岡崎 久彦
世の中には、問題によって、どうしても三十秒はかけないと説明できないことも あるのだ。もともとちゃんとした説明を聞いて何かを学ぼうというのが目的ではな い、おしゃべりのタネさえ提供してくれればよい、ということなら、何も言うことは ないが、招ばれた方としては全くの時間の無駄である。
いわゆるワイドショーでなく、一応真面目な討論番組と言われているものでも問 題がある。
アメリカのトーク・ショーは、ミート・ザ・プレスでも、フェイス・ザ・ネイシ ョンでも、よく勉強したジャーナリストが、一人の政治家か、専門家を相手に一 時間近くその知識、識見を聞き出す番組である。 日本も昔はそうだった。今のフジ・テレビの報道2001の前身は「世相を斬 る」だったと思う。故福田恒存氏がホストを務めていた。私も出演したことがある。 その頃私は外国に出たり入ったりしていたが、何時からかホストは竹村健一氏に変 わっていた。それでも初めは竹村氏ひとりだったような記憶がある。
そのうちに女子アナが同席するようになり、次々に出席者の数が増えて、やがて は別のテーブルまで設けてそこから発言に割り込むようになってきた。その間な ぜこういう変化が起こったのか、その背後のフィロソフィーの説明は一度も受けた ことはなかったが、他のチャネルも大体同じようなことになって来た様なので、そ れが流行りだったのであろう。
その間孤塁を守って呉れたのは、十二チャネルの渡部昇一氏の番組だったが、そ れも何年か続いておしまいになった。
この頃はますますひどいらしい。番組のタイトルが初めから「激論・・・」と なっている。私個人は経験がないが、話している最中に「もっと激しくやりあっ て下さい」というサイン・ボードが表示されるときもあるという。識者の意見から 学ぼうなどという姿勢は皆無で、ただ視聴者の前で立ち回りを演じてくれるだけを 望んでいるのである。
これは精神的頽廃である。同じ三十分間で、アメリカの視聴者が得る情報の質と 量に比べて、日本の視聴者のそれは比較にならないほど貧弱である。
アメリカの視聴者が学ぶことは、イラクの現地情勢や歴史についての専門家の知 識であり、大量破壊兵器についての情報の入手と分析の手法であり、アメリカの 国益、大戦略にとっての是非の論である。それに対して日本の視聴者は、自衛隊を 海外に出すことの是非、対米追随の是非など、もともと誰もが知っていて、どんな 素人でも一言は言えることを、大きな声で「激論」しているのを改めて見るだけで ある。知識も教養もテレビを見る前と後で少しも進歩していない。
その結果として両者が新たに得た情報の量はまるで違う。情報を得る手段は他に もあろうがテレビだけを取ってみれば、これを毎週見せられている日本人の視聴 者の教養の蓄積がアメリカ人に劣っているであろうことは明々白々である。それを 自覚して謙虚になるのならばまだしもであるが、その上で開き直ってアメリカに肩 を張って見せるに至っては、恥ずかしくて見ていられない。
もっとひどい例もある。これは民放四局のうち一つだけに顕著な傾向であるが、 はじめから自分でシナリオを書いて出演者にそのシナリオどおりの役を演じさせ ようとする。その局だけであるが、「こういう番組に出演依頼を考えているがその 前にお話を伺いたい」と面会を求めて来る。私はこういう面会依頼には応じない。私 の考えなどは、そこいらへんの新聞や雑誌を見れば分かる話である。ひとの時間を 取ってその上で出演依頼の可否を決めるなど時間のムダである。
或る時などは、何を言って欲しいか見え見えだった。私がそれを言えばそれだけ を引用することは見えているから、そうでない私の説明の部分を引用しろよ、と 念を押したにもかかわらず、やはりその部分だけを引用して、それに対する反論を 紹介していた。理由付けの部分まで引用したのでは私の主張に説得力が強くなりす ぎるからであることは明らかだった。今後このチャネルとはよほど事前に念には念 を押した上でなければ付き合わないことにしている。
つまり識者から学ぼうとする姿勢が皆無なのである。テレビ局の担当者本人は何 度も徹夜するような努力はしているようであるが、本人が学校と新聞で覚えた限 られた知識のなかでシナリオを書いて、それを番組の中にはめ込もうとしているだ けであり、日本人の知識、教養に新たに資するところ皆無である。日本社会の恐る べきカラまわりである。
このチャネルだけでなく、もっとまともな番組でも同じようなことをしている場 合が少なくない。事前に詳細なシナリオを書いてくる。そして私に見せる時はテ レ笑いをしながら、「この通りにはなりませんが」という。事実その通りにはなら ない。
基本的には同じ問題である。識者から自分の知らない新しい知識や意見を吸収し ようという姿勢がまったく無く、自分たちの限られた知識能力の範囲で番組を作 ろうという考え方が背後にあるのである。
二、三日前、新聞記事で「徹子の部屋」が記録的なロング・ランを続けている理 由として、事前にシナリオを作らないことにある、と書いてあった。当然であろ う、それぞれ独特な人生を生きて来た個人の体験を学ぶ番組である。シナリオなど書 いたら失礼である。
この経験は他山の石とすべきであろう。
結局はインターヴューアー個人の能力の問題である。福田恒存もそうだった。ア メリカの番組もそれぞれそうである。それが世界の常識である。 それがこんな風になった背後には。おそらく戦後日本の悪平等思想があるのであ ろう。私は戦後の平等思想の背後には、左翼の影響だけでなく戦時中の軍の思想 があると思っている。「組織でやるんだよ。お前だけ特別な人間と思うなよ」。こ れは軍隊経験のある人たちの口癖であった。
そのお陰で識見のある人一人でやれば良いところを、何人、何十人の組織でやろ うとするから、カラ廻りするのである。 若い優秀なテレビ局員がそんなことで貴重な青春の時間を無駄にしているのは いかにももったいない。われこそが、天下に恥じない識見のあるジャーナリスト た らんの気概をもって日頃の勉強に時間を使ってくれたほうが、よほど日本のため になると思うがどうだろうか。
(了)