岡崎久彦
友人の中には現在の中国の政策を弁護するのに巧みな高度な国際政治の専門家もいるし、天安門事件以来逼塞しているらしい民主運動家もいる。歴史を遡ると、中国の反日デモでは、五・四運動がある。
これは反日運動であると同時に時の軍閥政府に対する反政府運動でもあった。当時日本の進歩的インテリ吉野作造は、日本人自身が明治以来官僚軍閥支配と闘って来た事を想起して、「隣邦民衆の同じ運動の成功を切に祈る・・・。官僚軍閥の手より解放されて初めてここに両国間の強固なる国民的親善は築かるべきである。従来の所謂親善は、実は却って本当の親善を妨ぐる大障害であった。」と言っている。
現在の中国体制派のインテリ諸氏に、この発言について同感を求めるのは無理なことは知っている。しかし天安門事件直前の頃の雰囲気ならば、民主化した中国と日本との間で、政治や利権にからむ友好人士間の関係でなく真の友好関係を築こうという呼びかけは理解されたであろう。
他面、この五・四運動以降の反日運動は日本人の反中国感情の源となった。それまで日本人は、孫文を初めとする辛亥革命の志士たちを陰に陽に支持してきたので中国革命家とは仲間意識があると思っていた。ところが中国民衆の反日運動を目の前にして、日本は国家主義に再び目覚めた。昭和維新運動を主導する北一輝などがその例である。
中国が反日運動をすれば、日本人の国家意識が強くなる、これは極めて単純な作用反作用である。今回の反日デモも当然そういう効果はあると覚悟しなければならない。
その後戦争に至るまで日本が経験したのは国民党の公然たる政策だった排日侮日運動であった。
これを、外国の研究者に、どう説明するのか、私は長い間苦しんだが、十数年前パレスチナにインティファーダが始まってから容易になった。 インティファーダは武器を持たないパレスチナ人がユダヤ人に抵抗するために取った戦術であり、ユダヤ人との商売や接触をボイコットし、いやがらせをしていたたまらなくさせる作戦である。
満州事変前には、日本人に対する、食料品などの販売拒否、婦女子に対する投石、凌辱、などがあり、その結果、相当数の日本人は引き揚げ、日露戦争以来の日本の権益は風前の灯となった状況があった。つまりインティファーダと同じ状況だったと説明すると、欧米人はすぐに理解できる。
この状況は、日本との衝突を絶対に避けようという信念のあった汪兆銘などが抑制させた時期もあったが、概ね盧溝橋事件まで続いた。
ただこの時期のことは今の中国の参考にならないし、また参考にすべきではないと思う。パレスチナ人もあの頃の中国も弱かった。武力で抵抗しても忽ちにたたきつぶされただろう。
したがって中国は国際法的には戦争と言えないギリギリの手段で日本人をいたたまれなくさせて追い出そうとしたのである。東京裁判で日本の弁護側があれは日本の自衛のためだと主張したのはその意味である。
しかし今の中国はもう押しも押されもしない大国である。こんな手段で自己主張する必要は全くなくなった。
考えてみれば、中国でこの種の排外デモが起こり始めたのは、今世紀初頭の団匪の乱以来中国が半植民地化したことに対する民衆の憤りからである。中国が世界的帝国であった四千年の歴史ではこの種のことは寡聞にして聞いたことがない。はっきり言って、コンプレックス、無力感の表現といって良い。
話は変わるが、今問題となっている扶桑社の歴史教科書の前の版には反米的な箇所があった。米国の或る会議でこの話をしたら、出席していたアメリカ人が、本当に異口同音に言った。「アメリカの悪口など世界中で言われているから気にしないよ。」
この時は、「さすが大国民、参った」と思った。その寓意は、日本人にも、中国の友人達にも解って欲しいと思う。
(了)