『中国との競争』
知的分野負ける?日本

(2005年4月11日付讀賣新聞日刊【地球を読む】掲載)

岡崎久彦

 最近101歳の天寿を全うして死んだ元米外交官ジョージ・ケナンは、彼の名を一世に高からしめた1947年のX論文で、来るべき冷戦における米ソの競争関係について、次のように結んでいる。

「国家の資質に対するこれ以上フェアなテストがあるだろうか。深く考えれば、アメリカ社会に対するクレムリンの挑戦に対して不平を言う理由などない。国家としてのアメリカの安全が、国民が結束して道徳的政治的なリーダーシップをになうという歴史的課題をはたせるかどうかにかかるという、この不可避の試練をアメリカ国民に与え給うた神の摂理にやがては感謝することとなろう」

 そして半世紀後ベルリンの壁が崩れた時に、アメリカはこのテストにパスした。東ヨーロッパの諸国は、共産主義の社会よりもアメリカに象徴される社会の方を、より魅力のある社会として選んだのである。

 最近米国では、米中関係を、かつての米ソ関係との関連で論じたものが出てきている。ニクソン・センターの中国専門家ランプトン氏は言っている。

 「中国の挑戦は、これから何十年と続く多元的なものであり、米ソ競争よりも生産的なものとなる可能性がある。それは、それぞれの国の、貯蓄と投資、教育、保健、そして政治の正統性の競争であるが、もし中国との競争のために米国ももともと必要だった諸調整、改革を行わねばならないとしたならば、それは苦しいことではあるが、歓迎すべきことである」

 そしてそれぞれの項目について数字や事実を挙げてその優劣を論じている。ニューヨーク・タイムズ紙のコラムニスト・フリードマン氏も、また、中国が膨大なドル債権を保有していることは有事の際に危険ではないかといって、膨大な赤字の垂れ流しをしているアメリカの経済体質に警鐘を鳴らしている。

 冷戦が終われば次は中国が競争相手となることはもともと見えていた。ただその後9・11が入ったので暫く焦点がぼやけていただけである。

 実は冷戦が終わる頃からバブルが崩壊するまでの短い期間、仮想の脅威が日本だったこともある。ハンチントンが『文明の衝突』を書く一つ前の論文は日本の経済的脅威についてであった。『文明の衝突』といっても本来「文明」がテーマではない。アメリカの国益と国家戦略がテーマなのである。つまり半世紀かかってソ連の挑戦を斥けたあと四方を見回して次の脅威はどこから来るかを考えているうちに、まず日本が目に付き、つぎに中国とイスラム世界が目に付いたということである。

 彼は『文明の衝突』執筆直前にその構想を私に語ったことがあるが、その時、私が「それは剣道で言う残心ですね」といったのに対して、我が意を得たりという面持ちであった。残心とは一本取ったあとで、ガッツ・ポーズなどしないであたりを静かに睨めまわすしぐさをいう。勝った瞬間がまた最も危険な時期でもあるからである。

 アメリカのインテリの知的エネルギーには今更ながら敬服する。特に新たな挑戦を神が与えた試練と考えてアメリカという国をもっと価値ある国にしようという前向きの態度には、キリスト教の伝統もあるのであろう。

 ひるがえって日本ではどうであろうか。

 中国の脅威について論じた本は、汗牛充棟もただならない。しかしそれならば、日本はどういう国になって、この来たるべき競争を生き抜くかを論じたものは、、ほとんど無い。ここで他の問題まで議論する紙数は無いが、まっさきに思いつくのは教育の問題である。このままでは日本は必ず中国に負けると思う。最近の中国の学問の水準の高さは驚くべきものがある。

 分かり易い話が、中国の大学で日本語を学んできた中国人の語学力には感嘆する。米国の大学で日本語を学んだアメリカ人とでは桁違いの格差がある。漢字がわかるとかそんなことでは説明のつかない学力の差である。

 おそらく同じことが、アメリカに留学した日本人と中国人の学生の英語力の差についても言えるのではないかと想像する。中国の方が人口が多いから優秀な人も多いとだけ言ってはすまされない。勉学に集中的に費やされる時間と労力が圧倒的に違うのである。もともと勉強の意欲が違う。その背後には自分の将来が今勉強するかどうかに全てかかっているという社会環境もあるし、中国を世界一流の国家にして他国を見返そうという愛国的な動機もある。それは、ほかの全ての学問、技術についてもおなじであるのだろうと思う。

 中国では文化大革命の間の教育の空白があり、今中国社会の上層である45歳から上の世代ならば日本も負けることは無い。しかしその下の世代がそれに代わるにつれて、―それは、歴史の流れでは、あっというまであろう―日本は知的分野で年毎に中国に負けていくことは目に見えている。

 ではどうすればよいのだろうか。勉強すれば報いられる社会を作ればよいのである。日本はかつてそういう社会を持っていた。それは今でも世界中どこの国でも常識であるが、勉強の一番できる子が級長となり、先生からはかわいがられ、クラスでは皆から尊敬され、社会に出ても前途洋洋であった。日本はかつて、新井白石のような貧乏な子弟が、眠くなると井戸水をかぶって勉強して、社会の頂点にまで昇り詰められる文治社会を作った歴史的経験のある国である。また明治以来帝国主義時代の世界の中で生き抜くために、外国との競争に負けてはならないという愛国的な動機もあった。

 実は日本の誇るべき伝統はそれだけではない。どの庶民も、その場その場で徹底的に良心的な仕事をするという、この点ではおそらく今でも中国人、アメリカ人よりも優れた完全主義の文化を達成し、今でももの作りの伝統に優位を保持している国である。

 そして家庭教育と社会教育により、大都会で夜でも女性が一人歩きできる世界で稀な順法社会を作った国である。政治制度でも明治の自由民権運動以来自らの手で大正デモクラシーを創った国であり、中国との社会体制全体の競争ではまだ優位を持つ国である。

 中国との競争に生き延びていくためには、まず失われたエリート主義を復活させ、完全主義と順法精神の日本的美徳、そして日本の過去の歴史について、今一度国民に自負を持たせ、これを推奨する教育が必要であろう。そして愛国主義の意義の再確認も必要である。これは復古主義でもなんでもない。ただ日本民族が今後中国の劇的な台頭という厳しい国際環境の中で落後せず生き延びていく、他に選択肢のない道である。

(了)



ホームへ