「事態見極め」を前提とするな
自衛隊派遣は国家戦略上の必然

(2003年11月27日付産経新聞朝刊【正論】掲載)

岡崎久彦

≪対米協力は最良の選択肢≫

自衛隊のイラク派遣について、今や問題点は二点だけになったといえる。

その一つは対米協力という日本の国家大戦略の問題である。当面の北朝鮮 の脅威との関連でそれを説明するのも結構であるが、本来はそれを含めて東 アジアの国際関係の基本構造の必然から来るものである。中国、ロシアとい う巨大国家が隣接する島国として日本が、海洋を支配するアングロ・アメリ カン世界と協調することの死活的重要性は、開国以来変わらない。現に日英 同盟のころの三十年間と日米同盟の半世紀は、日本国民が安全と繁栄と自由 をもっとも享受した時期だったことは歴史の示すところである。

日本としては、英国が二十世紀初め以来、米英協調を国是としたように、 日米協調を細心の注意を以って維持する以外の選択肢はない。イラク派兵も この観点から不可欠と考えるべきである。

外に向かっての説明としては、テロの脅威から自由世界を守るアメリカに 協力するためでも良いし、今回の場合は国連決議があるからと言っても良い が、その基本は対米協調が日本の最良の選択肢であることに確固たる信念を 持つべきだということである。

もう一つは派遣自衛隊員の安全の問題である。それは国家戦略とか憲法 (日本人は危ないところに行ってはいけないと書いてあるわけではない)の 次元の問題ではない。一昔前まで、小学校のプール開きとなると、「うちの 子供は絶対に事故に遭わないと保証してください」というお母さんたちがい たという、戦後日本の風潮の次元の話である。

「もし一人でも自衛隊員に事故があったら、日本国内は大騒ぎになって参 院選にも影響する」という懸念はよく聞く。はたしてそうなるだろうか。私 はそうならない可能性もあると思う。もうプールを心配するお母さんもいな くなったように日本人も少しずつ変わってきている。イタリアまでがテロに 遭って毅然(きぜん)としているのに、日本だけが怯(ひる)むことを潔 (いさぎよ)しとしない方が多数かもしれない。

また、それには政府の姿勢も影響する。政府が毅然としていれば少数の懸 念は沈黙するが、政府が怯めばそれに乗じて声が大きくなる。

≪安全対策には遺漏なきを≫

心配なのは、「事態を見極めて」というような言葉が独り歩きして前提条 件となってしまうことである。

テロというのは対象と時期を先方が自由に選べる奇襲攻撃であり、本来、 事前に見極め得べきもないものであるのに、それを条件とすると、万一事故 があった場合、政府は誤判断の責任を追及されることになる。テロは予測不 可能であり、百パーセントの安全はありえないことは何らかの形で認めてお くべきである。

もちろん安全対策には遺漏なきを期さねばならない。十分な人数を揃え、 有効な武器を携行し、かつその使用基準について現地の司令官の裁量の幅を 大きくすることが対テロの抑止力にもつながる。こんな場合、裁量権限を大 きくしても、それを憲法上問題にするような人は今ごろもうほとんどいない のではないか。

また現地では昼夜徹底的なパトロールの実施が必要であり、作業要員を上 回る保安要員の数も必要であろう。また情報を得るためには現地の人との接 触、協力が不可欠であり、そのための工作費も十分に準備すべきである。

派遣地域の復興、地域振興のための無償援助も考えるべきであろう。自衛 隊が現地の人々に信頼され、愛され、惜しまれながら去るようにすること が、日本の中東外交にとって必要であり、また絶好のチャンスでもある。

≪求められる総理の指導力≫

そして何よりも、政府が、できれば総理が率先して、この派兵が日本の国 益のため不可欠であるとの認識を明らかにして、隊員に対して感謝、激励の 態度を正面から示すことが、隊員の士気のためにも、国民の支持、外国から 尊敬を得るためにももっとも望ましい。そして一旦派遣が決まれば、与野 党、国民一致して、この危険の伴う任務に赴く自衛隊員を粛然として見送り たい。

最後に、望まないことであるが、万一の場合の参考としてイタリアの例を 挙げる。

イタリア軍に多数の死傷者が出た直後の米伊首脳会談では、席上まずブッ シュ氏より深い哀悼の意の表明があり、これに対してイタリアの大統領は自 らの犠牲には触れず、アーリントンの墓地を訪れ、自由のために命を捧げた アメリカの若者に哀悼とイタリアの感謝の念を表明したと発言した。悲しく も胸を打つ、そして外交的に心憎い演出であった。

(了)


ホームへ