岡崎久彦
北朝鮮の核開発問題は昨年来日増しに危機的な様相を深めているが、不思議にその見通しがちっとも見えて来ない。その原因は一言で言えば米国の政策が見えないからである。
二国間交渉はしない、多国間協議でなければならないというのは米国の一貫した政策論であり、今回それが結実して六か国協議となったのであるが、これは手続き論に過ぎず、実質の問題となると北の核武装は許容できないという原則論があるだけである。
最近の米国の評論の中でただ一人北朝鮮政策を正面から論じているペリー元国防長官は米国には北朝鮮政策が無いのではないかとまで言うに至っている。
私は昨年来この問題については予想を立て、それを内外に公表してきた。要約すれば、米朝間に妥協の可能性ありという事である。その理由は、米朝間には九四年と九九年の二回にわたって妥協が成立しているが、その背景となっている条件がその後も基本的に変わっていないからである。
一つの条件は休戦ラインの北側には一万と言われる大砲、ロケットが配備され、戦争となると数十万発の砲弾を撃ち込んで来る。それによる犠牲者は九五年の議会公聴会証言では百万人、九九年のペリー報告では数十万人と予想している。新しい軍事技術でその何割かは防げても、それでも大変な犠牲者を出す。それでも良いから戦争して良いと言える韓国の政治家はただの一人もいないであろうし、在韓米軍の蒙る損害も考えると米国にとっても妥協を受け入れざるを得ない要因の一つである。
他面北朝鮮側の事情としては、経済がいかにも困窮している。八九年のソ連経済圏解体によって東欧、インド、ベトナムなどは大打撃を受けたが、西側の資本技術の導入で、数年後には立ち直っている。しかし北朝鮮は、その後も、年の豊凶によって若干の変動はあっても、一貫して経済は沈下を続け惨憺たる状況となっている。となると少しの米でも石油でも欲しい。ここに常に妥協の可能性が生じる。
もちろん北朝鮮を悪の枢軸と呼んだブッシュ政権は、前政権とは違って、妥協の敷居はかなり高いと予想された。そして妥協が成立しない場合、北朝鮮は一方的に核開発を進め、この夏頃には危機的な情況が生まれるだろうと予測した。ペリー氏も九四年と九九年の米朝交渉の当事者として基本的には同じ判断であった。
ただペリー氏は、今年前半にブッシュ政権が北朝鮮との交渉を拒否し続けた事に失望し、最近は事態は収拾つかなくなり、戦争に向かって漂流しているのではないかと慨嘆しているが、私は事実の推移はまさに我々が予想した通りではあるが、逆に「危機的な情況が来る」という私の判断の修正の必要を感じている。
夏に危機が来ないのではないかという判断を確信させたのは五月三十一日の英国際戦略研究所(IISS)におけるウォルフォビッツ国防副長官の演説である。IISSは国際政治学者にとって檜舞台であり、ここでは専門家たちの批判に堪え得るようなしっかりとした対北朝鮮政策が表明されると期待したが、彼がまず言ったのは、太平洋地域はかつてないほど平和だという事であった。
この一言をもってして、米国政府が武力衝突の起こる事態を全く予想していない事がわかる。そして北朝鮮にとっては鄧小平的改革開放路線をとる事が唯一の選択肢という、とうてい当面の米政策たり得ない長期的観察にとどめている。さすが会場からは、当面の核問題はどうするのだという質問が出たが、それについては北朝鮮からの核の流出に懸念を表明するにとどまっている。
米国は明らかに戦争を予想していない。北朝鮮の通常兵器の抑止力もその一つの理由であろう。しかし、米国は、あらゆる選択肢を放棄しないと言っている。ここからは私の推測であるが、最大の理由はアメリカ帝国の政策の優先順位だと思う。ローマ帝国でも、ゲルマンの征服に乗り出す時は、東方では、あっても小競り合い程度であり、その逆もまた真である。獅子は兎を捉えるのに全力を尽くすし、二兎を追う事はしない。リベリアのような一個旅団で片がつくような所でも、米国はなかなか出兵しようとしなかった。
とすると、米国が北朝鮮に向き直るのは中東情勢が一段落してからということになり、北朝鮮危機の見通しは中東の見通し次第という事になるが、その中東が簡単には解決しない。パレスチナ問題が解決しない限り、アラブの反米は収まらないから、米軍もイラクから引き揚げられない。パレスチナのロード・マップ完成にはあと二年半かかる。またイラクから米軍が早期に引き揚げるとアッバース政権ももたなくなる。両睨みで米軍の駐留はどうしても長引く。また情勢によっては、シリア、イランとの問題解決の優先順位が北朝鮮より上になる可能性さえある。
これを米国には北朝鮮政策なし、というのは当たらない。北の核は冷戦時代の対ソ戦略のように抑止して置けば良い。日本に対する攻撃は米国に対する攻撃と見なすという今年二月のアーミテージ(国務副長官)発言のように即時大量報復による抑止力を維持すれば良い。それでは北朝鮮の核武装を黙認するのかとも言えるが、実際どう制裁するかは先の問題としても、絶対に承認しないという不承認政策を続け、その間戦争に到らない外交、経済上の圧力を加える政策となろう。
六か国交渉では、米国は包括的な全面解決を求める公開の交渉を原則として、北朝鮮との個別的取り引きには容易に応じないであろう。北朝鮮が経済的困窮のあまりこれを受諾すればそれで事態は収まる。その可能性もある。しかしそうでない場合は、北朝鮮の変化が起こるまで、あるいは中東問題が一段落するまでの長期的封じ込め政策の形となろう。
これが客観的見通しであるとしてーただしこれは私個人の判断であり、ほかにも異った分析のあり得ることは十分考慮に入れて頂きたいーその上に立っていかなる政策を考えるべきであろうか。
当面の危機はない。といってもいずれは危機は来る。戦争に向かって漂流しているというペリー氏の分析も、二年後の事と考えれば私の考えと違わない。日本としては、その間、ミサイル防衛、敵基地攻撃能力の向上をいそがねばならない。集団的自衛権の問題もそれまでに解決して置きたい。米国も在韓米軍を南部に引き下げる時間的余裕が与えられる。
交渉についても、米国はいそいでいないという見通しの下で日本がいそぐ必要も全く無い。拉致事件も含めて、国民が納得する解決が得られるまで腰を据えて交渉すれば良い。日本側では誰も早期正常化の功を焦っていないことを北朝鮮側に認識させる事が重要である。
(了)