点であったと思う。</p>
<p>　いずれにしても、どの程度政府の統制が望ましいか、民営化と政府の統制のどちらが良いかなどということは、どちらが民主主義の正統路線か、あるいは保守の本流であるかというような大きな問題ではない。</p>
<p>　常識の範囲で、国民の利益を最大限にするための財政、金融、産業政策の問題に過ぎない。こんなところで、自由主義の原則論に遡って自民党の路線を議論するから混乱するのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　こうした発想の裏には、現在の米国における保守とリベラルの対立、すなわち小さな政府か大きな政府かの対立との類比があるのかもしれない。</p>
<p>　しかし、元祖の英国でも労働党は国営化、保守党は民営化という対立は過去の事となっている。現に戦後半世紀の日本の保守と革新、自民党と社会党との間の主要な対立点はむしろ護憲論争にあった。</p>
<p>　現在民主党の政策は、たしかに大きな政府的バラマキ予算であるが、そのスローガンとしては官僚機構、特殊法人などの整理を掲げる一種の小さい政府を主張し、特に中央官庁を縮小する地方分権を主張している。</p>
<p>　米国の共和党内保守派は、小さい政府派であると定義する事は間違いではないかも知れないが、自民党が米国の共和党保守派と同じ路線でなければならない、と決められても、自民党支持者は当惑するであろう。</p>
<p>　いずれにしても、経済の自由化をうたっているから真に保守的であり、政府が規制を強化すれば直ちに社会主義的であるとする定義は、現在の日本政治ではほとんど意味が無い。戦後日本が置かれた知的環境の下では、真の保守主義は、経済問題ではなく、外交、安保、教育などの面でその真価が発揮されるべきものである。</p>
<p>　昨年十二月十五日の第二回自民党政権構想会議では、まだ、その尻尾が残っている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　「政治主導」の言葉の下での中央統制的意思決定を行う民主党という「国家社会主義的政党」と「戦わなければならない」とした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　民主党なる寄せ集めの政党を一つにまとめて国家社会主義的政党と定義して、これと闘うのが自民党のイデオロギー的使命であると定義しても、自民党支持者は戸惑うだけであろう。</p>
<p>　ところが、出来上がった新綱領はそのような違和感を抱かせない。</p>
<p>　前文の現状認識において、「我々が護り続けてきた自由（リベラリズム）とは、市場原理主義でもなく、無原則な政府介入是認主義でもない。ましてや利己主義を放任する文化でもない」と言っている。ただし、民主党の政策については「我々は、全国民の努力により生み出された国民総生産を、与党のみの独善的判断で国民でいかつに再配分し、結果として国民の自立心を損なう社会主義的政策は採らない」と民主党のバラマキ政策を正面から批判している。これはなかなか良くかけた文章であり、これなら違和感は無い。私はその過程には関与していないが、党内の討議の結果ここまで来たということなら、自民党もまんざら捨てたものでもないという感を新たにした。そして、綱領の中の憲法改正をはじめ、その他、外交、安保、教育などの具体的政策提言についても違和感は無く、むしろわが意を得たりという感がある。</p>
<p>　もともと私は、経済問題を保守主義の中心に持ってくる発想には戦後日本社会の歴史的背景があると思っている。</p>
<p>　戦前から戦後もしばらくの間は、議会解散、内閣改造などの政治的変動がある都度、新聞が掲げたのは、東京大学の政治学の教授たちのコメントだった。</p>
<p>　ところが、大学の左傾化でそのコメントが現実と乖離してくるにつれて、東大のけんいが堕ち、折から高度成長の下で発言する機会の多くなった経済関係者の評論が幅を利かせるようになった。</p>
<p>　経済問題を中心に置く考え方の一つの表れとして、最近、といっても過去三十年ほど使われている「保守本流」という言葉がある。</p>
<p>　この言葉は、経済重視の「吉田ドクトリン」を掲げる宏池会系統の経済優先政策をさす言葉として使われているようである。</p>
<p>　ちなみに、最近の若い人と話をして驚くのはオリンピック景気というものがあったと信じていることである。</p>
<p>　私の記憶では当時誰もが「オリンピック不況」を嘆いていた。少なくともオリンピック後十年間は「オリンピック景気」という言葉は存在しなかった。</p>
<p>　経済成長率の統計を見ると、たしかに、岸時代の「岩戸景気」、佐藤時代の「いざなぎ景気」の二つの大きな景気の山の谷間である池田時代、東京オリンピックの頃に、針のような短期間の突起がある。しかしその高さから言っても、さらにビジネスにとって最も必要なその持続性からいっても岩戸景気やいざなぎ景気とは較べ物にならない。それは統計グラフを見れば一目瞭然である。</p>
<p>　ところが最近の教科書などでは、池田内閣は、岸内閣の路線を転換して、所得倍増計画を掲げ、新幹線、高速道路などを作って、オリンピック景気をもたらし、日本の高度成長路線を敷いたという歴史観になっているらしい。これは、はっきり言って歴史の改竄である。復興と成長は戦後自民党の一貫した路線であり、池田内閣の独占ではない。</p>
<p>　この歴史の改竄が行われた背景は、当時のことを思い起こしてみれば分かる。</p>
<p>　それは、六〇年安保当時のマスコミ、「進歩的」インテリが、その論理はあやふやなままムードに流されて安保改定反対、岸内閣打倒を叫び、それに代わった池田内閣を支持するために、イデオロギー的な説明を必要とした産物である。</p>
<p>　それでも、その後十年間はオリンピック景気などという言葉は無かった。山一證券が取り付け騒ぎを起こした、当時の不景気を覚えている世代が現職にいる間は、損な表現は使い得べくもなかった。</p>
<p>　保守本流というものが実在したとすれば、それは一九六九年の沖縄選挙で圧勝して三百議席を得た佐藤政権の時代である。その頃は、本流、傍流を言う必要もなかった。</p>
<p>　しかし、その絶対的な本流が佐藤政権の後継争いで福田、田中支持の二つに割れてから、主流争いが生じた。そして、福田内閣のあとで大平政権ができたころから、支持者の間で、吉田ドクトリン（これを主唱した永井陽之助氏自身それはフィクションだと言っている）なる言葉が使われ始めた。</p>
<p>　大平内閣の源流を、スキャンダルで倒れた田中内閣ではなく、池田内閣に置いたあたりから、保守本流という言葉が出て来たのである。</p>
<p>　もともとイメージの上では、福田派のほうが保守的であり、岸、佐藤時代の保守主義の伝統を継いでいる福田派を保守本流という方が自然であったが、福田派はあえてそう呼称しようとはしなかった。むしろ、宏池会系が本流でないからこそ、本流という言葉を使ったのである。</p>
<p>　最近、森田一氏は「心の一燈」という大平正芳の回想録を出されたが、その中で次のように書いている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　－保守本流という意識を、大平先生はどのようにおっしゃっていましたか。</p>
<p>　<strong>森田</strong>　何かの区切りのときには、「我々は保守本流だから」という言葉を使う。スピーチにも会話にも出てきますしね。あまりそういうことを言わない人なのだけど、私が不自然だと思うくらい保守本流とい言葉をよく使っていた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　「不自然」なぐらいという表現の中に、無理をして保守本流を唱えた意図が窺われる。</p>
<p>　陽は、岸、佐藤、福田の安保優先政策、親韓、親台湾政策（実は、岸のあとの佐藤、福田は、政権掌握後は、そこまで腰が定まらず保守派を失望させたが）に対抗する、経済優先、親中政策が保守本流だというフィクションが作り上げられたのである。</p>
<p>　池田内閣の所得倍増政策と言っても、最初は岸内閣時代の高度成長の延長に過ぎず、あとはオリンピック不況の時期である。</p>
<p>　ただ、岸内閣を悪の権化のように言うしかなかった当時のインテリ、メディアとしては、経済の実績では岸、佐藤内閣の方が遥かに良かったとは到底口に出せなかった。今でもそれに抵抗を感じる人々は居る。そこで、高度成長の功を全部池田内閣に帰したのである。</p>
<p>　それが当時の雰囲気だったのだ。この自称の保守本流が言わんとしたところは、安全保障重視のタカ派保守に対して、自分たちは経済優先のハト派保守だということであろう。</p>
<p>　<strong>◇“国家意識”と“民主主義”</strong></p>
<p><strong>　</strong>しかし、もともと安全保障と経済とは対立概念ではない。これを対立概念のようにすり替えたことから、一九七〇年代以降の日本の政治思想の頽廃が起きたのである。</p>
<p>　確かに、戦後の日本のように安全保障を軽視する風潮がある場合には（明治の自由民権運動では、逆に、野党の自由党のほうが常にタカ派であった）、安保重視は保守主義の物差しになり得る場合が多いが、経済は保守主義と無関係の中立的概念である。</p>
<p>　ちなみに、民主主義と国家の防衛との間の関係について哲学者の長谷川三千子氏は注目すべき論を展開しておられる。長谷川三千子氏によれば、民主主義は本来遠心的なベクトルを持っているので、国を愛するという求心力が無いとバラバラになる性質があり、アテナイの法律では売国罪を民主制転覆の陰謀と同じ重大犯罪として併記してあるという。</p>
<p>　これはきわめて鋭い観察と思う。だからこそ英米のデモクラシーでは外交安保では超党派外交が常識である。</p>
<p>　歴史の実例によって考えれば考えるほどこの観察は正しいことが分かって来る。</p>
<p>　日本の場合、明治憲法は当時の薩長藩閥体制にとって進歩的過ぎた。予算の増額には帝国議会の承認が要るという、民主主義的な規定が、ドイツの専門家の反対にもかかわらず、伊藤博文などの主張で挿入されていたからである。</p>
<p>　国家が急成長の過程にあり、また、日清日露の戦争を戦わねばならなかった明治の憲政出発当時においては、予算が前年度のままではどうにもならない。そこで、野党が制する議会が強大な発言力を有するに到った。</p>
<p>　選挙を何度やっても、選挙干渉しても、自由民権運動以来の野党の勢力は牢乎たるものがあり、予算の編成は困難を極めた。</p>
<p>　憲法制定は時期尚早だったとして、憲法停止論も出た状況だった。政府としては、解散、総選挙を繰り返すしかなかった。</p>
<p>　ところが日清戦争がはじまるや否や議会は一致して政府を支持し、日本の民主政治は救われた。そして、その日清戦争中の政府と野党の協力関係の延長線上に、伊藤博文を党首とし、自由党が全面協力する形で立憲政友会が生まれ、それが核となって、やがては大正デモクラシーとして日本の民主政治が花開くことになる。</p>
<p>　考えてみれば、名誉革命（一六八八）からワーテルローの戦い（一八一五）までの間の英国の憲政成熟期は、常に近代百年戦争と言われた英仏戦争の真っただ中だった。</p>
<p>　名誉革命とは、それまで英仏のカソリックの王家が組んで新協のオランダいじめをしていたのが、オレンジ公ウィリアムの即位により英蘭同盟とフランスとの間の百年戦争が始まることを意味した。</p>
<p>　したがって、英国憲政の成熟期には、一世紀以上にわたって、主敵たる対仏外交、防衛の基本については与野党間に意見の相違が生まれる余地が無かったことが、英国の議会政治を定着させ、外交防衛についての超党派の伝統を生んだと言えるであろう。バークが警戒感を持った民主主義（バークはマグナ・カルタ以来の英国伝統の議会主義は支持したが人民が主権を持つ民主主義には懐疑的であった）が英国社会を分裂させず、つに、英国風議会民主主義として世界の範となった背後には、英仏新百年戦争があったという史観も十分可能である。</p>
<p>　とすると、現在の日本のように国家意識が分裂した国で果たして民主主義が可能かという新たな命題が生まれて来る。</p>
<p>　ただ、これには私は必ずしも悲観的ではない。一見日本人の国家意識は分裂しているように見えても、日本人には伝統的な国家意識は存在しているように思う。国を愛するという明治以来の伝統はそう簡単には崩れていないと思う。</p>
<p>　というよりも、国家なるものが成立して以来数千年の人類の歴史の中で国家という価値観は定着している―バークの言葉では、すでに「時効」が成立している人類の遺産の典型である―と思う。</p>
<p>　人類が社会生活を営んできて以来の中心的な存在は、国家、民族とそして家族である。</p>
<p>　そんなことは、人は何のために死ねるかと設問すればすぐわかる。家族の危険を救うために死ぬ危険を冒す人は居る。もう少し大きな単位を取ると、世田谷区のため、東京都のため死ねる人は居ない。会社のためでも死ぬことまでできる人は居ない。</p>
<p>　それが国家、民族となると、居る。日本の国家、民族に脅威が迫った最後は一九八〇年前後、ソ連が北方領土まで旅団規模の地上部隊を派遣して、日本がソ連の侵入の危機にさらされた時期だったが、その頃北海道に赴任する自衛隊員はお国のために死ぬ覚悟であった。</p>
<p>　そこから上の単位である、地球、人類のために死ねる人は居ない。原発は人類の将来を危うくするといって反対運動をする人は居ても、そのために自分の命を捨てる気など、さらさらないのである。</p>
<p>　国家、民族と家庭を守るのが保守主義であるという定義に反対は無いであろう。あるいは民主党に聞いても、それは自民党の独占的価値観ではない、と言うであろう。</p>
<p>　しかし外国人参政権の問題などを見ていると民主党に国家意識が希薄なのではないかと気になる。確かに民主党には戦後の左翼変更の影響は存在するようである。それは長期的には教育改革で徐々に直していくしかないのであろう。そこに、保守主義にとっての教育の重要出が出てくる。</p>
<p>　<strong>◇“真正保守主義”の探求</strong></p>
<p>　自民党がはっきりした国家意識と家族の尊重を示すことが、自民党再生の王道であると思う。それは外交政策、安保政策、教育政策ではっきり表明されるべきものと思う。</p>
<p>　一つの問題は、真正保守に立ち戻るだけでは、保守の基盤が狭くなって、選挙において、国民の広い支持が得られないという危惧があることである。</p>
<p>　まさに現在アメリカでも、この前の大統領選挙で敗退した共和党の再建のためには、真の保守主義に立ち返ることを主張する勢力と、それでは中間層の支持が離れてしまうと危惧する向きとが、対立している。</p>
<p>　しかし、民主主義のもとに置いて政権交代などをもたらす大きな揺れは、政権のイデオロギーの選択というよりも、現政権に対する失望、挫折感の表明として野党を選ぶ場合のほうが多い。そういう時に中間層はいずれにしても大きく揺れるのであるから、一つのイデオロギー的支柱を持って、固定層からの確固たる支持票を得ている政党は強いと思う。</p>
<p>　そこからも真正保守主義探求のモティヴェイションが生まれる。昨年の選挙における自民党の敗北の理由の中に、安倍政権のあとに、すぐに麻生政権でなく福田政権を持ってきたこと、そして下空幕長の田母神俊雄氏への冷たい処遇などが、保守派の自民党に対する失望を生んだ一因として指摘されている。</p>
<p>　基盤が狭くなりすぎることへの対応策は、イデオロギー的な芯を持ちながら寛容であることであろう。ペイリンなど共和党保守派の問題はその非寛容さにあるように感じる。</p>
<p>　それは、言葉の上だけの説教であるような印象も与えよう。しかし、寛容であるということ、つまり保守主義のイデオロギーを堅持しながら、イデオロギーそのものには至上価値を置かず、常識とか伝統とのバランスを常に考えるということ、つまり、謙虚であること―それ自身がエドマンド・バークのいう芯の保守主義であると言える。</p>
<p>　私はこの「謙虚さ」というものの中に政治の深い本質がるように感じている。</p>
<p>　私が団塊の世代（いま六十から六十代半ば）、あるいはもう少し広くとって全学連、全共闘世代（六十から七十代半ばまで）の世代に違和感を覚えるのは、つづめて言えば、彼らに見られる謙虚さの欠如である。</p>
<p>　思い出すのは、一九六九年の沖縄選挙で自民党が圧勝して、三百議席を得た後のことである。</p>
<p>　当時の、まさに保守の牙城と言える、素心会（岸信介、賀屋興宣、千葉三郎などがメンバー）の幹部が言っていた。「今度入って来た議員たちはどうしようもない。早くもう一度選挙をしてふるい落とさないと自民党がダメになってしまう」。その予言が四十年を経て現実のものになって来た感がある。</p>
<p>　当時の新人議員の風潮は「偉い人のいうことなど聞きたくない。俺たちのいうことを聞け」というものであった。今となっては、当時の雰囲気を覚えている人は少ないであろうが、若手の議員が徒党をなしては佐藤総理との面会を求めて、総理がそれに辟易していた状況は、新聞にも載っていたので、今からでも検証できると思う。</p>
<p>　今も昔も変わらないと言う人もいるが、最近のいわゆる小泉チルドレン、小沢チルドレンのほうがずっと大人しく、指導者の意向に従順である。やはり、特異な世代だということが出来よう。</p>
<p>　当時を覚えている本人たちが正直に回想している。「俺たちのいうことを聞けと叫んで、いざ会ってみると何を言って良いのか分からなかった」と。謙虚さの欠如とは、既存の価値観、既存の権威に対する生意気さと言えば、当時の雰囲気にピッタリくると思う。</p>
<p>　それはまた当時まっ盛りであった中国の文化大革命のスローガンである「造反有理」の反映でもあった。これこそまさに、バークが忌み嫌ったものである。</p>
<p>　<strong>◇鳩山政権の浅知恵</strong></p>
<p>　謙虚さの欠如、それが現代内閣の一番の問題ではないかと思う。</p>
<p>　現内閣が外交、安保、とくに沖縄の基地問題について知識が無いのは、今まで政権に居なかったのであるから、当然である。ただ、問題は、自分の知らないことについて謙虚さが無いことである。</p>
<p>　それがその世代の特徴である上に、半世紀ぶりに自民党政権を倒し身ママで自民党がしてきたことをことごとく否定するというだ立場から、それが増幅されているのだと思う。</p>
<p>　従来の立場を否定すると言いながら、代わりに何をするか定見が無いと、どうしても過去の経緯の重みの無い、その場その場の浅知恵を言うしかない。それが如実に表れているのが、沖縄の基地問題についての発言のブレである。</p>
<p>　そこで日本の将来を考えて、もう一度バークに戻ると、保守主義とは、人間の浅知恵で社会を変えられるという思い上がりに対するアンチ・テーゼである。そして、それはソ連、中国の共産主義の失敗で実証されている。</p>
<p>　ただ、ソ連、中国の場合は、それがいかにナイーヴであったにしても人類の社会を改造しようという理想主義が背後にあったが、敗戦後の日本占領政策を考えると、それ以外の要素があった。</p>
<p>　それは、日本人から物質的だけでなく精神的にも報復能力を奪おうとした初期のアメリカの占領政策―それは未熟なニューディーラーたちの浅知恵で、一週間で書き上げた憲法案に最も端的に表れている―の結果である。そして、アメリカがその政策を修正する必要が生じた後も、それを継続させて、共産主義勢力に対する日本の抵抗能力を奪おうとした左翼系偏向教育と報道という、悪意の浅知恵の残滓がいまだに広く残っていることも問題なのである。</p>
<p>　今となっては、こういうことを指摘しても、日教組教育、大学の偏向講義、メディアの偏向報道の下にどっぷりつかって育った世代の中には、自らの思想の偏向にさえ気づかず、それは日本人自身が望み、支持した改革だったという偏向教育の教えを信じ切っている人々も多い。</p>
<p>　この偏向を克服することが真の保守主義だとすれば、結局それは志半ばで病に倒れた安倍政権の「戦後レジームからの脱却」こそ保守主義だということになる。</p>
<p>　戦後レジームと言っても、まず、言論、結社の自由は、もともと明治憲法で規定されていたのが、非常時体制で束縛されていたものであり、戦争が終わると同時に東久邇内閣が独自に解除した。後から来た占領当局が、やり過ぎではないかと心配した位である。婦人参政権、労働組合法、農地解放は、大正デモクラシーの延長線上と、その後の世界の趨勢の上にあり、占領当局の指示の前にすでに幣原内閣により準備され、直ちに施行された。それもマッカーサーが感嘆したほどである。</p>
<p>　日本側が全く意図せず、占領によって強制されたのは、まず、財閥解体、公職追放であったが、それはあまりに不合理なため、占領中にすでに漸次解除された。しかし憲法と教育三法だけはそのまま残った。</p>
<p>　教育三法は安倍内閣によって、約六十年ぶりに改正された。ただ、その実施がその後停滞しているのは残念であるが、それは、今後の内閣の課題であろう。</p>
<p>　そして最後に残ったのは憲法である。</p>
<p>　もちろん一国の憲法が外国人の浅知恵によって起草され、いまだにそのまま残っているという異常な事態はいつかは修正されなければならない。</p>
<p>　もっとも、そのあまりにも非合理な点はその後の裁判所の憲法解釈によって、少しずつ改変され、日本に固有の自衛権があることは認められて、自衛隊も合憲となった。ただ、その過程で、自衛権を個別的自衛権と集団的自衛権に分けるという、珍妙な解釈が行われ、しかも集団的自衛権は保有するがその行使は許されないという、法理上支離滅裂な解釈が加えられ、それが今に至るまで、日本の安全を守るにあたっての足枷となっている。</p>
<p>　この憲法の改正と教育三法改正の本旨の実施が真の保守主義の今後の課題として残っている。それは、今度の自民党の綱領でも謳われている。</p>
<p>　ただ、当面、自民党は野党である。野党としての課題は、戦後レジームからの脱却に逆行しようとする傾向のある政府与党の政策にブレーキをかけること、そして、外国人参政権など、人間の浅知恵で社会を変えようとする新しい未熟な試みを制御することにその主たる任務があるのであろう。</p>
<p>　蛇足であるが、保守主義の論者は必ずそれは絶えざる進歩主義であるという留保を忘れない。それは当然である。現在の文明社会は人類の絶えざる進歩によって創られてきたものであり、その先人たちの歩みを続けてゆくのが保守主義だからである。（おかざきひさひこ）</p>]]>
        
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    <title>Donation Request</title>
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    <published>2011-09-14T01:12:36Z</published>
    <updated>2011-09-14T01:16:23Z</updated>

    <summary><![CDATA[  &nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;...]]></summary>
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        <category term="岡崎近代史" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
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        <![CDATA[<span lang="EN-US"><font color="#000000" face="Century"> 
<p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font size="3"><span style="mso-tab-count: 1">&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp; </span>The translation of five volumes on modern Japan’s diplomatic history is an independent project of the Okazaki Institute. As of September 2011, the first two volumes (Volume 1: <i style="mso-bidi-font-style: normal">Mutsu Munemitsu and His Age</i> and Volume II: <i style="mso-bidi-font-style: normal">Komura Jutaro and His Age</i>) have already been translated and uploaded on our webpage. </font></span></p>
<p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font size="3"><span style="mso-tab-count: 1">&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp; </span>About 60 percent of the some ￥25 million that is the estimated cost of translating and editing the full five volumes has already been financed through donations from friends of the Institute. While the Institute is prepared to finance the rest, we nevertheless would appreciate it deeply if additional donations were made toward the completion of the project.</font></span></p>
<p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><font size="3"><span style="mso-tab-count: 1">&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp; </span>Presently, the first two volumes are available on our website free of charge to people in Japanese studies. From the third volume (<i style="mso-bidi-font-style: normal">Shidehara Kijuro and His Age</i>), we would like to consider publishing the work either in printed form or in e-book format. We would appreciate it very much if interested publishers or agents could contact the Institute at </font><a href="mailto:oihawks@titan.ocn.ne.jp"><font color="#0000ff" size="3">oihawks@titan.ocn.ne.jp</font></a><font size="3">.<span style="mso-spacerun: yes">&nbsp;&nbsp; </span></font></span></p>
<p style="TEXT-INDENT: 15.75pt; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: 1.5" class="MsoNormal"></font><font size="3"><font color="#000000"><font face="Century"><span style="mso-spacerun: yes">&nbsp; </span></font></font></font></span></p>]]>
        
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    <title>戦後の外務省に小村寿太郎なき無念</title>
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    <published>2011-09-07T08:00:24Z</published>
    <updated>2011-09-28T01:55:34Z</updated>

    <summary>　愛国主義とは何だろう？ 　こんな問いかけに対する答えは、戦前の日本なら自明のことであった。そして、恐らくは、現在の日本を除くすべての国民国家にとって自明のこと...</summary>
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        <![CDATA[<p>　愛国主義とは何だろう？</p>
<p>　こんな問いかけに対する答えは、戦前の日本なら自明のことであった。そして、恐らくは、現在の日本を除くすべての国民国家にとって自明のことであろう。</p>
<p>　しかし、戦後、日本を国家として再び立ち上がれなくさせようとした初期占領政策と、アメリカがその政策を放棄すると同時にそれを継承したばかりか、日本を共産勢力に対して無抵抗の国家にしようとした左翼偏向報道や教育の中に半世紀以上浸っていた日本人にとっては、国家とは何であろうかということ自体哲学的命題となっている。</p>
<p>　◇民主主義の“芯”にあるもの</p>
<p>　最近ハッと目を開かされた思いがしたのは、民主党政権を目前にした、本誌九月号の長谷川三千子氏の論文「難病としての民主主義」である。それによれば、民主主義は、アテナイ以来、国を守るという求心力が無いとバラバラになる恐れがある、というのである。</p>
<p>　現に米英の民主主義は、国家の外交防衛については超党派が原則である。</p>
<p>　日本の歴史を振り返ってみても、明治日本の初期議会制度は、発足当時、藩閥勢力と自由民権勢力との間の調整がつかず、はたして、日本に憲政が可能かどうかさえ疑われていた。それがやがて本格的な政党政治として機能し、遂に大正デモクラシーとして花開くにいたったのは、日清戦争を迎えて挙国一致体制が出来たのが端緒だった。この日本自身の経験から言っても、長谷川氏の論点は実に肯綮にあたる発想ある。</p>
<p>　ただ、この論点は九ページにわたる密度の濃い論文の最後の一ページだけに書かれている。このテーマだけで一大論文にしても、また単行本にしても良い価値があるものであり、長谷川氏がいつの日かこのテーマをもっと深く掘り下げられることを期待してやまない。</p>
<p>　実は、民主主義が最善の制度であることについては、日本人は皆あきらめの境地達している。「民主主義は最悪の政治であるが、今まで実在したどの制度よりましである」というチャーチルの言葉を一番よく理解しているのは、日本人であると思う。それは、明治の自由民権運動以来、専制主義や軍国主義など種々の政治体制を身をもって経験して来た末に、現在の政治のほうがまだましだということを知っている日本人の政治的知恵である。国民がいかに政治に失望しても体制を変えようなどとだれも思わないのはそのためである。</p>
<p>　ただ、現在の民主主義のままでは国家が求心力を失ってしまうのではないかという不安感は、常にその裏に存在する。それに対して、歴史的な例をひいて、デモクラシーには愛国心という芯が必要だという点を指摘したのだ長谷川氏の論文である。</p>
<p>　それ以上の哲学的考察は長谷川氏にお願いするとして、明治以来誰が愛国主義に徹しいたかという、私は誰をおいても小村寿太郎の名を挙げる。客観的に見て、明治、大正、昭和を通じて、小村ほど、国家主義、民族主義、国権主義、そして愛国主義に徹した政治家は他に見当たらない。</p>
<p>　◇念頭にあるのは国事だけ</p>
<p>　不平等条約の改正は明治維新以来の日本の悲願であり、幾度かその解決が試みられた。明治二十二年、時の外相大隈重信は、大審院に外国人判事を任命して外国人関係訴訟に参画させる案による解決を図ったが、当時外務省の局長だった小村は、これを国辱と考えて、ひそかに条約の原案である極秘文書をロンドン・タイムズに漏らしたという。結果として世論は猛然と反発し、大隈は来島恒喜に爆弾を投げられて負傷、入院し、改正は挫折する。</p>
<p>　その直前に小村は、｢おれは謀反を起こすかもしれない｣と語っていたという。乱暴な外交官もあったものである。</p>
<p>　日清戦争の直前には、小村は代理公使として北京に居た。小村は清国軍の規律、士気などを観察して、清国軍恐るるに足らずとの結論に達し、｢朝鮮は必ず東洋の動乱の原因となり、それは日本の盛衰を左右する根本問題であるので、シナが実力を顧みず朝鮮支配を主張し続ける以上、日本はシナと決戦するのが上策である」と考えるに至った。</p>
<p>　日清戦争の原因は、東学党の乱に乗じた清国が宗主権を口実に朝鮮に出兵したのに対して、その前の甲申、壬午の乱の際には清国の圧倒的な兵力の前に屈辱をなめた日本が、今度は清国の予想外のスピードと規模で兵力を派遣したところから端を発する。そして、日本は朝鮮の内政改革を主張し、清国は両国軍の即時撤兵を主張してお互いに譲らなかった。</p>
<p>　小村が清国側に手交するように訓令を受けた日本側の最後通牒には｢清国側はただ撤兵を主張するばかりで日本との交渉に入ろうとしない。それは清国政府がいたずらに事を好むものにほかならない｣と書かれていたが、小村は「いたずらに」の前に、自分で筆を加えて「意図的に紛争を起こそうとして」の字句を挿入し、清国側を挑発しようとしている。</p>
<p>　そして、国交断絶の訓令がなかなか来ないと、「こんなことをしていては、（戦争の）時期を失してしまう。よしっ、この俺が戦争を始めてやろう」と言って、公使館の旗を降ろして北京を引き揚げてしまう。実は、当時の電信事情で国交断絶の訓令の到着が遅れ、小村の一方的決断と行き違いになっていたのであって、結果的には小村の独断専行ではなかったが、これも乱暴な話である。</p>
<p>　今の外務省ではとてもこういう人物は出てこない。こんなことは、後でどんな咎めを受けようとかまわない、自分一身の出世などはどうなってもよい、念頭にあるのは国事だけ、という腹の据わった人間以外にできることではない。</p>
<p>　東京着のとき、外相陸奥宗光は新橋の駅まで小村を出迎えに行った。小村が「今回はお叱りを覚悟で帰ってきました」と言うと、陸奥はそれを遮って、「あれはあれでよろしい。時局は足下の説の如くなった」と言ったという。このとき陸奥は、ここに新たな人材を見出したとの感を強くしたという。冷徹な合理主義者の陸奥ではあるが、若い時には謀反に加担して、親友の伊藤博文さえも誅殺する気であった。陸奥もまた、こうした小村を理解できる維新期の人物だったのである。</p>
<p>　◇国粋主義者も認めた見識</p>
<p>　日清戦争中は、小村は、第一軍が占領している満州の民政長官に任ぜられ、占領地行政から帰ると、明治天皇は親しく小村を召されて事情を聴取された。</p>
<p>　その時点ですでに、陸奥は、戦争に勝っても遼東半島を取ることは困難であろうと鋭く予見し、台湾を取って遼東半島を捨てることも考えていたので、小村には満州の重要性をあまり強調しないようにと言い含めていた。</p>
<p>　この陸奥の先見性も感嘆すべきであるが、小村は、満州が将来有望な地域であり、遼東半島が日本の国防上重要な地域であることを滔々と述べて、陸奥が後ろから衣服の裾を引いて注意してもやめなかった。そして拝謁後、「陛下の前で緊張して、ついご注意を忘れました」と弁解した。これには陸奥も笑ってあえて咎めなかったという。</p>
<p>　こうした小村の人物は、すでに当時の国粋主義者たちが等しく認めるところとなっていたのであろう。</p>
<p>　近衛文麿の父近衛篤麿は、早世するが、元公卿の家族の中では、リベラルな西園寺公望と並んで、将来の日本の指導者の双璧として期待された人であった。そして杉浦重剛、頭山満などの国粋主義者の面々が参加していた国民同志会の中心人物であったが、小村が外相となった解き、近衛は、政策当局に小村がいる以上もはや国民運動の必要は無いと主張して、日英同盟が成立したのを機に国民同志会を解散し、小村のための慰労会まで開いた。</p>
<p>　小村はその期待に立派に応えている。</p>
<p>　日英同盟の締結こそは、日本にとって、アングロサクソンかロシアかという幕末以来の選択に決着をつけ、ロシアの東進に対しては武力を持ってでも立ち向かう決意を示した英断である。これを推進したのは、歴史的文書である小村意見書であり、ここに、現在にいたる日本の親アングロ・アメリカン世界との協調外交の基本路線が敷かれることとなった。これを見て、国民同志会の解散を決めた近衛の見識も立派である。</p>
<p>　◇早期開戦を唱えた先見の明</p>
<p>　日露戦争の勝利も小村の外交に負うところ極めて大きい。</p>
<p>　遼陽の大会戦は、ロシア側二十二万五千人に対し、日本側十三万四千人で戦われた。もちろん装備、弾薬はロシアのほうが圧倒的優勢である。奉天の大会戦は、ロシア側は三十二万、日本側は全部かき集めて二十五万の劣勢である。</p>
<p>　無謀な戦いのようであるが、日本側としてはほかに選択肢がなかった。時間がたてばロシア側はシベリア鉄道を使って、どんどん増援が可能であり、もし開戦が二、三カ月遅れていたならば日本の勝ち目はなかったであろう。二、三カ月もあればその間に鴨緑江の北岸でロシアの築城が進み、それだけで日本軍は、遼陽、旅順はおろか、満州内に一歩も入れなかったかもしれない。それはその後の旅順の攻防戦を見ればわかる。</p>
<p>　戦争の前年の六月、閣議は、小村の提議により、韓国はその一部たりともロシアに譲らないと決定している。したがって十一月にロシアが竜山浦に入ったことは十分開戦の理由となった。その時に開戦していれば、まだ、兵力比は日本にとって有利だった。</p>
<p>　しかし、明治天皇は慎重だった。最慎重論者だった伊藤博文までが開戦の決意をしても、「もし、しくじったら（祖宗に）申し訳ない」と繰り返され、やっと二月五日になって海軍の発信命令が出された。その間一日でも早くと、万策をこらした小村の努力が最後に実ったのである。帝国主義時代の真っ只中にあって、日本の国民の安全を救ったのは実に小村の働きであり、国を思う情熱だったと言って良い。</p>
<p>　◇不変の愛国主義</p>
<p>　ただ、その後の事態における小村の行動については賛否の分かれるところである。</p>
<p>　ポーツマスの和平交渉においては、小村は、早期和平に強硬に反対し、仲介に立った米国は小村の頭越しに東京に訴えて和平調停を実現させている。そして、ハリマンの満州鉄道日米共同運営案をけったのも小村である。</p>
<p>　個人の行動に対する歴史の評価は難しい。小村の死後二十年を経て、満州国が建国された。当時満州に建立され、今でもその写しが飫肥の小村記念館に残っている石碑は、小村がハリマンの提案を拒否していなければ現在の満州国はなかったと、小村の先見の明を称えている。人間の評価は棺を覆って定まるというが、死後二十年たって、まだその功績が称えられれば、もって瞑すべきものがあろう。</p>
<p>　しかしその十余年後の敗戦によって、その評価は逆転する。小村が最初に手をつけながら、小村が手を離したアングロ・アメリカン協調路線を続けていれば、日本があの惨憺たる敗戦を味わわずに済んだことは、今から見れば明らかだからである。</p>
<p>　ただ、それは時勢の流れであり、また、後世の彼の後継者たちの責任であろう。誰も死後半世紀のちのことまで責任は持てない。死せる孔明が生ける仲達を走らせたのもたった一度だけである。その後は後継者たちの責任である。</p>
<p>　帝国主義時代の真っ只中にあって、日本の独立と自由を守りえたのは小村の愛国主義の賜物である。日本はその後敗戦を経験するが、現在の日本の高い知的水準、整った国家制度は、帝国主義時代に、日本が、列強の植民地にも半植民地にもならず、一流国家であったことの遺産であり、日本国民はだれもがその恩恵を受けている。</p>
<p>　国のためを思う信念のある人間が居ること、それは国家の存立にとって、かけがえのないことである。</p>]]>
        
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    <title>国家を玩具にした時代の終わり</title>
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    <published>2011-09-02T01:36:42Z</published>
    <updated>2011-09-07T04:51:25Z</updated>

    <summary>【正論】元駐タイ大使・岡崎久彦　国家を玩具にした時代の終わり 2011.9.2 02:55 産経新聞 　野田新政権に期待したい。 　これで日本政治に立ちこめてい...</summary>
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        <![CDATA[<p>【正論】元駐タイ大使・岡崎久彦　国家を玩具にした時代の終わり</p>
<p>2011.9.2 02:55 産経新聞</p>
<p>　野田新政権に期待したい。</p>
<p>　これで日本政治に立ちこめていた霧が一挙に晴れると期待できるほどそう甘いものでないことは知っている。しかし、あまりにも長く政治の低迷が続いた後でもあり、敢（あ）えて野田新政権の前途に期待できる材料を数えてみたい。</p>
<p>　◆反体制リベラルの無礼講挫折</p>
<p>　何よりも、民主党が政権奪取以来、その特性の重要な部分である反体制リベラルの主張を出すだけ出し尽くして、無礼講を演じ、そして、そのすべてに挫折して、その教訓を学んだことである。</p>
<p>　三党合意による公約の見直しがその最も具体的な例である。</p>
<p>　外交面では、鳩山由紀夫政権ができるとすぐに、東アジア共同体の構想を打ち出したが、その当の目的である中国から全く相手にされないまま、話は立ち消えになっている。</p>
<p>　もともと東アジア共同体は、中国が、北京のお膝元にＡＳＥＡＮ（東南アジア諸国連合）諸国、日本、韓国の元首を招き、会議を牛耳ろうとしたのを、オーストラリア、インドなどを巻き込んで、しかも第１回は中国国外で行うことで換骨奪胎したものである。それを日本が言いだしても中国が乗って来るはずがない。おそらく鳩山前首相はその経緯さえ知らなかったのであろう。</p>
<p>　普天間飛行場の移転先を少なくとも県外などと言っていたが、オチは、沖縄の米軍基地が有する抑止力を再認識することであった。そして菅直人政権は日米合意通りの辺野古移転に戻った。</p>
<p>　反米、親アジアなどという、最も幼稚な戦後リベラル的発想を試みて、その非現実性について教訓を学んだということである。</p>
<p>　◆官僚を使えなかった教訓学ぶ</p>
<p>　官僚の使い方を知らなかったことに気付いたということも大きい。官僚に限らず、すべての組織の上に立つ人間は、まず、部下の信望を得て、いざという時は、直ちにそれまでの訓練通りに行動させるのが、古今東西の人使いの鉄則である。特に緊急事態ほど、まずは部下に任せるのが正しい。</p>
<p>　日本人は誰も任務をサボろうなどとはしない。そんな時に上から、思い付きで、チョロチョロ小知恵を出すのが一番いけない。政治家の決断は必要であるが、決断の必要は、緊急事態ほど、応接に遑（いとま）ないほど後から後から、下から上がって来る。その都度、果断な決断を下し、その責任を取るのが上に立つ人の任務である。</p>
<p>　事件が起きてから有識者の意見を求めるなどは本末転倒である。意見は普段からよく聞き、有事には決断しなければならない。忙しい時に有識者会議など人選して招集するなどは、部下に余計な事務の負担を強いることになる。</p>
<p>　その点、今や全て反省されている。民主党政権ができて以来、現在までに国民が被った損害、負担は少なからぬものがあるが、それで教訓を得たというならば、将来の二大政党体制にとってはプラスとなったといえよう。</p>
<p>　何より大きいと思うのは世代交代が起きたことである。欧米では１９６８年世代、つまり学生時代に反戦運動などが猛（たけ）り狂った時代の政治家はもう第一線から去った。民主党でも遂（つい）に全共闘世代は去り、次世代に移りつつある。</p>
<p>　野田氏が初の松下政経塾出身ということにも意味がある。伝統から切り離された戦後日本社会が、日本を担う政治家を育てられるだろうかと憂慮した故松下幸之助の問題意識は正しかった。また、その教育課程は、人物の育成、知識の涵養（かんよう）において他の教育機関にはない優れたものを持っている。</p>
<p>　批判されたのは、塾の教育の内容の評価というよりも、そんなことで政治家を育てることができるだろうかということであったが、見事に今回の代表選では、５候補のうち２人が松下政経塾出身である。松下幸之助の先見の明を認めてよいと思う。</p>
<p>　◆自民も政治空白危機に対処を</p>
<p>　この間、自民党も変わってきている。教育三法の改正、国民投票法の制定を行い、集団的自衛権の行使の容認の直前まで実現した安倍晋三首相が病気で退陣した後、戦後レジームからの脱却が挫折してしまったのは、民主党というよりも自民党の責任である。その自民党も、野党でいる間に、党の方針の中に集団的自衛権の行使を認めるなど、腰が据わってきた。</p>
<p>　今度の政権に対しても、民主党の評判が戻って次の選挙に影響するのを心配したりするケチな考えでなく、政策協調のオファーがあれば謙虚に受け止めて協力することが望ましい。もう何年も空白が続いているという日本の危機に対処する方が重要である。</p>
<p>　少なくとも国家の安全に関する問題では、超党派の合意があってしかるべきである。その時期は熟してきていると思う。</p>
<p>　民主党代表選当日の晩の宴会でも帰りのタクシーでも、聞かれたのは「ホッとした。良かったですね」という声ばかりだった。先のことは誰も分からなくても、日本という国を素人の生体実験に供したような鳩山、菅時代がやっと終わったという安堵（あんど）の声である。（おかざき　ひさひこ）</p>
<p>&nbsp;</p>]]>
        
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    <title>一部記事非表示のご案内</title>
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    <published>2011-08-31T07:59:56Z</published>
    <updated>2011-08-31T08:02:00Z</updated>

    <summary>本ホームページでは、更新作業にともない一部記事が現在表示されなくなっております。この作業にはしばらくお時間をいただく予定ですが、あらかじめご了承ください。...</summary>
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        本ホームページでは、更新作業にともない一部記事が現在表示されなくなっております。この作業にはしばらくお時間をいただく予定ですが、あらかじめご了承ください。
        
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    <title>小村寿太郎とその時代</title>
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    <published>2011-07-20T04:32:20Z</published>
    <updated>2011-07-20T05:45:40Z</updated>

    <summary>PDFファイルでご覧頂けます。 	Chapter 1  Entertaining Poverty—Conviction of a Nationalist Imm...</summary>
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        <![CDATA[<p>PDFファイルでご覧頂けます。</p>
<ul>
	<li><a href="http://www.okazaki-inst.jp/Komura%20Jutaro%20Chapter%20I%20final%20March%2017%2C%202010.pdf">Chapter 1  Entertaining Poverty—Conviction of a Nationalist Immersed in
State Affairs despite His Poverty—</a></li>
	<li><a href="http://www.okazaki-inst.jp/2011/07/20/Komura%20Chapter%202%20final%20submiited%20on%20April%2015.pdf">Chapter 2  Komura in His Element― Crazy and Pigheaded, as the Times Called For </a></li>
	<li><a href="http://www.okazaki-inst.jp/Chapter%20III%E3%80%80final%20submitted%20on%20April%2030.pdf">Chapter 3  The Qing Empire Falls―How Western Powers Easily Overpowered Asia’s Last Empire―</a></li>
	<li><a href="http://www.okazaki-inst.jp/Komura%20Chapter%204%20final%20submitted%20on%20June%201.pdf">Chapter 4  Unyielding Struggle for Parliamentary Democracy
—The Life of Hoshi Tōru, the Man Who Kept the Fire of the Freedom and People’s Rights Movement Alive—</a></li>
	<li><a href="http://www.okazaki-inst.jp/Komura%20Chapter%205%20final%20submitted%20on%20June%201-1.pdf">Chapter 5  Russia’s Eastbound Advance―Russian Method of Piling up Fait Accompli through Violence and Smooth Talk―</a></li>
	<li><a href="http://www.okazaki-inst.jp/Komura%20Chapter%206%20final%20submitted%20on%20July%2027.pdf">Chapter 6  Russia’s Occupation of Manchuria―Given Russia’s Intention, War Seems Inevitable―</a></li>
	<li><a href="http://www.okazaki-inst.jp/Komura_Chapter_7_final%20submited%20on%20July%2030.pdf">Chapter 7  The Anglo-Japanese Alliance―Komura’s Memorandum Settles the Dispute over an Alliance Partner―</a></li>
	<li><a href="http://www.okazaki-inst.jp/Komura%20Chapter%208%20final%20submitted%20on%20September%201.pdf">Chapter 8  Eruption of the Russo-Japanese War―The Anglo-Japanese Alliance Makes Up for Japan’s Weakness―</a></li>
	<li><a href="http://www.okazaki-inst.jp/Komura%20Chapter%209%20final%20submitted%20on%20September%201.pdf">Chapter 9  Rise of Japan―Japanese Patriotism Amazed the Entire World―</a></li>
	<li><a href="http://www.okazaki-inst.jp/Komura%20Chapter%2010%20%28final%29%20submitted%20on%20October%204.pdf">Chapter 10  Bloody Battle―The Bitter Epic of the Siege of Lüshun Port―</a></li>
	<li><a href="http://www.okazaki-inst.jp/Komura%20Jutaro%20Chapter%2011%20%28final%29%20%20submitted%20on%20Oct.%2027.pdf">Chapter 11  Turning Point in World History―Miraculous Victory at the Battle of Tsushima―</a></li>
	<li><a href="http://www.okazaki-inst.jp/Komura%20Chapter%2012%20translation%20final%20submitted%20on%20November%2029.pdf">Chapter 12  Treaty of Portsmouth― No Concession, Despite Roosevelt‘s Persuasion ―</a></li>
	<li><a href="http://www.okazaki-inst.jp/Komura%20Chapter%2013%20%28Final%29%20submitted%20on%20January%2011%202011.pdf">Chapter 13  Annexation of Korea—Did Japan Have Any Other Alternative?—</a></li>
	<li><a href="http://www.okazaki-inst.jp/Komura%20Epilogue%20translation%20%28final%29%20submitted%20on%20January%2011%202011.pdf">Epilogue The End of Meiji</a></li>
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    <title>低レベル放射能それほど危険か</title>
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    <published>2011-06-22T05:20:30Z</published>
    <updated>2011-09-07T06:58:59Z</updated>

    <summary>【正論】元駐タイ大使・岡崎久彦　低レベル放射能それほど危険か 2011.6.22 03:19  国民に真実伝えなかった政府 　米有力シンクタンク、ヘリテージ財団...</summary>
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        <![CDATA[<p style="TEXT-ALIGN: left; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-pagination: widow-orphan; mso-margin-top-alt: auto; mso-margin-bottom-alt: auto; mso-outline-level: 2" class="MsoNormal" align="left"><b><span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 18pt; mso-bidi-font-family: 'ＭＳ Ｐゴシック'; mso-font-kerning: 0pt"><font color="#000000">【正論】元駐タイ大使・岡崎久彦　低レベル放射能それほど危険か<span lang="EN-US"><?xml:namespace prefix = o ns = "urn:schemas-microsoft-com:office:office" /><o:p></o:p></span></font></span></b></p>
<p style="TEXT-ALIGN: left; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-pagination: widow-orphan" class="MsoNormal" align="left"><span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: 'ＭＳ Ｐゴシック'; mso-font-kerning: 0pt" lang="EN-US"><font color="#000000">2011.6.22 03:19 <o:p></o:p></font></span></p>
<p style="TEXT-ALIGN: left; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-pagination: widow-orphan; mso-margin-top-alt: auto; mso-margin-bottom-alt: auto" class="MsoNormal" align="left"><span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: 'ＭＳ Ｐゴシック'; mso-font-kerning: 0pt"><font color="#000000">国民に真実伝えなかった政府<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></span></p>
<p style="TEXT-ALIGN: left; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-pagination: widow-orphan; mso-margin-top-alt: auto; mso-margin-bottom-alt: auto" class="MsoNormal" align="left"><span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: 'ＭＳ Ｐゴシック'; mso-font-kerning: 0pt"><font color="#000000">　米有力シンクタンク、ヘリテージ財団が、東日本大震災への日本の対応ぶりをレビューして、今後の米国への教訓とするために、報告書を発表した。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></span></p>
<p style="TEXT-ALIGN: left; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-pagination: widow-orphan; mso-margin-top-alt: auto; mso-margin-bottom-alt: auto" class="MsoNormal" align="left"><span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: 'ＭＳ Ｐゴシック'; mso-font-kerning: 0pt"><font color="#000000">　日本国内では、原発問題をめぐって、非難、弁護相交錯して泥仕合の様相を呈しているので、評価が定まるのはもっと先になろう。その意味で、米国で早くもまとまった評価は参考になる。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></span></p>
<p style="TEXT-ALIGN: left; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-pagination: widow-orphan; mso-margin-top-alt: auto; mso-margin-bottom-alt: auto" class="MsoNormal" align="left"><span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: 'ＭＳ Ｐゴシック'; mso-font-kerning: 0pt"><font color="#000000">　 日本の対応ぶりについては、まず称賛である。「天災国日本は、『準備の文化』を示した。過去の災害の教訓を生かし、災害対策を準備してきたことが成果を生んだ。昨年９月の地震避難訓練には６７万人が参加した。そして実際の地震に対して、日本国民は、素晴らしい規律と耐え忍ぶ能力とを示し、暴動や大混乱など は生じなかった」と、米国も準備の文化を育てるべきだと言っている。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></span></p>
<p style="TEXT-ALIGN: left; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-pagination: widow-orphan; mso-margin-top-alt: auto; mso-margin-bottom-alt: auto" class="MsoNormal" align="left"><span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: 'ＭＳ Ｐゴシック'; mso-font-kerning: 0pt"><font color="#000000">　他方、日本の対処ぶりの中では情報の伝達に問題があったと指摘している。「政府が福島原発の状況につき、満足できる情報を提供できなかったので、国民の恐れと不安感を高め、世界のメディアの憶測や誤報を招いた」とし、「日 本政府の対応の中で、最も問題だったのは、低レベル放射能にどの程度リスクが有るかを、有効に伝えることができなかったことであった」と指摘している。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></span></p>
<p style="TEXT-ALIGN: left; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-pagination: widow-orphan; mso-margin-top-alt: auto; mso-margin-bottom-alt: auto" class="MsoNormal" align="left"><span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: 'ＭＳ Ｐゴシック'; mso-font-kerning: 0pt"><font color="#000000">　 これについては、「混乱が生じる理由の一つには、低レベル放射能についてはいまだ多くの科学的論争があることである」と、慎重に留保しつつも、「低レベル放射能の危険は一般に考えられているものよりはるかに少ないかもしれない」「現在の基準が危険を過大視していることを示唆する科学的証拠もある」と述べて いる。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></span></p>
<p><font color="#000000" size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック">　そして、災害の真っただ中で、この問題の複雑さを説明するのは困難なことであろうと、再び留保しつつも、米国は将来の同様な危機に際して、低レベル放射能についての正確な情報の提供に努力すべきであると唱えている。</font></p>
<p style="MARGIN: 1em 0mm" class="komidashi"><font color="#000000" size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック">毒も薬になるホルミシス効果</font></p>
<p><font color="#000000" size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック">　回りくどい言い方はしているが、詰めて言えば、あるレベル以下の放射能は危険でないということを、初めからはっきり国民に知らせられれば、今回の日本のような混乱は避けられるだろう、と言っているのである。</font></p>
<p><font color="#000000" size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック">　時を同じくして、注目されるのは、２００８年の米ミズーリ大学名誉教授のトーマス・Ｄ・ラッキー博士の論文である。日本には、茂木弘道氏により紹介された。</font></p>
<p><font color="#000000" size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック">　これは、広島、長崎の被爆者８万６５４３人の健康状態の追跡調査の結果の学術報告である。</font></p>
<p><font color="#000000" size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック">　まず、長く原爆症で苦しんだ人々も含めて、被爆者の両親から生まれた子供に遺伝子上の奇形児は１人も見つかっていない。</font></p>
<p><font color="#000000" size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック">　また、低レベル放射線を浴びた母親から生まれた子供たちの方が、一般平均と比較した場合、死産、先天性異常、新生児死亡などの比率が低い。</font></p>
<p><font color="#000000" size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック">　 がんについては、平均的な被爆者の人々の白血病による死亡率は、市外の２つの町のグループの人々より低かった。約２０ミリシーベルトの被曝（ひばく）線量 であった７４００人のグループでは、がんの死亡率の著しい低下が見られた。そして、その他の数値を挙げ、結論として、低線量放射線は日本の原爆生存者の健康に生涯にわたり寄与したことを示している、と言っている。</font></p>
<p><font color="#000000" size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック">　さらに、日本の被爆生存者において、ほとんどの臓器がんには予想されたホルミシス効果が認 められると、報告している。ホルミシス効果とは、生物に対して有害なものが微量である場合は、逆に良い効果を表すという生理的刺激効果のこと、つまり、毒を薄めると薬となるということである。</font></p>
<p style="MARGIN: 1em 0mm" class="komidashi"><font color="#000000" size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック">６０～１００ミリシーベルトが健康に最適</font></p>
<p><font color="#000000" size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック">　 東京大学の稲恭宏博士によると、塩をどんぶり一杯食べれば人間は倒れるが、少量の塩がなくては生きていけない。ラッキー博士の報告によれば、がんについて は、２０ミリシーベルトが一番良い塩加減ということになるが、博士は他の論文では、６０～１００ミリシーベルトが人間の健康にとっても最適の数値であろうと言っている。</font></p>
<p><font color="#000000" size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック">　たしかに私の知人でも、広島の被爆者で８０歳過ぎても元気な人がいて、その親類の被爆者も皆元気で長生きだという。</font></p>
<p><font color="#000000" size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック">　そういえば、昔は皆、健康のためと言って、ラジウム温泉に入ったり、放射能が出るといわれてカルルスせんべいなるものを食べたりしたことも記憶する。</font></p>
<p><font color="#000000" size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック">　 素人考えでも、人類を含めてすべての生物は、宇宙から来る放射線を浴びている地球の中で発生し、共存しつつ進化してきたのであるから、放射線があることを 前提条件として生きているのであろう。そして当然に、日光を浴びるごとにホルミシス効果の恩恵も受けてきたことは、常識として納得できることである。むしろ、放射線を全部遮断すると微生物が育たないということもあるという。</font></p>
<p><font color="#000000" size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック">　私は専門家でも何でもない。最近の米国の評論を紹介しているだけである。ここでやめるべきであろう。これ以上を語ることは、素人として口数が多すぎる。（おかざき　ひさひこ）</font></p>
<p style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt" class="MsoNormal"><span lang="EN-US"><o:p><font color="#000000" size="3" face="Century">&nbsp;</font></o:p></span></p>]]>
        
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    <title>災い転じて大改革の福となれば</title>
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    <published>2011-05-19T05:17:17Z</published>
    <updated>2011-09-07T04:52:43Z</updated>

    <summary>【正論】元駐タイ大使・岡崎久彦　災い転じて大改革の福となれば 2011.5.19 03:22 産経新聞 　この論考は一種のファンタジーである。今のところ実現する...</summary>
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        <![CDATA[<h2 style="MARGIN: 0.83em 0mm"><strong><font color="#000000" size="5" face="ＭＳ Ｐゴシック">【正論】元駐タイ大使・岡崎久彦　災い転じて大改革の福となれば</font></strong></h2>
<p style="TEXT-ALIGN: left; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-pagination: widow-orphan" class="MsoNormal" align="left"><span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: 'ＭＳ Ｐゴシック'; mso-font-kerning: 0pt" lang="EN-US"><font color="#000000">2011.5.19 03:22 産経新聞</font></span></p>
<p style="TEXT-ALIGN: left; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-pagination: widow-orphan; mso-margin-top-alt: auto; mso-margin-bottom-alt: auto" class="MsoNormal" align="left"><span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: 'ＭＳ Ｐゴシック'; mso-font-kerning: 0pt"><font color="#000000">　この論考は一種のファンタジーである。今のところ実現する可能性もシナリオも何も見えない。<span lang="EN-US"><?xml:namespace prefix = o ns = "urn:schemas-microsoft-com:office:office" /><o:p></o:p></span></font></span></p>
<p style="TEXT-ALIGN: left; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-pagination: widow-orphan; mso-margin-top-alt: auto; mso-margin-bottom-alt: auto" class="MsoNormal" align="left"><span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: 'ＭＳ Ｐゴシック'; mso-font-kerning: 0pt"><font color="#000000">　ただ、一寸先は闇であるという政治現象の大原則だけを頼りに、そして、日本の将来はかくあれかしと思う希望的観測の下に、それが闇でなく光明であることを希求して書かせていただく。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></span></p>
<p style="TEXT-ALIGN: left; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-pagination: widow-orphan; mso-margin-top-alt: auto; mso-margin-bottom-alt: auto" class="MsoNormal" align="left"><span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: 'ＭＳ Ｐゴシック'; mso-font-kerning: 0pt"><font color="#000000">　東日本大震災の前の時期、何年間も日本は閉塞（へいそく）状況だった。「失われた２０年」が打開される見通しは全く立たず、財政危機とデフレと低成長が続くばかりであり、それに抜本的に対処する政治力を期待できる政治情勢もなかった。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></span></p>
<p style="TEXT-ALIGN: left; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-pagination: widow-orphan; mso-margin-top-alt: auto; mso-margin-bottom-alt: auto" class="MsoNormal" align="left"><span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: 'ＭＳ Ｐゴシック'; mso-font-kerning: 0pt"><font color="#000000">　その最中の大震災である。各方面では、「がんばれ日本」の掛け声の下に、この機に、人心一新して日本が立ち直ることを期待する声が上がっている。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></span></p>
<p style="TEXT-ALIGN: left; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-pagination: widow-orphan; mso-margin-top-alt: auto; mso-margin-bottom-alt: auto" class="MsoNormal" align="left"><span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: 'ＭＳ Ｐゴシック'; mso-font-kerning: 0pt"><font color="#000000">　大震災は天から降ってきた災害である。これを嘆くと同時に、将来への期待の声が高まっているのは、裏返していえば、震災前の閉塞状況が如何（いか）に酷（ひど）かったかを物語っている。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></span></p>
<p style="TEXT-ALIGN: left; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-pagination: widow-orphan; mso-margin-top-alt: auto; mso-margin-bottom-alt: auto" class="MsoNormal" align="left"><span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: 'ＭＳ Ｐゴシック'; mso-font-kerning: 0pt"><font color="#000000">　これからどうなるかは誰も分からない。ただ、ここで歴史の前例として関東大震災の後はどうだったかを振り返ってみたい。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></span></p>
<p style="TEXT-ALIGN: left; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-pagination: widow-orphan; mso-margin-top-alt: auto; mso-margin-bottom-alt: auto" class="MsoNormal" align="left"><span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: 'ＭＳ Ｐゴシック'; mso-font-kerning: 0pt"><font color="#000000">　<b><span lang="EN-US">≪</span>関東大震災も短命内閣最中に<span lang="EN-US">≫</span></b><span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></span></p>
<p style="TEXT-ALIGN: left; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-pagination: widow-orphan; mso-margin-top-alt: auto; mso-margin-bottom-alt: auto" class="MsoNormal" align="left"><span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: 'ＭＳ Ｐゴシック'; mso-font-kerning: 0pt"><font color="#000000">　関東大震災は死者６万人、今回の犠牲者の倍以上である。しかも首都を直撃した震災だった。そしてその前後の政治状況を振り返ってみると、偶然の一致はある。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></font></span></p>
<p><font color="#000000" size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック">　それは短命内閣が相次いだ中で起こった。１９２１年に原敬が暗殺され、高橋是清がこれを継いだが、政友会の分裂で、２２年に加藤友三郎が総理となっ た。２３年の加藤病死のあと、山本権兵衛が関東大震災の最中に後を継いだものの、大逆事件で辞職。２４年早々、組閣した清浦奎吾は、閣僚のほとんどが貴族院議員という超保守内閣を作り、これを攻撃した護憲三派の倒閣運動に対して議会を解散したが、総選挙で惨敗して、６月には加藤高明内閣となった。今回の大 震災が小泉純一郎内閣以降、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎、鳩山由紀夫と、短命内閣が続く中で起こったことを思い出す。</font></p>
<p><font color="#000000" size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック">　こうして短命内閣が繰り返されている最中に大震災が起こり、その後１年経（た）たないうちに大正デモクラシーが出現するのである。</font></p>
<p><font color="#000000" size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック">　この歴史的意義の重大さを理解するためには、大正デモクラシーが日本の歴史に有する重大な意義を再認識しなければならない。</font></p>
<p><font size="3"><font color="#000000"><font face="ＭＳ Ｐゴシック">　<strong><span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; mso-bidi-font-family: 'ＭＳ Ｐゴシック'" lang="EN-US">≪</span></strong></font><strong><span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; mso-bidi-font-family: 'ＭＳ Ｐゴシック'">花開いた大正デモクラシー<span lang="EN-US">≫</span></span></strong></font></font></p>
<p><font color="#000000" size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック">　 大正デモクラシーは偏向史観の二重、三重の犠牲者である。明治以来の薩長史観、皇国史観では、自由民権運動者などは不忠不孝の輩であった。そして、我々 （われわれ）の世代がまだ覚えている軍国主義時代は、それを腐敗堕落した民主主義の時代として、エロ・グロ・ナンセンス（あの程度のリベラルをエロ・グロと呼ぶならば、現在を何と呼べばよいのだろう）と呼び、それが戦後の反ブルジョア左翼思想にそのまま引き継がれ、大正デモクラシーを評価する人々は、オー ルド・リベラリストのレッテルを貼られて攻撃された。</font></p>
<p><font color="#000000" size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック">　誰よりも責任があるのは、チャールズ・ケーディス（民政局次長）などの無教養な占領当局で あった。ヘンリー・スティムソン、ライシャワー、そしてマッカーサーまで、戦前の日本を知っている人々は、大正デモクラシーへの復帰を占領目的とした。しかし、歴史に無知な左翼リベラル占領官僚は、戦前の日本を悉（ことごと）く軍国主義の暗黒時代と定義し、民主主義は占領当局が与えた恩恵であるという史観 を、厳しい言論統制で押し付け、それが戦後教育を受けた日本人の常識となってしまった。</font></p>
<p><font color="#000000" size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック">　大正デモクラシーは、明治の初め以来の自由民権運動が営々として築き上げた成果である。それがいったん原敬によって達成された後、藩閥勢力の逆流で、先が見えない閉塞状況となっていたのが、一転して花開いたものである。</font></p>
<p><font color="#000000" size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック">　新内閣成立早々、幣原喜重郎外相は新平和外交を開花させ、宇垣一成陸相は２個師団削減を断行している。それから政治は８年間の政党花盛り時代を迎える。</font></p>
<p><font color="#000000" size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック">　もう今生きている人はほとんど誰も覚えていないだろうが、一昨年１０１歳で亡くなった私の母の世代にとっては、夢のような「古き良き時代」だった。震災から１年経たずに、その前には予想もしなかった新しい明るい時代が開けるのである。</font></p>
<p><font size="3"><font color="#000000"><font face="ＭＳ Ｐゴシック">　<strong><span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; mso-bidi-font-family: 'ＭＳ Ｐゴシック'" lang="EN-US">≪</span></strong></font><strong><span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; mso-bidi-font-family: 'ＭＳ Ｐゴシック'">いつまでも手を拱いていては<span lang="EN-US">≫</span></span></strong></font></font></p>
<p><font color="#000000" size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック">　あとは白昼夢である。今後１、２年の後に何らかの政治的変動によって、日本の将来に必要な長期的政策を実施できるような政治状況が生まれるかもしれない。</font></p>
<p><font color="#000000" size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック">　原敬死後の逆流で挫折した政党政治が復活したように、小泉、安倍時代に始まった戦後レジー ムからの脱却が完成されるかもしれない。政争だけが障害である税制改革の実施は当然であろう。２０年前の日米摩擦以来放棄されている産業政策も再建されねばならない。世界中で日本だけが何時までも手を拱（こまね）いているわけにも行くまい。そして農業改革こそ、長期的強力な安定政権を必要とする。</font></p>
<p><font color="#000000" size="3" face="ＭＳ Ｐゴシック">　白昼夢であろうか。そうだとも思いたくない。（おかざき　ひさひこ）</font></p>
<p style="TEXT-ALIGN: left; MARGIN: 0mm 0mm 0pt; mso-pagination: widow-orphan; mso-margin-top-alt: auto; mso-margin-bottom-alt: auto; mso-outline-level: 2" class="MsoNormal" align="left"><span lang="EN-US"><o:p><font color="#000000" size="3" face="Century">&nbsp;</font></o:p></span></p>]]>
        
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    <title>ご注意 - 更新作業のためのWEBサイト非表示について</title>
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    <published>2011-05-09T07:00:00Z</published>
    <updated>2011-05-09T07:56:41Z</updated>

    <summary>　2011年05月10日に、当ドメインのネームサーバの更新作業のため約1日程度、ホームページが表示されなくなることがありますのでご了承くださいますようお願いいた...</summary>
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        <![CDATA[<span class="Apple-style-span" style="color: rgb(0, 0, 0); font-family: Helvetica; ">　2011年05月10日に、当ドメインのネームサーバの更新作業のため約1日程度、ホームページが表示されなくなることがありますのでご了承くださいますようお願いいたします。</span><div><span class="Apple-style-span" style="color: rgb(0, 0, 0); font-family: Helvetica; ">　インターネット中の各所にあるネームサーバの情報が更新され次第、以前と同様にアクセスが可能になります。</span></div>]]>
        
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    <title>高まる“中米関係”の緊張</title>
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    <published>2011-03-01T07:34:28Z</published>
    <updated>2011-09-07T07:55:07Z</updated>

    <summary>　中米関係の緊張が高まっている。 　米国の政府当局者の言説、各評論家の論説、新聞の社説などを見ると、二〇〇九年と二〇一〇年のそれぞれ一年間では様変わりである。 ...</summary>
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        <![CDATA[<p>　中米関係の緊張が高まっている。</p>
<p>　米国の政府当局者の言説、各評論家の論説、新聞の社説などを見ると、二〇〇九年と二〇一〇年のそれぞれ一年間では様変わりである。</p>
<p>　二〇〇九年には中国の脅威など説く人は寥寥たるものだった。そういうことを言うと、「自己実現の予言」になってしまうと、先まわりして批判され、むしろブッシュ時代以来の中国ステイク・ホルダー説、米中二国によるＧ２説が幅を利かせていた時代だった。</p>
<p>　それが中国脅威論一色になった短期的理由は説明できる。</p>
<p>　二〇〇九年十一月はオバマの就任以来最初の訪中だった。オバマ政権は、訪中を控えて、中国を刺激する措置を抑制または、先延ばしした。台湾への武器供与はその秋には実施可能だったが訪中後に延期された。十月のダライラマのワシントン訪問は空振りに終わった。ダライラマがワシントンに滞在して大統領に会えなかったのは初めての由である。</p>
<p>　ただ、いずれも何時までもほうって置くにわけにはいかない措置なので、オバマ訪中後は次々に解禁した。中国としては、当然かねてから覚悟はしていたはずであるが、これに反発して数々の交流を停止した。その中でも大きかったのはげーつ国防長官の訪中延期である。また、そうした雰囲気の中でのコペンハーゲンの環境会議における中国の非礼な態度は米国を怒らせた。</p>
<p>　ここで米中関係は一挙に凍りつき、ヒラリー・クリントン国務長官主導の、価値を同じくするアジア諸国を糾合する「アメリカのアジア復帰」路線が二〇一〇年を通じて始動することとなる。</p>
<p>　発端がそれだけの理由ならばやがて振子は戻ってもよいはずである。しかし、なかなかそうもいきそうもない。そこから先は、推理、分析となるが、米国が中国を甘やかしていた一年間に、「それ見ろ、中国が強く出ればアメリカは引っ込むではないか」ということで、中国内のタカ派とハト派のバランスが崩れたようである。</p>
<p>　しかも二〇一二年は中国指導部交代の時期であり、権力闘争はすでに始まっている。そうなるといったん崩れた権力バランス、そして、その結果としての中国の対外のトゲトゲしい姿勢は、しばらく続くと考えなばならないという情勢のようである。</p>]]>
        
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    <title>日本はどうなるのかと問われて</title>
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    <id>tag:www.okazaki-inst.jp,2011://15.422</id>

    <published>2011-02-10T05:06:20Z</published>
    <updated>2011-09-07T04:53:52Z</updated>

    <summary>【正論】元駐タイ大使・岡崎久彦　日本はどうなるのかと問われて 2011年2月10日　産経新聞 　昨年、私は不思議な経験をした。 　道を歩いていると、知らない人が...</summary>
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        <![CDATA[<p>【正論】元駐タイ大使・岡崎久彦　日本はどうなるのかと問われて</p>
<p>2011年2月10日　産経新聞<br /></p>
<p>　昨年、私は不思議な経験をした。<br /></p>
<p>　道を歩いていると、知らない人がツカツカと歩み寄って、「日本はどうなるのでしょうか」と問いかけてきた。それも、一度ならず三度もあった。<br /></p>
<p>　恐らく、前なら、「どこか新聞で見た顔だな」と思いながら、黙って通り過ぎて行った人たちなのであろう。それが、抑えきれない不安感を訴えてきたのである。<br /></p>
<p>　不思議なのは、三度とも、昨秋の尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件や北朝鮮による韓国砲撃という、誰の目にも明らかな脅威が見えて来る前の昨春だったことである。その時点で日本国民は日本の前途に深い不安を抱いたのである。<br /></p>
<p>　そのころのことなどは、いずれ人々の記憶から消えてしまうと思う。また覚えている必要もないかもしれない。ただ、あまりにも異常な経験だったので、それがどういうことだったのか、考えて分析しておきたいと思うのである。<br /></p>
<p>　 当時は、鳩山由紀夫政権が普天間飛行場の移設問題で迷走していた。鳩山首相がオバマ米大統領に「トラスト・ミー」と言った直後に信頼を裏切る発言をし、それを釈明しようとしても大統領が会ってくれない。やっと、食事の際にヒラリー・クリントン国務長官の隣席に座って、意思が疎通したと新聞に漏らすと、クリ ントン長官はわざわざ日本の大使を招致して私は何も了承していない、と伝えたりしたころのことだった。<br /></p>
<p>　≪鳩山政権で崩れた国民の信頼≫<br /></p>
<p>　国民は政府がちゃんと機能していないと思うと不安になるのである。何のかのいっても日本人ほど政府を信頼している国民はない。<br /></p>
<p>　 かつて韓国の哲人、兪鎮午氏は私に語ってくれた。「植民地時代日本人は韓国人には愛国心がないと軽蔑したが、韓国人にも愛国心はある。ただ、韓国人は歴史の中で政府の恩恵を受けた記憶が少ない。それに反して日本人はいざという時は政府と国民が愛国心で結束する。愛国心の表れ方が違うのだ。違うということ と、善しあしということは別のことだ」と。<br /></p>
<p>　欧州でも中国、韓国でも、個人はいざという場合に持って逃げる貴金属や宝石は所有している。日本人はその点、全くノーテンキで、有り金を全部銀行か郵便局に預けて安心しきっている。国家、社会を信用しているのである。</p>
<p>　また、官僚に対する悪口は言いたい放題であるが、それでも、政治は時として乱れても、行政は国民の利益を守ってくれると思っていた。それが、官僚バッシングを目の当たりにして、せめて行政組織だけは頼りになるという安心感も持てなくなったのである。</p>
<p>　そして、口では対米追随などと批判しても、最後には米国が日本を守ってくれると思っていた。</p>
<p>　それが、鳩山政権の時に、全て崩れてしまったのである。</p>
<p>　この経験を他人に話しているうちに、これが初めてではないという記憶が脳裏をよぎった。</p>
<p>　≪戦争末期、二・二六にも似て≫</p>
<p>　私の記憶に、昭和２０年という年がある。それまで、国民は緒戦の勝利に酔っていた。ところが、日本爆撃が始まって被災者は巷（ちまた）にあふれ食料も乏しくなってきた。その時、誰もが口にした言葉が、「日本はどうなってしまうのでしょうか」だったことを覚えている。</p>
<p>　政府は戦況を隠していたが、政府が言うことと現実との間の乖離（かいり）は国民の目に明らかになった。日本人が政府への信頼を失ったもう一つの時期だったのである。</p>
<p>　さらに遡（さかのぼ）れば二・二六事件がある。６歳だった私も当時のことはよく覚えている。大人たちは見通しのない将来に戦（おのの）いていた。</p>
<p>　 明治維新から数えて百年たったころ、老人たちに人生で何が一番のショックだったかを訊（き）いたところ、日露戦争も大震災も大恐慌も敗戦も経験している彼 らが挙げたのは、二・二六事件だった。戦争も敗戦もいかに辛くても政府と国民は一体だった。しかし、日本近代史で唯一のクーデター、二・二六事件の時は、国民は頼るべき政府を失ったと感じたのである&nbsp;</p>
<p>　幸い、こうした国民の心配ももう過去のことになりつつある。</p>
<p>&nbsp;　≪集団的自衛権容認で安心を≫</p>
<p>&nbsp;　 その後、中国、北朝鮮の挑発があったこともあり、鳩山政権時代とは雰囲気が一変している。菅直人政権は日米同盟基軸を高らかに謳（うた）い上げ、米国もこ れに応じている。防衛省が南西諸島防衛を言っても、米韓演習にオブザーバーを派遣しても、どこからも反論の出ない雰囲気となった。官僚たたきももう前のようなことはない。</p>
<p>&nbsp;　これは日本民族の英知だと思う。国民感情はここまで来ている。改革のためには与謝野馨氏まで迎え入れた度胸のある菅内閣 ではないか。この際、過去の行きがかりなど離れて、来（きた）る日米首脳会談で集団的自衛権の行使と武器輸出三原則の見直しを宣言し、日米同盟をより強固にして国民の不安感を悉（ことごと）く払拭してほしい。</p>
<p>　日本の防衛費負担が少なすぎることは今後とも、日米同盟強化の障害ではあろうが、当面、この経費不要の措置だけでも、同盟を抜本的に強化し、国民に深い安心感を与えることができる。（おかざき　ひさひこ）</p>
<p>&nbsp;<br /></p>]]>
        
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    <title>陸奥宗光―日本にデモクラシーを遺した孤高独歩・独立独往のひと</title>
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    <published>2010-12-01T01:29:41Z</published>
    <updated>2011-09-22T04:42:20Z</updated>

    <summary>　明治の時代を担ったリーダーの一人としての陸奥宗光、という題を与えられると、そもそも政治におけるリーダーとは何であろうかという問題に改めて直面させられる。 　と...</summary>
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        <![CDATA[<p>　明治の時代を担ったリーダーの一人としての陸奥宗光、という題を与えられると、そもそも政治におけるリーダーとは何であろうかという問題に改めて直面させられる。</p>
<p>　と言うのは、陸奥は本来、大衆のリーダーというよりも、孤高独歩の人だからである。</p>
<p>　それには、陸奥が置かれた政治的環境もある。陸奥は、維新の時に朝敵となる間際まで行った徳川御三家の和歌山藩の出身であり、明治政界において藩閥の後ろ盾がなく、孤立無援だった。</p>
<p>　竹越与三郎のエッセイ集「萍聚絮散記」(開拓社）の冒頭｢陸奥大伯」によれば、陸奥は、初めて農商務大臣として入閣したころ、大臣になったのだから、もう少し寛容になったらどうだという忠告に対して、｢私には藩閥は無い。私独りの力があるだけだ。もし私が、一歩、自分というものを譲ったらば、もう陸奥というものは無い。私は、いつも、白刃を頭上にかざして、人に対していなければならない」と言っていたという。</p>
<p>　しかし、私は、陸奥は、どんな環境にあっても孤高独歩の人だったと思う。それは、陸奥の個人的能力があまりにも卓越していたことから来る、必然的なものだったと思う。</p>
<p>　海援隊に居た時、坂本竜馬は｢二本差さずに食っていけるのは、俺と陸奥だけだろう」と評価している。それはまた周囲の嫉妬、反感を呼んだ。そもそも海援隊は、脱藩者の集まりであり、藩閥による差別などは無かったはずであるが、陸奥の独歩の言動は反感を買い、紀州藩の船との衝突事件の際は、陸奥を殺せという動きさえあったという。</p>
<p>　他の比肩を許さない陸奥の個人的能力の例は枚挙にいとまがない。</p>
<p>　鳥羽伏見の戦いのあと、志士たちは、誰もが、天下分け目の全国的戦乱を予想して、それぞれ立て籠もる場所を求めて全国に散って行った。その時に、独りパークス英公使に面会を求め、その足で岩倉具視を訪ねて、新政府が攘夷を捨てて開国すべきことを説き、岩倉と意気投合したのが陸奥である。</p>
<p>　そして、その岩倉の信任を得て、紀州藩の危機を救い、その条件として紀州藩藩政全面改革の権を一手に握り、一時は、紀州藩に国民皆兵のプロシア的軍事国家を築く。</p>
<p>　これはすべて陸奥個人の判断で実行し、かち得たものである。</p>
<p>　その後中央政府において、徳川時代以来の年貢による税制を一挙に改革したのも、日本で初めての予算編成を書き上げたのも陸奥個人の知力だけの賜物である。</p>
<p>　また、国家反逆の罪で獄中に在った間に執筆された著作はいずれも日本思想史に残る名著である。特に、ベンサムの「道徳及び立法の諸原理序説」を完訳し、これと、陸奥が幼時以来学んできた宗明儒学の性理学を比較、両者を止揚して書いた｢資治性理談」は、他の追随を許さない独創的な政治哲学書である。</p>
<p>　陸奥の従弟であり、後の政友会の長老である岡崎邦輔は書いている。</p>
<p>「郷里和歌山あたりでは、陸奥を不親切で冷たい人のように難ずる向きがあるが、それは間違っている。陸奥はもっともよく書生を愛した。陸奥は人を見る明があって、努力する人、将来見込みのある人を愛し保護したのである。</p>
<p>　陸奥は常に我々後進を戒めるに、少なくとも自分についてきてくれ、駆け足を必要とする場合に杖をついて歩くようでは道連れにならぬと言っていた。・・・・・・しかし陸奥の歩みが非常に速かったから、彼について行ったものは甚だ少なかった。</p>
<p>　陸奥ほど人才を愛したものはないが、また陸奥ほど才能なきものを顧みなかった者もなかろう。これは顧みるを欲せざるにあらず、顧みる暇がなかったのである。故に、その反面のみを見る者は陸奥を冷たい人のように言うのであるが、いやしくも用うるに足る者はよくこれを包容し、保護し、その才を尽くさしめ、その能を成さしめるに、寸毫も労を惜しまなかったのである」</p>
<p>　そういう人物はリーダーと定義できるのだろうか。ここで引用したいのは、論語子罕第九の顔淵の言葉である。</p>
<p>　顔淵はため息をついて言った。</p>
<p>「孔子は見れば見るほど高く、切って見れば見るほど硬く刃が通らない。自分を礼と教養で引き寄せる、ついて行くまいと思ってもついていかざるを得ない。自分は才能のあるだけを出しつくしたつもりであるが、先生は更に新しいものを、高々と、掲げて、遥かかなたから、私を招かれる。ついて行こうと思っても、何に由ってよいのかわからない」</p>
<p>　論語註に曰く｢天にのぼらんとするも階無きが如し」と。</p>
<p>　陸奥を孔子に較べるのもおこがましいが、私が疑問として提起したいのは、リーダーの資質とは何かという問題である。</p>
<p>　竹越与三郎は、論じている。</p>
<p>「政治家には二種類ある。一つは、能力、識見がそう人に優れるわけではないが、国民の思うところを思い、国民の感じるところを感じ、国民の意識を代表している、こういう政治家は、国民は必ずしも尊敬するわけではないが、理解しやすいためにこれを信頼し、近づきやすいためにこれを好む。わが大隈伯のごときは、この種の人であろうか。</p>
<p>　もう一つは、才能、識見が普通の人の水準以上なので、国民と同じようには感じない。国民が熱する時には冷たく、国民が冷めている時に熱したりする。国民は、その才能、識見は認めても、自分たちとは違う人間だと感じて、尊敬するけれども理解せず、能力は信じるけれども好きになれない。</p>
<p>　そして、その人の方も、いわゆる人望（竹越は、現代語の｢人気｣の意で使っている）などというものはあてにならないものと考え、孤高邁往、自分の信ずることは実行して、国民がそれをどう感じるかなど考えないこともある。わが陸奥伯のごときは、この種の人であろうか。</p>
<p>　試みに、大隈伯の応接間に行ってみると、実業家、新聞記者、壮士、村夫子、保守党、急進党、町村の役人、どんな人でもいる。一日に三~四回新聞記者に会うこともある。人に会い、人を饗応し、すぐに人を紹介する。人望を得るために、恩義や信頼関係を作ろうとして、よくこれだけ努力をしていると感心する。</p>
<p>　そしてこの人たちの言うことに、ほとんど反対することなく敬服したという顔をして聞いている。時として、全く反対のことに、両方とも賛成している（後に大正時代の政治活動において、昼は品行節制の会において飲酒の害を説き、夜は酒造組合において酒の徳を称えたという逸話もある）。</p>
<p>　陸奥伯はこれと異なる。陸奥伯はデモクラシーが世界の大勢で、日本もそうなるべきだと主張した点では、主唱者の一人であるが、これと同時に、カーライルの言うように、これが能力識見のある人によって指導されないと、凡愚政治となることを懼れている。彼はデモクラシーは信ずるが、平凡な大衆は信ぜず、それを統率する少数を信ずる。</p>
<p>　したがって、陸奥伯は、名もない青年に対して自分の胸襟を開いて議論することはいとわないが、村夫子、田舎政治家には辛抱できない。老大虚名の徒に対しては、白眼して、相手にしない。</p>
<p>　もし誰かが、何か政策論を持ってきた場合、彼は、これを採用するか、そうでなければ直ちに論破する。彼は、表面上感心して見せて、あとでこれを無視するようなことはできない人である」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>｢人物識見」より｢当選回数」の時代へ</strong></p>
<p>　この文章でも見られるとおり、昔の人はよく人物月旦をやった。</p>
<p>　私の記憶では、それは戦後もかなり長い間残っていたように思う。普通の人の集まりでも、あるいは散髪屋での会話でも、誰が総理の器だとか、今は外務大臣の器が居ないなどという表現が普通に使われていた。</p>
<p>　これが変わった一つのはっきりした時期は田中内閣のときである。田中総理は、誰が閣僚の器だなどという基準を決めようがないではないか、当選回数と派閥の推薦で決めるしかない、と明言されたという。</p>
<p>　その前は、日本にはエリート政治の伝統が残っていた。各省の次官まで行った人で、政治家の能力があると思われた人は、各党から競って迎えられ、国会議員に当選するとすぐに閣僚クラスのポストが与えられ、将来の総裁候補となった。私の記憶では、佐藤内閣のときに、大蔵次官だった佐藤一郎氏が自民党に誘われ、当選後日ならずして経企庁長官になったのが、この伝統的な人事の最後であった。</p>
<p>　学歴の無い、いわゆる陣笠クラスは初めから閣僚になることさえ諦めていた。現に、鈴木善幸氏が総理になったときは、｢ひょっとすると我々もなれるかもしれない」と陣笠連が色めき立ったという話もある。まだ三十年前の話であるが、今となってはもう昔話である。</p>
<p>　確かに、当選回数で政党内の順位を決めるのはもっとも安易な方法である。それによって、人物見識によって、人間を見分けるという古来政治の要諦である作業から解放されるのである。</p>
<p>　竹越の論文は、「けだし、一世を率いる政治家に二種あり」とかきだして、大隈型と陸奥型を二大タイプとして並べて書いているが、もしこの分類が正しいとすれば、陸奥型は現在の日本では、大隈型との生存競争に完敗して、前世紀の恐竜のように死滅してしまった。</p>
<p>　人に近寄られず、理解されず、親しまれず、実力者や金持でも見識の無いものは無視するような人物は、今の世の中では、とうてい政治家たり得ない。</p>
<p>　さて、大隈と陸奥は、そのリーダーシップによって、それぞれ後世に何を遺したのだろうか。大隈は早稲田大学を遺した。過去百年間早稲田大学が輩出した人材を数えるだけでもそれは偉業と言える。</p>
<p>　そして陸奥は何を遺したのだろう。まずは、伊藤博文とともに、日清戦争と条約改正を完遂して、大日本帝国を遺した。現在我々が享受している高い教育水準、技術水準は大日本帝国時代の遺産である面が多々ある。</p>
<p>　それよりも、陸奥個人のリーダーシップの成果としては、私は、日本にデモクラシーを遺したことが最大の功績だと思っている。</p>
<p>　私は日本のデモクラシーは世界史に冠たるものだと思っている。英米仏いずれも革命、戦乱の中に近代民主主義を樹立したが、日本だけは自由民権運動という市民運動で平和的に達成したものである。</p>
<p>　大正デモクラシーは短命に終わったが、それはデモクラシーの成熟の過程の必然であったと思っている。</p>
<p>　チャーチルの言うとおり、デモクラシーはどうしようもない最悪の政治形態であるが、他のいかなる政体よりもましな政体である。それを知るには英国は五世紀の試行錯誤を要した。二本も、大正昭和の民主政治が党利党略を考えて国家を考えず、利権争いに熱中した（それは今も昔も同じであるが、初めてデモクラシーを体験する日本人を挫折させた）のに飽き足らず、清廉であり行動力もある軍人に政治を託してみたのが悲劇に終わった。</p>
<p>　現在の日本のデモクラシーは世界でも最も安定している。戦後日本は政治の行き詰まりを何度か経験したが、国民はクーデターをしてみたところで、状況が改善されるわけでないことを歴史的経験で知っている。だから日本の民主主義は強固なのである。</p>
<p>　陸奥が育てた人脈のなかで、まず異彩を放ったのが星亨である。明治十四、五年に高揚した自由民権運動が見る影もなく凋落したあと、国会開設まで、自由民権運動の火を灯し続け、その後の自由党、政友会、戦後の自由民主党に至る大河の源を守ったのは星亨である。</p>
<p>　そして憲政初期の危機的な時期の憲政を運用したのも星である。そして｢虎のごとき星亨も陸奥の前では猫のようだった｣と言われている。</p>
<p>　そして陸奥が死の床に在って、その達成までは成仏しきれないといった議会民主主義を完成させたのは、陸奥を最後まで看取った原敬であった。岡義武先生は、「原敬日記」について触れた中で、原が｢自分の心情をこれほどまで縷々切々と書き綴ったくだりは他には見出せない。陸奥の死によって、原は、知己を失ったのである」と書いている。</p>
<p>　星、原を生んだこと、それだけでも、陸奥のリーダーシップの成果だと言える。それが陸奥の独立独往のリーダーシップだった。今後このようなリーダーシップを発揮できる人物が再び日本に現れるのだろうか。</p>]]>
        
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    <title>Mr. Kan, stop wasting time</title>
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    <published>2010-10-05T04:35:09Z</published>
    <updated>2011-08-31T04:24:56Z</updated>

    <summary><![CDATA[Tuesday, Oct. 5, 2010 Japan Times &nbsp; By HISAHIKO OKAZAKI It has taken the De...]]></summary>
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        <name>岡崎研究所</name>
        
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        <![CDATA[<p>Tuesday, Oct. 5, 2010 Japan Times</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>By HISAHIKO OKAZAKI<br /></p>
<p>It has taken the Democratic Party of Japan (DPJ) two long months to settle on the continuation of Kan Naoto as prime minister. Whatever past grudges or future intricacies might exist, the Kan Cabinet must get down to work without further delay.<br /></p>
<p>It is excruciating to think how much time the DPJ has wasted since it came to power last year concerning Japan's national interest in its foreign and security policies. The recent incident off the Senkaku Islands is particularly alarming and reminds us that we cannot afford to lose any more time.<br /></p>
<p>After twists and turns, the DPJ government finally decided to uphold the original plan to relocate U.S. Marine Corps Air Station Futenma to Henoko, as proposed by the former Liberal Democratic Party-Komeito government. While these twists themselves have been a tremendous waste of time, they have further complicated the problem.<br /></p>
<p>Moreover, because of this wishy-washy handling of affairs, Japan's international standing has suffered lasting damage. The reference to Japan as the cornerstone of East Asia — a set phrase used to describe Japan for decades — has disappeared from U.S. documents on national defense released in the first half of this year. It might take years to bring back the phrase now that it has been removed. It may never come back. <br /></p>
<p>International situations are in constant flux and they have changed drastically in this wasted year. More conspicuous is the tremendous expansion of China's military power. Even more important is the change in the U.S. perception of the threat from China. <br /></p>
<p>To be sure, there are some short-term factors behind the recent changes in American perceptions. President Barack Obama, in anticipation of his first official visit to China last November, postponed any measures that could provoke China, including arms sales to Taiwan, a meeting with the 14th Dalai Lama (the supreme Tibetan spiritual leader) as well as any denunciation of human rights conditions in China.<br /></p>
<p>Since none of these measures could be put off indefinitely, Obama started carrying them out one after another this year, which invited strong (unnecessarily too strong, in my opinion) negative reactions from China that, in turn, worsened bilateral relations. <br /></p>
<p>While this may prove to be a temporary phenomenon, the appeasing stance of the Obama government vis-a-vis China may have perpetually influenced the power balance between the dove and hawk factions within China. In any event, China's expansion of its military power is a continuous, long-term trend, and it is inevitable that the United States and Japan will heighten their alert. <br /></p>
<p>Countermeasures to greater Chinese military power available to the U.S. will be either the expansion of its own military capabilities or further reliance on its allies' contributions. Since it has also become increasingly apparent during the past year that the U.S. is under tremendous financial strain because of the decline in tax revenue, the cost of the war in Afghanistan and financial outlays such as Medicare, greater expectations will naturally be placed on contributions from allies.<br /></p>
<p>In fact, U.S. Assistant Secretary of Defense Wallace Gregson in congressional testimony stressed the need for an expansion of Japan's defense budget and, particularly, the need for Japan to sustain its host-nation support to U.S. military forces. <br /></p>
<p>To be sure, this is not the first time this kind of thing has happened. In the early 1980s, for example, the U.S., in the face of the Soviet Union's rapid military expansion, appealed to its allies to expand their own war preparedness, resulting in a powerful collaboration among America's allies, which, in the end, won them the Cold War.<br /></p>
<p>It should be recalled, though, that the events at that time took place on the North Atlantic Treaty Organization front. What is happening this time is on the East Asian front and, therefore, it is Japan that will have to respond first to the U.S. request ahead of other allies. <br /></p>
<p>A mountain of issues related to the strengthening of the U.S.-Japan alliance awaits the Kan government's attention, including the upgrading of its defense budget, host-nation support and the exercise of the right to collective self-defense. The National Defense Program Outline has long been left unattended. The situation in Asia has also changed greatly. Most of all, with Secretary of State Hillary Clinton's declaration of the U.S. return to Asia, the Obama government is steering a course for stronger relations with ASEAN (Association of Southeast Asian Nations).<br /></p>
<p>ASEAN had originally been a stronghold of Japan. It was Japan that persuaded Southeast Asian countries to accept China and Korea into the ASEAN Regional Forum. It must have been on the assumption that Japan retained great influence over ASEAN that then Prime Minister Yukio Hatoyama advocated an East Asia Community at the outset of his government and that then Foreign Minister Katsuya Okada announced that the proposed community would not include the U.S. <br /></p>
<p>ASEAN member nations have found that only the U.S. is reliable, having witnessed Secretary Clinton's determined opposition to China's territorial expansion in the South China Sea. They expect nothing from Japan concerning their vital security affairs. The Obama government has announced its intention to participate in meetings related to the ASEAN Summit and is reportedly considering stationing its ambassador to ASEAN in Jakarta. It is conceivable that the leadership of ASEAN might shift to the hands of the U.S. in the future. <br /></p>
<p>While the U.S. will not be so narrow-minded as to exclude Japan from the regional community, Japan must render its full support for the return of the U.S. to Asia, leaving behind what happened during the months of the Hatoyama government. This is a crucial issue for Japan itself, especially in light of the Senkaku Islands dispute. <br /></p>
<p>It so happens that the blue-ribbon committee on security and defense capabilities, appointed during the Hatoyama government, has recently published its final report. Since it is the report of the first committee officially set up under the DPJ government, the Kan administration must respect its recommendations.<br /></p>
<p>If the DPJ wishes to emphasize its originality, it could start by reviewing the three-point ban on weapons exports that LDP governments dared not to address. It would contribute to the U.S.-Japan joint exploration of weapon systems. It is high time that the DPJ government depart from its student activistlike fervor and return to the basics of assuring the security of the Japanese people and strengthening the alliance with the U.S. <br /></p>
<p>Prime Minister Tony Blair's Labour Party government in the United Kingdom, which followed the Conservative governments of Margaret Thatcher and John Major, succeeded in defending its national interest of maintaining the solid U.S.-British alliance by cooperating militarily with the U.S. in the war in Iraq — under calls for ethical action.<br /></p>
<p>Strengthening the alliance with the U.S. under the banner of "freedom values" should be easy to swallow for the "liberal" DPJ government.<br /></p>
<p>There is no time to waste. I urge the Kan government to push forward to address crucial issues. <br /></p>
<p>Hisahiko Okazaki is former ambassador to Thailand. This article is a translation of his Sept. 17 Seiron column in the Sankei Shimbun, with some modification. <br />&nbsp;<br /></p>]]>
        
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