岡崎久彦
一年前、米国のイラク攻撃と占領が二か月後に迫っていたころ、私は来たるべきイラク占領の参考として日本占領の教訓をこの欄で書いた。
私の意見が反映された結果かどうかわからないが、サダム・フセインの裁判は極東軍事裁判のような、イラク人を疎外した裁判にはならないらしい。サダムの所業は極刑に値いするかもしれないが、米国主導が明らかな国際裁判でなく、イラク人自身の手による方が好ましい事は論をまたない。
また告訴の内容はフセインのイラク国民に対する犯罪にしぼった方が良い。さもないと戦争責任がどっちにあるか論争しなければならない。東京裁判では占領軍の強権でこの点は抑え込んだが、今回はとてもそうは行くまい。
また日本の時のように日本専門家を故意に疎外して、無知、無教養な占領官僚に統治を委せるべきではない、と書いたが、これは杞憂だった。もともとイラクは日本のように降伏した旧敵国ではなくサダム・フセインの圧制から解放された国なのだから、イラク専門家どころかイラク人自身の意向を吸い上げる行政となったのは必然であった。ただサダムの圧制から解放された人々の中で、亡命者、シーア派、クルド人、そしていまだ形をなしていないが声なき国民大多数の意向をどうやってバランス良く反映させるかが今後の政治の最大の課題であろう。
公職追放はイラクではバース党幹部の問題であり、ドイツの旧ナチ党員、日本なら旧軍人の扱いに似ているのであろう。要は当初は厳しくしても、時間が経つにつれて罪のない、有能な人材をすくい上げるプロセスなのであろう。
日本占領中の厳しい言論統制が流した害毒も説いたが、言論は自由のようである。そして又、外国人による憲法起草の害も説いたが、イラクでは憲法起草はイラク人の手に委ねられる方針である。
日本占領から学び取れる教訓はここまでである。むしろ、ここからは、言論の自由、自主憲法の制定等々から新たに生まれる諸問題、もっと大きく言えば、自由と民主主義の原則と、改革、近代化の必要との間に生まれる矛盾、相剋の問題が浮上してくる。これこそが今後のイラク問題解決の成否を決する問題であり、この分析は、日本占領の経験を離れて、過去のイスラム社会近代化の歴史的な前例から考えねばならない。
卑近な例は九〇年代のアルジェリアである。ソ連、東欧諸国の民主化の余波を受けてアルジェリアの一党独裁も終わり、九一年に議会選挙が行われたが、その結果急進イスラム政党が勝ち、これに軍が介入して選挙を無効とした。欧米諸国は建前上軍事クーデターを批判しつつも、内心はホメイニ的政権の回避を歓迎したが、その後十年にわたる混乱とテロが続いた。テロの有力な一部が、アフガン戦争終了後の元アフガン・ゲリラだったのもイラクの場合に似ている。
遡れば、トルコの近代化の父アタチュルクは当初議会民主主義を志したが、伝統的なイスラムの守旧派の勢力は強く、結局彼の在世中は、軍の力を背景とする一党支配をやめることは出来なかった。
右はいずれも近代化を志すその国の軍自身による介入であるが、もしこの役割を米軍が果たさねばならない場合を考えると、その結果の深刻さに身の毛がよだつ。
一つの選択肢は、民主主義原則の上に立って、事態を民意の欲するままに放置して、自然の揺れ戻りを待つ事にあるが、トルコの場合三十年近く、アルジェリアの場合で十年を要し、その間アルジェリアはテロリストの温床と化している。
イラクでも悲観的に考えればそうなる兆候はすでにある。イラクのメディアの言論はひどいらしい。さすがに反乱、殺人を使嗾するような言論は禁止されているが、各メディア競って、ある事ない事を言ってアメリカを誹謗するのが流行らしい。そんなものは一種の商業主義だから、テロが収まればいずれは変わると達観して無視するのも一つの態度であるが、放置すれば、一般国民世論の形成にも影響し主権移譲後の米軍駐留継続を難しくさせる懼れがある。
憲法については、アフガン憲法案がロヤ・ジルガ(国民大会議)で合意された事は明るいニュースであるが、討議の過程を見るとイラクにも同様の困難が予想される。国家統一と地方分権の問題は政治的に解決すべきであるが、イスラムの問題は難しい。女性の地位一つとっても、一人がそれはイスラムの教えに反すると言えば、他は反対しにくい雰囲気のある事は想像に難くない。日本の場合は、憲法はアメリカ独りだけで起草し、反対の言論は厳しく封殺したが、今の時代にそんな事が出来るわけもなく、また、早晩、反米感情を招き、結果は必ず良くないであろう。
むしろ再び日本の教訓から学べば、日本の歴史と伝統を尊重しつつ、自由と民主主義の原則だけは一歩も譲らない憲法であったならば、その後半世紀の日本の思想的混迷もなく、日本はアメリカの極東政策にとって最も信頼すべき民主主義のパートナーとなっていたであろう。それは極東に限らず、米英同盟と日米同盟を機軸とする米国の世界戦略は確固たるものになったであろう。
その意味でアフガン憲法でイスラム色を完全に払拭できなかったのは、むしろ歓迎すべき事だったかもしれない。専制を排除した自由と民主主義でありさえすれば、その国の歴史と伝統を反映した方がより安定した政治体制となるからである。
この際アメリカに期待されるのは、自由と民主主義だけについては驢馬のように頑固になり、それ以外は柔軟になることである。その時々のイラクの雰囲気がどうであろうと、自由と民主主義だけは絶対譲れないと言えば、世界中諦めてこれを許容するしかない。最近のブッシュ大統領の演説で言っているような事を一歩も引かずに実施すれば良いのである。
もう一つは米国が力を持ち続けることである。力のある者が驢馬のように頑固ならば、まわりはどうしようもない。主権の移譲や兵力削減の条件は、イラク人や国連による肩代わりの能力でなく、自由と民主主義達成の見通し如何とすべきであろう。そうすればイラクの歴史と伝統も尊重した民主体制設立が可能かもしれない。
それさえも成功しないかもしれない。
それは、しょせん、中東の民主主義達成は、不可能ではないとしても、何十年もの歴史の流れを経る要があるとの結論、つまり今回のアメリカの行動の短期的な失敗を受け入れることである。しかし、それはやって見なければわからない。現段階ではやって見るしかないのであろう。
一年前の論文で、私はイラク民主主義の将来については、日本占領と比べものにならない複雑な諸問題を抱えてはいるもののサダムの独裁に苛まれた経験はイラク民主化の財産となるかもしれないと書いたが、この点は今でも米国のイラク占領が成功する唯一の希望として残っている。
(了)