いつまで続く長期的財政戦略の不在
投資すべき真の需要を見誤るな

(2003年5月22日付産経新聞朝刊【正論】掲載)

岡崎久彦

≪繰り返される不毛な議論≫

私は五年前に、たった一度だけ経済問題(平成十年十一月二日付正論)を論じたことがある。

私の本業の国際情勢判断では、まず長期的な情勢の流れを見極め、その流れの範囲の中で日本の国益の最大化を図るのが普通である。

その手法で当時の日本の経済情勢を見ると、今と同じように行政改革が先か、景気刺激が先かの議論が繰り返されていた。

しかし、客観的に見れば、どっちに転んでも、どうせ毎年、当時の米国の国防予算に匹敵する巨額の景気対策費をたれ流し、数年後には政府債務は六、七百兆円に達し、公務員給与の削減も考えるような事態となると予想された。どうせそれだけのお金を使うなら、もう少し長期的な財政戦略を持ってはどうだと論じたのである。

しかし、その後もそんな予想数字を出すこと自体、不謹慎だとして財政赤字削減を焦眉(しょうび)の急とする政府財政当局と、少しでも公共投資に金をまわしてほしい政治的要求の綱引きで毎年の財政が決定され、それが五年後の今日に至っている。

こんな事が何時まで続くのだろうか。外国に対する日本の借金が増えるわけでないから良いではないかという説もある。この説の経済理論上、財政技術上の当否はさて置き、いずれにしても対外収支が悪化し出して放漫財政の先行きが不安になるまでの事であろう。いずれそういう限界が来るとすれば、まだお金が使えるうちに長期的な財政戦略が欲しいと改めて思う。

≪最優先は老人福祉と教育≫

財政戦略はやはり社会の真の需要に沿ったものが望ましい。需要を考えず車の通らない道路など作るから批判されるのである。

また、減税などしても消費でなく貯蓄に行ってしまうといって、人為的な消費需要を振興しようなど短期的小手先の議論も行われている。前ケインズ的だとの批判はあろうが、やはり国家の資源は大事に使うべきであろう。

日本の社会にはまだまだ真の需要が供給を上回っている分野もある。特養老人ホームなどは一つの席に何十人もの順番待ちが普通という。今後、団塊の世代が老後を終えるまで三十年余の間の需要は簡単に計算できよう。公共投資をそこに集中して、過疎、山紫水明の地に施設、付帯道路等を建設すれば良い。

建設業にしても、道路予算がつくかどうか毎年一喜一憂するよりも長期的な計画が立ったほうが良いであろう。維持経費は莫大(ばくだい)であろうが、ちゃんとした数字の根拠を示して消費税値上げを国民に納得させるべきである。これこそが長期的財政戦略である。

長期戦略の本命は教育であろう。米百俵。教育が国家百年の計である事は言うを待たないが、それだけでなく、現に個人の家計の中で潜在的需要が最も大きいのは教育費といえる。現に二人目の子供をつくるときに、二人を大学まで進学させる経費がまず心配になるという。

当面最も需要が大きいのは正規教育外の塾の費用である。この需要は無限と言って良い。進学塾にも通わせたいし、ピアノのレッスンもさせたい。一人なら何とかなるが、二人、三人となると普通のサラリーマンでは無理である。こうした事がたしかに少子化の一因ともなっている。団地などでは、貧富の差は子供を塾に出せるかどうかが一つの基準という。またそれが将来の社会の階層分化の一要素ともなっている。

≪見劣りする防衛・情報費≫

従来の文科省的発想とは異なる措置が必要となろうが、たとえば、義務教育年齢の子供一人について塾一つ分の経費を政府が補助してはどうだろうか。日本の科学技術の将来を憂えている人はまず理数系の塾を重視しようが、ケチケチ言わずに、ピアノでも茶道など日本伝統の稽古(けいこ)事でも何でも良い。

これによって新たな教育ビジネス、とくに中高年中心の雇用の振興もあろうし、何よりも、日本は世界でも稀(まれ)な教養、文化社会となり、新しい独創力も生まれよう。経済の先行きが世界中不透明な時代において、長期的な競争を生き延びる力は平均的民度の高さと独創力によろう。

なお、最後に我田引水となるが、お金がまだ使えるこの最後の機会に日本という国の形を整えるとすれば、防衛と情報の予算はもう少し増やした方が良い。戦後の高度成長時代に、公共事業、社会福祉の急増の陰に閑却され続けてきた分野であり、他の先進国と数字で比較して見れば、いかにいびつな形となっているかは一目瞭然(りょうぜん)である。

(了)


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