岡崎久彦
台湾に対する日米両政府の干渉はいまだに私には理解できない。私は小泉・ブッシュ両政権は、いずれも現実に存在する他の選択肢と比べて最良の政権と思っているだけになおさらである。
「政府は陳水扁(現総統)の落選と、国民党の復帰を望んでいるのですか?」と訊けば、「とんでもない」という答えが戻ってくる。しかし介入の結果、それまで五分五分だった陳水扁の支持率は何パーセントも落ちている。もし、陳水扁が僅差で落選するとすれば、それは中国の意向を受けた日米の選挙干渉の結果であるといっても、それはだれも反論できない事実である。
これだけヘンなことがあれば、当然反省も反動も生まれる。二月六日の米議会公聴会では、事前に国務、国防両省の間で軌道修正があったようであり、議会側、政府側ともに陳水扁の公民投票に理解と支持の姿勢を示した。
ダマト議員は「中国のミサイル配備を見れば、民主国家が国民投票のような民主的手段で国民の注意を喚起するのは許されることではないか?」とただし、国防省側はミサイルの脅威増大を強調した。国務省側は苦しい立場であり、今までの答えをそのまま引用する一方、「国民投票するかどうかの問題を離れて、国民投票が問うている問題についてのわれわれの意見は絶対にイエスである」「台湾は自由な民主国家であり、われわれの意志を強制する気はない」と言っている。
この直後、「日本はどうする?」と訊かれて、私は恥ずかしながら「日本はダメだろう」と答えざるを得なかった。米国の民主主義にはチェック・アンド・バランスによる復元力が働く。しかし、日本は一度言ってしまうと、たとえ内心「まずかった」と思っても、答弁資料でガチガチに固めて防御態勢に入ってしまう。
それは二月二十日の衆院予算委員会における長島昭久議員(民主党)との質疑応答にそのまま表れた。敢えて同情とまで言わないが理解すれば、日本の官僚としては、どんなこじつけの論理を使っても規定路線を守る以外の選択肢がないのである。
日本の民主主義に救いがあるとすれば、バランスは機能しなくても、今回は野党のチェックだけは機能した。長島氏は言った。「はっきり申し上げて現状を変更しているのは中国ですよ。四百九十六基のミサイルを毎年五十七十基も増やしているのは中国です。台湾の人たちがやっていることは民主主義を深化させよう。公民投票をやろう。自分たちの憲法も作ってみよう。これは自然の発露ではないですか」
これに対して後ろの席から一斉に「そうだ!」の声が大きく上がった。
私が心配なのは、こじつけの無理な弁護が独り歩きして、日本の外交姿勢が曲がってしまうのではないかということである。
外相答弁の中で九六年の台湾危機との対比が二度もあるが、これはいかにわが後輩が書いた答弁資料でも無茶苦茶である。あのとき日本が憂慮を示して台湾に何か申し入れをしたとすれば、何を申し入れただろうか。それは選挙をやめろと言うか、李登輝を当選させるなと言うしかない。そんなことは言えるはずもない。九六年の場合を先例と考えるとするならば、極東の安全に日本が憂慮を示す相手は中国に対する以外ありえようもない。
そもそも中国が「そういうことをすると大変なことになりますよ」と警告するのを、いちいち真に受けていたらば、李登輝の訪日も訪米も訪欧も実現していない。また、実現後大変なことは何事も起こっていない。そんなことは卑しくも中国専門家といえる人々の間では常識である。
それなのにどうして今度だけ中国の言うことを真に受けて、地域の平和と安定を憂慮しなければならないのか、どうにも理解できない。
米公聴会でもそんな問題はまったく出ていない。あるのは公民投票の結果、現状の変更が起これば、それが地域の安定に及ぼす影響であり、まさに長島氏が正面から取り上げたように、何が実質的な現状変更かということである。投票を実施すると、中国が怒るから地域が不安定になるなどという論理は到底国際政治に携わる識者のの議論の水準に達しない。
最後に、外相答弁を聞いていると、米政府内に微妙な軌道修正があったという情報を政府首脳部が持っていない印象を受ける。実情はわからないが、元情報関係者としては気になるところである。
(了)