岡崎久彦
残念ながら、現在の財政事情では私の論は顧みられず、陸上自衛隊中心の大幅な削減が考えられているらしい。この成り行きに影響を与えるにはもはやツー・レイトかもしれない。しかし防衛というものの基本的考え方について若干論じたいと思う。
防衛は言うまでもなく、一朝有事のためである。有事は百年後かもしれない。その間、国際情勢はいつも同じとは限らない。TVの討論などで、いわゆる軍事通の評論家が、現在の国際情勢でどうして北海道に師団が要るのか? どうして沖縄に海兵隊が必要なのか? と言っているのを耳にする。
その論理を延長すれば、現状では自衛隊の戦車などは一台も要らないことになるが、彼らもそこまでは言わないのは、その論理だけで説明しきれない何ものかが防衛の本質の中にあることを暗に知っているからであろう。
現にほんの十年ちょっと前、私は北海道の第七師団(日本唯一の機甲師団)の存在を貴重に思ったことがある。湾岸戦争のとき、英仏は機甲師団一カ師団ずつを派遣した。当時私が危惧したのは、もし中国も師団を派遣したらどうなるかだった。
今となっては当時の雰囲気を覚えている人も少ないが、当時は冷戦終了直後の国際情勢の大再編成期であり、現にその後数年間は、米国の敵はもはやソ連ではなく日本だということで、日米同盟廃棄論もあった時代である。もし中国が派兵すれば米国の同盟国は、実質的に日本ではなく、現に肩を並べて戦っている中国になってしまう。それなら第七師団を活用するしかないと考えたのである。
こんなことを考えたのは多分、私一人だけだったであろう。のちに総理となる某政治家にこの考えを話してたしなめられたことがあった。
こういうマクロな話での唯一の尺度はGDP比である。今までは日米同盟と相まって何とかやってきたが、これが国際社会で非常識に小さいという事実は常に心に留めて置くべきであろう。時々の世論や国会の動向にかかわらず、これを増やすことはあっても、減らすことのないように心がけるのは為政者の義務であろう。
新聞報道を見てもう一つ愕然としたのは、艦艇と航空機の数を削減する計画があることである。百年どころか、今から十年間の国際情勢を考えて、日米共同の海空軍戦力が極東の安定に果たしている役割の大きさは計り知れないものがある。こんなことは観念的平和主義に凝り固まっている人以外は、誰の目にも明らかなことである。
いったい、これについて米国と戦略協議をしているのだろうか。またどうしてこんなことに財務当局が介入する必要があるのだろうか。
文民統制も一つの政治原則ではあるが、それがすべてではない。公家が軍事に容喙してあたら楠木正成を湊川で戦死させた、長袖兵を論ず、の害もまた忘れてならない歴史的教訓である。
イラクで米軍は惨憺たる試行錯誤を経験したが、錯誤は戦場の常であり、誰がやっても同じだったかもしれない。しかし明らかな政策上の誤りと指摘されているのは、ラムズフェルド国防長官が就任以来の少数兵力、効率主義に固執して、大兵力を主張する部下を遠ざけ、その結果地上兵力不足の中で無理に無理を重ねていることである。
新しい戦争が、即ち対テロ戦争となると、人間という超々ハイテク兵器が多数必要となる。かつて韓国に二十六人のゲリラが上陸したときは六万の兵力を五十日間張り付ける必要があった。
今度の新潟でもまだまだできることはあった。人員には余裕を見るべきである。
(了)
※HP編集部註:本文中の「昨年八月の本欄」とは「ミサイル防衛に予算を惜しむな」です。