岡崎久彦
今回の参院選の結果は、国際的にはほとんど反響はない。
それは当然である。選挙が国際的なニュースとなるのは、政権が交代するような投票結果が出た時である。日本のマスコミでは、「民主党躍進」などとニュースとなるが、与党は自民党一減、公明党一増で変わらず、野党民主党は与党の絶対多数も脅かさないというのでは国際的に注目の価値はない。
一つだけ核心をついていると思ったのは、短いセンテンスではあるが、米紙ウォールストリート・ジャーナルが、「二〇〇六年九月の自民党総裁選まで、もう選挙はないのだから、党内事情や利益団体に顧慮することなく、改革を実行して欲しい」と書いている事である。
これがまさに今回の選挙の意義である。与野党の得票の増減とかそんな事でなく、小泉内閣が過去一年間の自民党総裁選、衆院選、参院選と、すべてを乗り越えて政権を維持し、あと二年間の政策のフリーハンドを得たということが重要なのである。
一般論として国論を割るような政策が問題となることは与党にとって得策でない。今回民主党が躍進したのも、年金問題―イラク派兵もマスコミでは常に併記されているが、どの程度影響があったか疑わしい―が、不手際で国論を割る形となってしまったことが大きかった。
過去の典型的な例は消費税であった。
五十五年体制の自民党らしい最後の政権として記憶されているのは昭和五七年から平成元年までの中曽根、竹下内閣である。消費税は、中曽根内閣の売上税から始まって、この両内閣をかけてやっと実現したが、その結果―それだけではないかもしれないが―半世紀近く続いた自民党単独支配が揺らぎ、次の政党再編時代に導くこととなった。
竹下内閣最後の年、私はタイの大使として竹下総理の訪タイをお迎えした。その時総理は秘書の自殺もあって満身創痍、もうやめる御覚悟だったことははた目にもわかった。そういう中で、私と二人だけの時に「とにかく消費税だけは作った。これで日本の財政の将来に展望が開けると思う」と述懐された。
百戦錬磨の政党人でありながら、引退前の最後になって、長期的な国事だけを語られた時の、いかにも竹下さんらしい気負いのない淡々たる御話しぶりは、今でも私にとって清々しい想い出である。
私が今後の小泉内閣に期待したいのはこの心意気である。
しかも小泉さんの政治環境は竹下さんと較べものにならないくらい良い。もう次の選挙はないのだから、支持率の多少の増減などは意に介する必要はなくなってしまった。
北朝鮮との国交正常化などは、核開発について北の態度に若干あいまいさが残ることに目をつぶり、米国や日本の良識ある人々の懸念や軽蔑に耳をふさげば、誰でも出来ることである。むしろ小泉総理が常に言って来られたように改革のために自民党をつぶす気ならば、つぶれた後の野党が喜んでやることである。与えられた貴重な時間をこんなことに費やす意味はない。
郵政改革は私の専門でないが、総理になみなみならぬ決意がおありということは稀なチャンスだから、やってみる価値はあると思う。
東京三菱・UFJ合併による巨大銀行のそのまた倍近い厖大な資金が、民間と平等の競争原理で運営され、一部不良債権化している過去の融資を整理できるのならば、それは日本全体の構造改革につながる大事業であろう。
既得権益からの抵抗は当然あろうが、総理の私心なき指導力に期待したい。ただ、抵抗の圧力の下、形だけの改革で、実質は今とあまり変わらないのならば、この貴重な二年間を空費することになってしまう。
何よりもして頂きたいのは、今までやろうとしても選挙を前にしてとうてい出来なかったこと、とくに集団的自衛権の行使と消費税の増額である。今まで総理は、この二つは現内閣の間はしないと言われた。次の選挙の事を考えれば理解できたことであるが、もうその配慮は不要となった。九月に出来る新内閣はこの制限をはずして、この問題を正面から取り組むことを期待する。
この二つこそ、たとえその結果小泉内閣が辞職に追い込まれ、再び長い政局混乱状態が生まれたとしても、日本民族の財産として永く残るであろう。
この二つは連立与党の公明党が建前上反対している事であるが、総理が決断されれば、公明党がそのために政権を離脱する覚悟があるかどうかわからない。また次の選挙はないのだから、離脱のインパクトも少ない。
参議院の多数を失う問題はあるが、消費税については、福祉、年金財源とするならば、それはむしろ民主党の主張であり、今回の通常国会の北朝鮮制裁法案のように民主党と協調することはそう難しくないであろう。
その意味で、次期自民党幹部は民主党の良識派と話し合いの出来る、政治面でスケールが大きく、政策面で見識ある人物が必要である。それは消費税にかかわらず、防衛、安保、対中国、台湾、北朝鮮のすべての問題にとって重要であろう。安倍幹事長には、若くともその資質はあるように思うが、交代が必要と言うことならば、これに劣らない人物の登用が望まれる。
そして何よりも重要なのは集団的自衛権の行使である。これは国家百年の計であると同時に最も緊急の課題である。ブッシュ米大統領が再選されればあと四年あるがそれはわからない。親日的な人士が多いブッシュ政権が続く年末までにこの問題を解決する事が、今後の日米協力体制を築くために、ひいては日本の長期的国益にとってどれくらい有利な事か測り知れないものがある。
これには国会の議決はいらない。「権利があって、その行使が禁じられている」という馬鹿馬鹿しい解釈は誤りであると総理が一言言明されれば、あとは、それを国会答弁等に反映させる事務的な作業が残るだけである。
もともとこの問題と憲法改正とは別問題である。いくら憲法改正して、どんな権利を与えても、今のようにそれを行使できないと解釈すれば同じ事である。
憲法改正こそ小泉内閣の最終的な大課題でありじっくり取り組んで頂きたいが、議員の三分の二という条件を満たすためには、腰の据わらない人々も巻き込む必要があり、しっかりしたものを作るのは難作業であって、それこそ総理の指導力が期待される局面も多々あろう。しかし、日本国民の将来にこれだけ重大な影響のある集団的自衛権の問題を、憲法改正の厖大、繁雑な手続きと時間の犠牲にすべきでないだけでなく、そもそもこの二つは始めから無関係な話である。
(了)