岡崎久彦
外交にはfaux pasという言葉がある。
そんなに難しい言葉ではない。フランス語で、文字通り誤った一歩を踏み出してしまったというほどの意味である。
最近の日中首脳会談で温家宝首相は、小泉首相の訪日招請に対して、「小泉首相の適当な時期での訪中を歓迎する。自分も訪日を希望しており、そのために良好な雰囲気を作る必要がある…ぜひ首相の知恵を生かして両国関係の問題を解決していただくよう希望する」と述べている。そして新聞報道は「小泉首相の靖国神社参拝中止を暗に求めたものだ」(十月八日付朝日新聞朝刊)と書いている。
たしかに日中首脳は相互訪問が原則であるが、二年前の小泉首相公式訪問以来、中国側首相はまだ答礼訪問していないし、小泉首相の公式訪中もまだ実現していない。他の新聞も同じような趣旨で報道しているから、中国側は相互の公式訪問に、小泉首相の靖国神社参拝中止を条件づけているのであろう。
これが本当とすれば、外交儀礼上、まれに見る非礼な態度であり、客観的に見て、中国外交の驚くべきfaux pasと言ってよい。
日本総理の靖国神社参拝は、戦後四十年間、中曽根総理の参拝まで、途中、占領軍の強権による禁止の時期はあったが、中国を含むいかなる外国からの抗議も干渉もなく、行われていた。
昭和六十年以降、日本国内からの問題持ち出しによって日中間の問題にはなっていたが、それでも首相公式訪問の条件とするようなことはなかった。それを今ごろになって、こんなことを言い出すというfaux pasを踏み出して、どうやって事態を収拾する気なのだろうか。
そもそも歴史問題は、外交的解決になじまない問題である。
日韓間の歴史的怨恨(えんこん)を解決しろといってできるものではない。それは今後、何世紀も残るのであろう。
徳川時代から明治に至るまで、朝鮮における忠臣義士の話はすべて文禄慶長の役の対日怨恨の話だったと聞く。今でもボストンの案内人は、英国の圧 制とそれに対するアメリカ人の英雄的抵抗を称(たた)え、英国人ツーリストはあまり愉快に感じないという。
しかし外交は、その時々のそれぞれの国益を最大限に主張し合い、その間に妥協を達成する技術である。
歴史的怨恨を持ち出して現在の国民の間の利益をいささかでも損なうことは、いかなる政府もしないことである。歴史は歴史として、現実の国民の利益を最大限にするのが外交である。
もっとも日中首脳会談はあちこちで行われているので、実務上の支障はなく、公式訪問など少し位遅れても国益に大した影響はない、ということで、中国側は靖国問題をカードに使っているのかもしれないが、首相の相互訪問には礼儀としての価値があることを忘れるべきではない。
こんな非礼を何時までも続けて、中国は一体どうする気なのだろうか。
一つの救いは、これが中国外交の老練なところとも言えるが、中国側は公式発言では、これを条件づけていない事である。また、それは江沢民時代から受け継いだfaux pasで中国側も困っているかもしれない。
それならば、今後この趣旨の発言を控えめにして、静かに問題を消え去らせるのが上策である。
日本側もこの種歴史問題は、ことごとく日本から火をつけたという過去の経緯から学んで、中国側は「暗に」求めているというようなお先棒をかつがなければよい。
いやしくも大人(たいじん)の国・中国はそこまでは言っていなかったのだ、と皆が解するようになれば、それで本件は落着する。
靖国神社の代替施設を造ることが中国側の言う「日本側の知恵」だという説もある。
代替施設は、一般の評論を見ても反対論ばかりで賛成論はほとんど見ないし、自民党の多数が反対だという。将来の首相候補といわれている人々を思い浮かべても、せっかく造ってもこんな施設は無視して、靖国神社参拝の方が主となる可能性は極めて高い。
faux pasで抜き差しならなくなった中国側の一時のメンツを救うために、こんな無用のものを国費を投じて造れば、それは後々までも、中国外交の尊大さ、強引さ、そして日本外交の屈辱の記念碑として残るだけであろう。それこそ末代までのfaux pasである。
(了)