岡崎久彦
米軍再配置に関する日米間の戦略協議がなかなか進捗しないという。
私は当然と思う。従来とも日米間の戦略対話というような事を聞くと私はこそばゆい思いを禁じ得なかった。日本には戦略がないからである。あるのは国会答弁で積み重ねた政府のポジションがあるだけである。
たとえば日米同盟は世界の安全に寄与できると言えばそれは立派な国家戦略である。ところがそんな事を言うと、忽ち国会で野党の追求を受けて、結局それは日本が安全になればひいては世界の安全に寄与するという意味で、日本はあくまでも自国の防衛だけに徹し、世界の安全のために行動するという事ではない、という答弁になってしまう。
これは単に姑息な官僚的答弁だという以上の意味が背後にあるかもしれない。日本政府に戦略的発想はなくても、冷戦時代の共産陣営には確固たる戦略戦術があった。その目的は、当然、世界戦略における日本と在日米軍の役割りを制限することにあり、日本の左翼は国会でこれを推進する役割りを果たした。
しかし、そういう国会答弁を引き出すに力があった社会党は消滅し、その政策(村山総理が「安保堅持」を明言した以上、その政策の全部ではないであろうが)の後継者である社民党や共産党は国民の数%の支持しかない。国民の大多数が最早必要としない答弁で日本の戦略を制限し続けるのは惰性でしかない。今や過去の答弁に捉われず日本の大戦略に立ち戻って考え直すべきであろう。
日本の大戦略とはもとより国民の安全と繁栄を維持増進することである。安全の中には国家の独立と自由も含まれる。独立といってもアメリカにちょっと逆らって見て「自立した」というような甘っちょろい話ではない。冷戦時にソ連に占領されたら、現在でも北朝鮮の軍事的脅迫に屈したらば、民族の自由も独立もないという、国家としての基本的な独立である。
海洋国であり、世界中の資源と、それを得る外資獲得のための市場を確保するためには七つの海を支配しているアングロ・アメリカン世界と協調するしかない事は、開国以来の一世紀半の世界情勢の与件である。日本が安全で繁栄して自由だったのは日英同盟の頃の二〇余年と戦後の日米同盟の半世紀であった。
この与件は予見し得べき将来は続く。とすれば、日本の大戦略は日米同盟を維持強化する事である。それか出来ればわれわれの孫子の代までの安全と繁栄を保証できる。
大戦略を持つことの良さは、どんな問題でもそこに立ち帰れば答が出るという事である。「イラク派遣自衛隊の撤退時期は?」「どの位損害が出たら引き揚げるのか?」というような質問に対しては、「日米同盟確保のために派遣したのだから、日米同盟にとって良かったという形になれば何時引き揚げても良い。いささかでも傷つけるようならば引いてはいけない」という答えになる。また事実、その場で何々法がどうのこうのと、どんな小理屈が出て来ようと、結果はそうする以外はないであろう。
しかし日米同盟の継続強化といっても言うべくして簡単な事ではない。よく聞く反論は、「米国をそこまで信頼して良いのか?」、「頭越しに中国の方を向いてしまわないか?」などという事である。といって「じゃあ、どうするんですか?」と訊き返すと、他の選択肢は提示されない。ここに問題の本質がある。
日米同盟は、日本にとっては地政学的条件と日本の国力からいって他の選択肢がないが、米国のような超大国にとっては数ある選択肢の中でベターなものでしかない。そこから日本の国家戦略が出て来る。つまり、米国にとって日本が最良の戦略的パートナーであるような日米関係を作るよう常に配慮することが日本の最高の国家戦略である。
報道によれば、現在の日米戦略協議の問題点は、米陸軍の第一軍団司令部の日本移転などにあるという。それは日本を米国にとってより重要な戦略的拠点とするということであり、それはアーミテイジ報告以来の日本重視政策の現実化であり、小泉総理が築いて来た日米信頼関係がこの米国の姿勢を産み出したといえる。日本としては絶好のチャンスである。
これに対して日本政府がどうも二の足をふんでいるのは、安保条約の解釈にあるようである。即ち、安保条約は日本と極東の安全のためのものであり、グローバルな米国戦略にも関与するような高級司令部を日本が受け容れるのはその本旨に反するという事らしい。
たしかに、安保条約第六条は、日本と極東の安全のために米軍に基地を供与すると書いてある。ただ米軍の活動はそれに限定されるとは書いていない。制限があるのは、軍隊や装備の配置の重要な変更と日本の基地からの直接出撃は事前協議の対象となることだけである。日本政府も、司令部の設置を、軍隊や装備の変更とは考えていないらしい。とすると、在日米軍がグローバルな機能を持つと受け容れられないなどという発想は、それこそ今は無き社会党との国会答弁の残滓に過ぎない。しかも、事実問題として、沖縄の基地は冷戦時からインド洋のディエゴ・ガルシアの重要な後方基地であり、テロ戦争においては、沖縄の海兵隊も横須賀の空母も随時現地に展開されている。在日米軍は日本と極東の防衛以外には使わせないなどというのはすでにフィクションである。
日本の大戦略は日米同盟の維持にあるのだから、必要に応じて世界のどこでも米国と協力することが、日米信頼関係の強化につながり、それが国民の利益となる。
第六条の解釈も次のようにあるべきである。「日本が基地を供与するのは日本と極東の安全のためであることだけは忘れないで下さい。それは在日米軍基地をグローバルな目的で使用することを妨げるものでもなく、現に日本はそれに協力して来ました。しかしどんな場合でも日本自体の防衛はおろそかにしないように配慮して下さい」
本来、それが基地提供の条件である。また事実、従来とも、在日米軍や、横須賀の空母がグローバルな目的で移動しても米側は、必ず何らかの形で極東の防衛をおろそかにしない代わりの措置をとっているようである。
第一軍団司令部の日本移駐といっても、司令部スタッフの移動だけで、兵力装備の変更はなく、いわゆる基地問題とも無関係である。こんな事で遅疑逡巡するのは、日米国民全体の利益の重さから考えて、あまりにも卑小である。
(了)