靖国参拝
「大戦」切り離しては?

(2005年2月6日付讀賣新聞朝刊【地球を読む】掲載)

岡崎久彦

 これから私が提案することについて、少なくとも当初は、右からも左からも拒否反応があることは覚悟している。

 ただ、私がこれを言うのは初めてではない。昨年総理の八月十五日靖国参拝を期する国民運動にメッセージをと頼まれて、私は本来八月十五日の参拝に疑義があると言ったが、それでも良いと言われたので書いたことはある。

 私の主張は、日本の総理は主として春か秋の例大祭に公式参拝すべきだということである。それは私の主張というよりも、吉田総理から田中総理まで、そして三木総理の第一回参拝まで二十五年にわたって、各総理がどこからも批判されずに粛々と行ってきたことである。

 これを崩したのは、歴代自民党総理の中でも例外的なポピュリスト(大衆迎合主義者)、パシフィスト(一国平和主義者)であった三木総理である。三木総理が決めた防衛費の一%枠など日本自身の手を縛る諸措置は、その軌道修正にその後数内閣を要した。まだ修正されていないのが、今回部分的に修正される輸出三原則であり、靖国の私的参拝である。

 俗説では、天皇が靖国参拝できないのはA級戦犯が祀ってあるからだという。それに加えて、昭和天皇がA級戦犯の合祀に怒られたという説がまことしやかに伝えられている。昭和天皇は、戦争責任者は「昨日まで朕の信頼していた臣僚である」と仰せられて庇われた記録もあり、ましてその御霊を祀ることに反対されるなどとうてい考えられない。

 事実は三木総理が私的参拝と言った結果、天皇参拝の公私の別が議論の対象となって、行けなくなってしまったのである。A級戦犯の合祀はその後の福田内閣の時であり関係ない。

 また中国が靖国参拝に反対しだしたのはA級戦犯合祀以来だというのもウソである。合祀後、大平、鈴木、それから中曽根内閣の初めの二回の参拝のときは何も問題にしていない。問題とし出したのは、戦後の総決算を標榜した一九八五年の中曽根総理の参拝以降の話である。

 なぜ三木総理は八月十五日に参拝したのであろう。私は当時の総理発言に直接当たっていないが見なくてもおよそわかる。つまり戦争を悔いて不戦の誓いを新たにするためである。それは靖国参拝の本来の趣旨と違う。

本来の例大祭参拝が適切

 本来は、国を守るために命を捧げた人々に感謝し、祈る方もその遺志を継いで日本の国を守る決意を述べて英霊を鎮魂するためである。

 広島のように「過去の過ちを繰り返さない」という趣旨だと、それは英霊に対して「お前たちは悪い戦争のためにムダに死んだ」というに等しい。だから私は初めからそれに疑念を持ったのである。

 ただ国民一般はそうはとらなかった。とくに全国数百万の遺族たちは三木総理の参拝に感激し、その後も八月十五日参拝が国民的願望となる。一九八五年の中曽根総理の参拝もこの国民的願望に沿ったものである。終戦記念日の参拝は、まさに戦後の総決算という目的にも沿ったものであった。

 私は八月十五日の参拝に反対ではない。ただ、するのなら、戦後平和主義、反戦主義の深い霧のなかで、何のためかわからないようなことでなく、特攻隊の戦士はじめ、純粋な気持ちでお国のために散った英霊の鎮魂のためであってほしいと思うのである。

 とくに最近のように中国の内政干渉が経済界へ圧力をかけるなど目にあまって来ると、他のことは全部措いても、内政干渉に屈するということ自体、国家の出処進退として不正なことであり、もし小泉総理が腹を決められて八月十五日に参拝されれば、それはそれで全面的に支持する。

 ただ問題は八月十五日という日となると、どうしてもこの前の大戦の是非善悪の問題がからんでくる。

 そもそも靖国問題を含むいわゆる歴史問題というのは、世界史の他の例と同じように、戦後一世代を経た一九八〇年頃には、もう国際問題ではなく過去の歴史となっていた。論より証拠、一九八〇年一年をとってみて、日本、韓国、中国、米国のあらゆる新聞雑誌評論でこれをとりあげているのは皆無である。それが人為的に復活された経緯を調べると、八二年の教科書問題といい、その後の慰安婦問題にいたるまで、悉く日本内の反政府(あるいは単なる左翼かぶれのオッチョコチョイ)的日本人の小細工から発している。

 こんなものはもともと人為的なものだから無視して参拝を続ければ、いずれは収まるというのも一つの正しい考え方である。

 ただ国際政治上の問題としては、発端は無責任な日本人の小細工だったとしても、その後一九八八年の韓国の言論自由化と八九年の天安門事件以降の中国の愛国主義的運動によって、それが両国の国民感情ーあるいは中国の場合、政府の主導と考えれば疑似国民感情ーとなって、それぞれの政府の手を縛っているという政治的現実はある。

 やはり一つ前の戦争の記憶というものは次の大戦があるまで、ー日本も中国も冷戦には勝ったが実際の戦闘はなかったー一度は消えてもいつまた火がつくかわからないという状態が残るものかもしれない。

 ここで靖国問題をこの前の大戦の是非善悪から切り離す発想もあり得ると思う。靖国神社はこの前の大戦の犠牲者だけのものではない。日清、日露など過去日本が戦ったすべての戦いの英霊を祀ったものである。

 今年は日露戦争終結百年である。現在のわれわれの生活は、あの帝国主義時代の真っ只中で日露戦争を勝ち抜いて日本を植民地、半植民地にさせなかった父祖たちに負う所多々ある。総理は日露戦争百周年を記念して春か秋かの例祭に参拝されてはどうだろうか。中国がそれに反対する理由はない。ロシアにとっても、もう過去の歴史の問題である。更に夢のような話だが、もしその時期に胡錦濤主席を招待してともに参拝できれば日中関係は一挙にかたずく。

 たしかに中国の苦渋はそれから更に半世紀続くが、もし日露戦争で日本が勝たなければ、満州はソ連邦崩壊までロシア領となっていたことはまず間違いない。

 そして白人に対する日本の勝利に感奮興起した在日の中国人が辛亥革命の原動力になるのである。孫文は述懐している。「一九〇五年秋、革命同盟会が東京に成立した時、私は初めて革命の大業が生涯のうちに成就するかもしれぬと信ずるようになった」まさに百年前の秋である。

 こういうことは私のような者でなく、もっと親中国と思われている人士が、靖国問題の落とし所として推進してくれないかと思って二、三当たって見たがはかばかしくないので、敢えて私がここに書かせていただく。中国政府や親中人士が虚心に耳を傾けてくださることを期待する。

(了)


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