岡崎久彦
論文というほどのものではないが、かねて書き残して置きたいと思ったことをこの機会に書きたい。メモがあるわけでなく、記憶だけに頼るので細部に不正確な点があればお許し願いたい。
私がタイの大使をしていたときである。当時、国連の決議か何かで、各国が麻薬撲滅に協力することとなった。もとより日本は、海外では武力、警察力で協力できないので、麻薬原料のケシの代替作物の技術援助をすることとなった。タイの北部国境地帯は世界有数のケシの密栽培地帯であり、すでに各種国際機関、NGO(非政府組織)などの専門家が現地に入って代替作物の指導をしていた。ただ、その地域は麻薬マフィアが横行する危険な地域である。
そこで考えたのは、タイの王母殿下が設立された農園に日本人専門家を派遣することであった。農園の周りは警察が厚く警備しているからもっとも安全なところである。
ところが、この計画に対して東京から、派遣日本人職員の生命の安全を保障するという一札をタイ政府から取れという訓令が来た。
これ以上安全な所はないという場所である。しかも欧米の専門家は危険な地域にどんどん入って献身的な作業をしている。日本人だけ公式の保証を要求するという恥ずかしいことができるだろうか。
この一事をもってしても、現在の自衛隊安全問題が、憲法とは何の関係もない、戦後日本人の思考回路の問題であることが分かる。
ところで、私が日本の官僚の優秀さに感嘆したのは、その時のことである。
この訓令を受けた私の部下は考えたという。「この話を大使にすると、あの大使はすぐに受話器を取り上げて東京に怒鳴る。これは事態の解決に何ら役に立たない」
そこで彼は、その場所がいかに安全かという説明をもう一度タイ側から聞いて東京に報告し、何度か東京とタイ政府との間を往復した上で、問題を解決し、その上で初めて私に報告した。
日本的な手数(てかず)をかけるということである。安全性の実質を離れて、「そこまで手を尽くしてくれたのだから」ということで東京も納得したのである。
その直後、私は東京に帰る用事があり、当時の宮沢総理を表敬した。
折しもPKO(国連平和維持活動)法案の牛歩国会の最中だったが、この話を披露すると、総理はおっしゃった。「私がここでやっているのも同じことだよ。派遣日本人の生命に少しでも危険があると言おうものなら国会は止まってしまうよ」
日本の社会で少しずつでも懸案を解決していくにはこれしか方法はないのだろうが、それはあまりにも時間がかかる。憲法、防衛、消費税率引き上げなどについての日本の動きは、外国人の目から見て氷河の動き(グレイシャル・スピード)という。
二十年たって外国から日本に戻ってきてみると、前はなかった「論意」という言葉が出てきたという程度の変化である。皆がお互いの意向を忖度(そんたく)しながら、なあなあでやっている限り、これ以上のスピードは出ないのであろう。
かりに、あの時私が、「こんな恥ずかしい訓令が執行できるか。政府が自分で腹を決めて専門家を派遣してほしい」と東京に意見具申の公電を打ったら、あるいは宮沢総理が「危険を覚悟で行くのが国際協力だ」と国会答弁していたら、どうなっていただろうと思う。
ひょっとすると、それで通ったかもしれない。なあなあでやっている中で、一人だけ毅然として信念でものを言うと、それが通ることもある。逆に最悪の場合は私はクビになり、宮沢内閣もそこで終わっていたかもしれない。
しかし、それがもしアメリカの政治ならば、一旦は最悪の結果になっても、チェックス・アンド・バランシズで、その反対の方向に揺れ戻る例は多い。むしろそれが米国民主主義の常態であり、進歩の原動力といってよい。
日本も、指導的立場にある人達は、次々に信念で発言してほしいと思う。
あるいは、今の日本の風土では「まだ政治的に未熟」などという嘲笑を浴びて、政治的には不遇な目に遭うかもしれないが、それが繰り返されて初めて世の中が進歩するのである。
今回、二人の日本人外交官がテロの犠牲となった。かねて話を聞いている優れた方々であり、悲しみに堪えかねている。この尊い犠牲が日本の進歩につながることを期待するばかりである。
(了)